第25話


「だーかーらー!この初速と加速度!可笑しいとは思わんのか!目標を通り越し熱圏まで到達しうる!不要な速度エネルギーだろう!?」

『少なくとも計画進行には問題ないかと。推進力が足りず目標に到達せず射線が下降していくよりは、目標を貫通し射線が地球外まで達する方が好ましい。“タイヨウ”の残骸をそのまま外宇宙に排出できますし』

「だれも計画の話などしてないわ凡才!この余りに都合がいいが故に不気味な数値と古文書の設計、何が違うかという話で~!」

『貴方の話は感覚的すぎます。より要点を整理してお話下さい』

「ぬぁっにぃ~~!超天才の声音を通信機越しに聞し召すだけでも大大大不遜な上に、は、話がわからんやり直せだと……!」

 栗毛の少女、莫琉珂がきゃんきゃんと喚く。しかし対面する席には誰もいない。いや……一台の、持ち運びやすい取っ手付きのスピーカーが卓上に設置されていた。その背部からは太いケーブルが、カフェテリアに備え付けの通信機端末まで伸びている。

 通信機端末を通し、統括電想式(メインコンピューター)へ接続、そこを中継点として通信を行っているのだろう――遥か地下500km。地底都市月都と。

 スピーカーの状態を表示させる液晶タッチパネルには、今古来より九曜を示す幾何学模様が表示されている。月都天文学の至宝、数理学の到達点、“生きる電想式”計都ナクシャの象徴(エンブレム)だ。

『大羿の設計図たる古文書を読解する限り私も同様の結果を算出しましたが、別段不思議なことは思いません。前文明人の保険かと』

「うむむむっ……そうはいっても……気になるのだ……」

 顎をテーブルに寝かせ、不貞腐れたように頬を膨らます。何かを熟考する莫琉珂の前には、物理媒体に印刷された大羿の設計図が無造作に投げ出されていた。

 完全版は実のところ禁帯出の機密文書なのだが、この天才は何度言っても直そうとしない。故に何度も仕置を受けることになるのだと、炉那はため息をついた。

 瞬間、莫琉珂の首根っこを右腕でつかみ、引き上げる。

「にゅ、にゅわわ~~!?」

「忙しい奴だな。朝、俺の部屋に忍び込んだと思ったら、今度はこんなとこでおしゃべりか」

 絶望に顔を青ざめていく莫琉珂をよそに、スピーカーのほうへと視線を向ける。そこに本人はいないのに、何故かそうして仕舞うことを自分でも不思議に思った。

「計都博士も、こいつに時間を使わせてすみません」

『私も必要な上で通信をしているので、その謝罪は不要です。炉那太陽官補佐』

 人間的な感情を感じさせぬ抑揚のない口調で碩学は述べる。しかし毎度毎度莫琉珂に付き合って長距離通信に応じているあたり、結構彼女とは気が合うのかもしれない。

 計画が始動し始めた二年前は、すなわち廃殻随一の天才たるバルカと月都一の碩学たるナクシャが出会った頃でもある。互いに引けを取らぬ賢人ながらも唱えることは真逆であり、互いにソリが合わぬこともあったようだが――なんだかんだと通信と対談を続け、今では共に大羿について考察している程に距離が縮まっている。

「そうだそうだ!こやつは自ら求めて天才の知恵を乞うてきているのだ!どこが済まないことなのだ!大済みだ!」

『それは意味が分かりませんが、彼女の考察が私の目的に必要なことであるのは事実です』

「にゅふふっ」

 いい気になったのか、莫琉珂が鼻を膨らます。

「それならそんな岩盤の下ではなく日都まで来ればいいものを!いつも通信機越しの割れた声では耳が痛むのだ!天才の御耳が!」

『………』

 通信機越しで僅かに無音の間が入る。通信の異常ではない、ナクシャが逡巡しているのだろう。対面の話が持ち上がるたびに、無面目の数学者は煩悶するように押し黙る。そのたびに莫琉珂も、駄々を無視された子供のように顔を歪めるのだ。

 もしかしたら、この不遜で高慢な少女は、内心では計都ナクシャという自分と同じ程の叡智と会いたいのかもしれない。蛮風に唐変木と揶揄される炉那も、そのくらいはわかる。

「……観測データとレポートの交換なら通信上でできる。わざわざ廃殻まで来てもらう必要はないだろ」

「そ、そうだがっ」

「それよりも、設計図について何か気になることがあるのか?大羿解析についてならどんなことでもいいから教えてくれ」

 ハッと莫琉珂が面を上げるか、すぐに頭を抱える。顔を顰めたり、緩めたり、目を丸くしたりしている様子から察するに、言いたいことはあるのだが適切な言葉が出てこない、といったところか。

 二年間でわかったことはある。確かにこの少女は天才だ。その頭脳で一年は早く大羿の解析は進み、その手腕で二年早く大羿の改修が済んだ。だがそれ程の天才故に、凡人との差は断崖のように開いている。

 彼女なりの概念では理解することを、専門外の人間に共有するのは彼女の不得意とするところだ。故にむしろそれを得手とする計都ナクシャとすり合わせていただのだろう――なら今は無理して話させることではない、炉那は口を開いた。

 その瞬間、嫌と言うほど聞いた甲高い声が耳に入った。

「…………そういえば、今からか」

 視線をそちらへ。カフェの飾り棚に設置されたテレビから、無数のシャッター音と汚い笑い声が響く。画面の内には無数の記者たちとカメラを越えて、一人の男が悠々と黒檀の壇上に立った。


≪太陽暦:三〇五八年 四月二十六日 九:三六 廃殻 大羿開発区統括省≫


「月都大建院認可大羿開発区俗名が“日都”!まさしく日進月歩の発展であり、域内総生産(GRP)も増加の傾向にあります!これもそれも全て、私が開発区統括に就任した時よりね!ナーハッハッハ!」

 壇上にて天を仰ぐようにのけぞり怪鳥じみた甲高い笑い声をあげるのは、鴉の翼を思わせる黒髪の七三分けの男。現代では希少なる正絹の艶やかな光沢を、容赦なく墨色に染め上げ金色の刺繍で縁取った、瀟洒や恭謙の対極の様な袴姿。

「日都都首代理!百道モモマル!絶好調で躍進しております!……ってあー!まだ月都議会より地表都市認定はされてないんだったなー!こりゃ口が滑ったなー!たっはー!」

 カメラのフラッシュを恵みの雨のように浴び続ける男こそ、かつては太陽官北辰アルナの副官であり、月都企業理事会からの諜報員であり――現在は、開発区統括として実質的に日都の代表の座を得ている、百道モモマルである。

 二年前のほんのはじめまでは慇懃で神経質なお役人って感じだったのに、富を得てずいぶん様変わりしたものだ、と炉那は画面を眺め思う。

 日都に人と産業が集まり拡大していくにつれ、大羿計画と並行して開発区の運営をしていくことがアルナには困難となった。当然の流れとして開発区運営統括という新たな役職に誰かが任命される。そこアルナにより選ばれたのはかつては大羿計画を頓挫させようとしたこの男だった。

 当初こそ冷たい猜疑の目で見られたこの卑しい性分の男だったが、卑しい性分であるが故に人間の下心や欲求がよく理解できるのか、こと商売人相手の駆け引きには長けていた。月都から企業連の開発事業を通じ雪崩れ込む資本が、一者に独占されることなく浸透していったのは、彼の市場規制と緩和の繊細な舵取りがあったからと言える。事実として、今日都に経済活動が発達したのはこの百道の功績なのだ。故に今では彼は関係者から温かい猜疑の目で見られている。

「では百道開発区統括、ゆくゆくは“日都”は実質的な地表都市として認められる可能性があるということですか?」

 月都の記者が拡声器を彼に向け目を光らせる。壊都や油都のように地表都市と月都議会より認可されれば、議会からはある程度独立した行政権が認められることとなる。月都とは別の、一つの国とすら言える程度の。たった二年でそこまで都市が拡大するのは異例のことだ。

「どうっでしょうかねぇ~。人口と規模は常に拡大しつつあり、ゆくゆくは月都議会の代理運営では制御しきれなくなるため、地表都市認定は必須ですしねえ」

 そうなれば愈々百道は一つの都市を統べる“都首”となる――――彼はその薄い唇で大きく弧を描き、歯を見せてに微笑んだ。


「……あれは微笑んでるのか?」

「下心が滲み出て、ものすごく不気味なニヤけ顔になってるなっ」


「まぁそれもタイヨウ撃墜後の話ですがねっ!ナーハッハッハ!」

「それなのですが……百道開発統括」

 壇上の正面に控えていた壮年の記者が、彼を見通すように目を細める。

「大羿計画は未だ、発射のための電力エネルギー問題が依然として残っています。莫大な電力という課題について、解決の見通しは?」

 途端、忙しなく動いていた百道の舌が止まり、口に収まる。定例会見の流れが変わっていくのが誰の目にもわかった。

「そ、そりゃあ……」

「日都のソーラーシステムや発電プラントで賄える量ではありませんね。月都との電力インフラも存在していますが、未だエネルギー提供の声明は出ていません。日都としてはこれをどう賄うのですか?」

 しばらく沈黙していたカメラが、再びフラッシュを瞬かせる。困窮し顔を顰める百道の顔が、そのレンズの中に切り取られていく。

 画面の前にて炉那はため息をついた。答えられないのは仕方がない、今の百道は計画の関係者ではなく日都の運営者なのだから。計画の進捗を聞いていたとしても、役職が違う以上おいそれと適当なことは言えないし、余計な責を負うのを忌避する男はまず言わない。

 その様な事情が存在する以上、ここで大羿計画について問うことすら筋違いなのだ。だがこの会見が実際に月都や廃殻都市で放送された時、人々のどの程度がその“筋”を理解できるだろうか。日都のあの有名な人が、頼りなさげにしている。ただそれだけの情報だけを得て大羿計画への懐疑を膨らますのだろう。

 大羿計画は今や各都市から支持される巨大な計画だ。それは、同じくらい不審の目を向けられるのと同義なのだ。だから、注目される何かに冷や水をかけるようなニュースはよく売れる。あの記者はそんなニュースを狙って、百道に向けて敢えて質問したのだろう。

 狡猾だ。だが炉那の心は静かなままだった。煩わしいとは思う、だけど傍らの莫琉珂のように憤慨するような気にはなれない。心は未だ幽谷の底のように、冷たく乾き沈黙していた。

 憤ったところで、あの記者を引きずり出したところで、結局後に続くものが出てくることを知ってるから――わざわざ腹を立てるのも、酷く無為に思える。

 結局彼のようなものを生むのは、大羿計画の進展に心躍らされながらも、同時にどこかでその欠陥を躍起になって探してしまう人間の習性なのだろう。栄光に魅かれながらも同時にその影が露見するのを心待ちにする人間の仄暗い好奇心というものだろう。

 その本性が変わらない限り、重箱の隅をつつき白を黒というようなニュースは消えない。そしてその本性を消したというなら、そいつはもう人間ではない。

――――自ずと笑みが零れた。二年間経った、だが炉那は未だに人間へ深い深い諦観を抱いているらしい。


「そ、そんなこたあ私に聞かないでくださいよっ!部署違いです、部署違い!」

 正論である、だが煮え切らない解答でもある。百道は逃げるように視線を逸らす。その横顔を詰問するようにシャッターが瞬いた。先ほどまで喝采のように浴びていた白光を、今や彼は憎々し気に睨んでいる。

「百道開発統括!それが公式声明ということでよろしいですね!?」

「他にコメントは!?百道開発統括!」

「ご回答を!百道太陽官補佐!」

「ちょっそこのアンタ!私は百道開発統括行く行くは日都都首ですー!」

 甲高く威圧する百道に、尚もフラッシュは瞬く。カメラのシャッター音と記者たちの矢継ぎ早な質問が、怒涛のごとく壇上を埋め尽くし過ぎ去っていく。まるで音の弾幕だ。

 百道の呻きがその中に掻き消えたとき

 凛と――――喧騒の嵐を縫って、一つの言葉を誰しも耳にする。

「……エネルギー課題についてならば、つい先ほど終結いたしました」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る