第24話

≪太陽暦:三〇五八年 四月二十六日 八:十〇 廃殻 大羿開発区 通称“日都”≫


 目覚めはゆっくりと、濡れた薄い紙を破っていくかのように醒める。微睡む意識を少しずつ調律していけば、滲んだ景色にピントが合わさっていく。

 まず炉那が知覚したのは、自分の上にシーツ以外の何かが伸し掛かっていることだ。熱を持ち少し重いそれ。布団をめくってみれば、己の胸の上にぴょこぴょこと跳ねた栗毛が寝息を立てていた。

 シーツがはがされて、窓から入る眩い日光に照らされれば、その栗毛の少女は「ふご」と鼻息を鳴らし、しょぼしょぼと目を細めながら面を上げる。

「……おはよう、莫琉珂」

 炉那の胸の上で、童女はその丸い顔を微睡に緩め切ったまま、にんまりと笑う。

「にゅわわ……お前の胸板は天才のベッドとして最適だぞ~炉那~」

 寝惚けているのか、それとも本当に炉那を寝台としてみなしているのか。莫琉珂はそういうと再びかくんと意識を落とし、炉那の胸へ身体を横たえた。彼のシャツをきゅうと掴み、呼吸に合わせて上下する胸を揺蕩う小舟のように堪能している。

 炉那はため息をつき、“左腕”でシーツを剥いだ。

「……やっぱり、またやりやがったな」

 炉那の右腕――鉄腕の逸脱機は、今骨組みを残しバラバラに分解されていた。超力人造腱や疑似神経機構の細い配線に至るまで、一本一本丁寧に寝台の上に並べて晒されている。無論、莫琉珂が持つドライバーとペンチによってだろう。

 炉那の声に怒気が孕んだ瞬間に、莫琉珂は目を剥いて起き上がり、今更ながら身を縮こませた。

「だ、だって……」

「だってじゃない」

「言論弾圧!?し、仕方なかろう!お前の逸脱機はこの天ッ才でも未知の機構がいっぱいだ!特にその、力場発生機構!一体如何なる手段を以てあの光線を造り出しているのか!天才の興味をそそるという、処女受胎レベルの超僭越な役目をお前は賜ったのだぞ!?もっとじっくりねっとり解析させろー!」

「……謝罪の言葉がすぐにでてくれば、お仕置きは無しにしてやったんだがな」

 不遜にも胸を張った莫琉珂の顔がみるみる青ざめ、汗が滲みだしてくる。思い出すは前回隙をついて分解した後、炉那に厳罰滑空天中殺(なくまでどうあげしつづける)をされた時の、苦々しい酩酊の記憶。

 少女は静かに、シーツの内にもぞもぞと潜っていくと、ばっと飛び出し炉那の部屋から跳んでいった。その0.5秒間の内に彼の腕を復元したのは、傲慢不遜な彼女なりの僅かな謝意なのかもしれない。

 ため息をついて立ち上がる。天誅鉄腕大車輪(じゃいあんどすいんぐ)か永続御馳走三昧(きらいなやさいをたべさせる)はまた今日見えたときにするとして、彼は遅めの身支度を始めた。

 洗面所にて顔を洗い薄い髭を剃り、シャツのボタンを占める。水を浴びてようやく醒めた目で鏡を見れば、そこには次なる騒がしい客人がそこに映っていた。

「おせーぞ炉那!今日はお前朝飯、パンケーキだぞ?」

「それで喜ぶように思えるか?」

 振り返れば、師父たる男はろくすっぽ整えもしない髭面を綻ばせた。数年前から変わることのないとぼけたような容貌。

「あと今廊下をあの天才ちゃんがびゅーーんって走っていったんだが」

「いつものだよ」

「カカカ!お前も大変だな!油断してるとちびっこに腕を分解(バラ)されるなんてよ!」

「油断してると部屋に忍び込む妖怪親父もいるがな」

 ため息をつき洗面所から出ようとする炉那を、師父蛮風の手が止める。そして――その目を細めた。

「今さら気づいたが……でっかくなったなぁ。お前も」

 振り返り鏡を見れば、そこには同じぐらいの身の丈の男たちが二人映っていた。一人は髭面で猫背の中年に対し、もう一人は――鍛えられた肉体と、少し伸びた灰色の髪を後ろに結っている青年に近い少年の姿。

 今は蛮風のほうが拳一つくらい大きい程度で、目線の高さならば殆ど同じなのだと気づき、炉那も少しだけ感慨深そうに眼を細める。

「17になったんだ。背くらい伸びるさ」


 炉那と蛮風が壊都に向けて歩いていたあの日から。巨塔の内にて、タイヨウを撃ち落とすと誓って見せたあの日から。ちんちくりんの神童と出会ったあの日から。大羿計画が始動してから―――二年が経った。

 蜜のように濃密でありながら、急流のように疾く流れる二年間だったように、炉那は思う。そのような矛盾を抱えるのは、きっと経過した時間に対して、相対した事象と引き起こされた変化が多すぎるからなのだろう。

 大羿稼働所に面した宿舎の窓から、階下を眺める。ここは施設の半ばの五階だが、それでも駆動音と喧騒に満ちた街を睥睨することができた。

 巨砲“大羿”に併設された、弧を描く象牙色の施設を中心に、金音の絶えない工場や足場が組まれた工事現場が、土筆の群生地のようにちらほらと頭を伸ばす。その隙間を電力インフラの太いパイプラインが走り、此処から壊都や錬都、油都や鋼都を繋ぎ、その血液たるエネルギーを交わし合う。それらの骨組みや鉄柱に洗濯紐やのぼり旗が括り付けられ、工員の家族やこの街に移り住んだ商魂逞しい市民たちがやいやいと騒ぎ合っていた。朝市、露店、泣く子供に困り顔の親、出立する工員たちの手には露店の握り飯。電力パイプラインの足元をトラックが走り、その荷台から転げた果実に通行人が群がる。工場の軒先で老爺の溶接を興味深そうに見るスーツ姿の月都民。遠い遠い大陸西端の油都から来た民族衣装姿の男が、広場の真ん中で異彩の弦楽器をつま弾いている。

人々の営みのごった煮のような景色が、魁夷たる大羿を中心にして、放射状に延々広がっているのだ。


 二年前。“大羿計画”の事業は、小さな湧き水のような、細やかな活動にしか過ぎなかった。日射に炙られればすぐに乾き、巨獣が踏めばすぐに埋もれるような小さな小さな湧き水だった。

 だが二年の内、アルナと彼女の賛同者たちはその湧き水を絶やすことなく掘り進めた。アルナが各都市を回り計画を喧伝、技術者や関連業者に惜しみなく支援をし、莫琉珂の頭脳で大羿を修復。亜粋をはじめとした技術者たちが廃殻都市を繋ぐ電力インフラを大規模整備、百道の舌車で企業や資産家を事業に引き込む。

 そうしていると、偶然か必然か、生業を求める人々がちらほらと集まってきた。工員の家族が移り住み、彼ら相手に商売を始める行商が足を延ばす。資材運搬のため道路が整備され、そこを通ってまた人々が都市という都市から渡り歩いてくる。そうして住居や物資が必要となり、交易路をまたトラックが走っていく。

 その結果いつの間にか、工場や仮設テントだけだった大羿開発区は、一つの街となっていた。その規模は小さいものだが、電力パイプラインや大道路を全方位へと伸ばしていることにより廃殻の都市間を結ぶ、交通交易の要衝となっている。今や大羿は悪路と熱砂に分断されていた廃殻において、人と物資が交わる中心点だ。

 湧き水は岩盤を割りあふれ出し、今や地を呑み込む大河へと変わり人々をそのうちへ泳がせている。タイヨウを撃ち落とす。その大きな計画は生業と活気を生み出し、人と人を繋げていった――そうしてできた発展途上の都市を、ある廃殻都首はかく呼び、いつのまにかそれがこの街の俗称となっている。

 タイヨウを撃つがため、民草が芽吹く陽だまりとなった街。地底の大都へ少しの皮肉を込めて――“日都”と。



≪太陽暦:三〇五八年 四月二十六日 九:三三 廃殻 “日都”大羿発射管制基地 エントランスホール≫


 スーツの胸に太陽印の勲章を光らせ、炉那は管制塔のエントランスホールに出る。大羿の正門に併設された耐熱樹脂製の清潔な半球状の空間で、つなぎ姿やスーツの人々がせわしなく動いていた。彼らは炉那とすれ違うたびに会釈を交わしたり、日々の辛苦を労い、職務上の質問などを投げかけてくる。

「炉那くん!少しいいか?」

「本当に少しならここで。長くなりそうなら俺宛に電文を」

「太陽官補佐!太陽官が一○・○○に西搬入口からお戻りになります」

「把握してる。出迎えとか要らないらしいから、通常勤務をと改めて共有してくれ」

「炉那太陽官補佐!以前の疑似自錬鋼10tの発注、チェックいただいた通りこちらのミスでした……」

「ん。再発はしないように」

「炉那太陽官補佐!経費から煙草代をいただきたくあります!」

「裏にいって、発動機工場の廃棄ガスでも吸ってろ蛮風」

 傍らで蛮風は意地悪く笑うと、「太陽官補佐、太陽官補佐」と何度も呼び掛けてくる。

「……やめろ。まだくすぐったいんだ」

「何をおっしゃられますか炉那太陽官補佐よ。認められて一年じゃねえですかよ」

「アルナの気が狂ったんじゃないかと、今でも思う」

 ホーㇽの乳白色の床に革靴を鳴らしながら、炉那は一年前のアルナからの辞令を思い返す。太陽副官とも違うがためそれ自体に権能はさほど強くないが、太陽官からの命を受ければ柔軟(フレキシブル)に動くことができる、実質的な彼女の右腕だ。実働部隊、と言ってもいいかもしれない。

「官僚の一つだ。廃殻の、学も無い遺跡荒らしに任命するなんて馬鹿げてる。今に始まったことじゃないけどな」

「だが、あの嬢ちゃんだって無理強いするようなタチじゃねえ。お前も“OK”っつたんだろ?」

「………………」

 長い沈黙の後、「まあな」と一言。それでふいと顔を逸らしてしまう。その様に、蛮風は手を叩いて噴き出した。

「おっま、ま~だ全っ然素直になれねえんだな!“あいつの力になりたいから”っつってたじゃねえかよ、二年前の襲撃の日!」

「黙れ。そんなことは言っていない」近しいことは言っている。

「お前な~、二年。二年だぞ?」

「それが、どうした」

「二年もあるのに未だにデキてないのか?」

 そう、あれから二年経った。二年も経てば人間は成長するし、社会的なしがらみがまとわりつくものだ。炉那ももう17であり、そして今は名のある役職だ。信用がついて回る以上、二年前のように公衆の面前で蛮風の顔面を殴りつけるなどできないし、もうやるもないだろう。なので代わりに革靴のつま先で彼の向う脛を蹴りつけてやる。

 ダンスを踊るフラミンゴのように片足立ちでのたうち回る蛮風をよそに、炉那はエントランスホールに内設されたカフェテリアに目を止める。待ち合わせ場所から休憩にも使われるテーブルの中に、見覚えのある栗毛がひょこひょこ動いているのを見つけたからだ。

 そしてそのわきについているものも。

「莫琉珂……またあいつと話してるのか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る