第六章 日都黎明

第23話

≪太陽暦:三〇五八年 四月二十六日 十一:〇〇 廃殻 大羿開発区 通称“日都”≫


 断熱樹脂パネルで構成された通路の中に、人々がこぞって集う。赤外線を遮る樹脂の壁の中、吸熱ポッドか数台並んで稼働しているというのに、その人いきれだけで汗ばむほどに蒸し暑い。立ち並ぶ人々の姿は十人十色、すぐ近くの“壊都”から来たと思しき工員姿のものもいれば、遠い遠い都市から足を延ばした異邦の装い、富と威厳を醸し出させる赤茶けた肌の恰幅ある老人や、月都出身と思わしき、やんごとなき血筋の令嬢も群衆の向こうをつま先立ちで今か今かと目を輝かせている。

 皆一様に喧しく騒ぎながらも、目の前にある銀鋼の扉が開くのを今か今かと待っていた。そして彼らの期待通り、スピーカーを通してベルが鳴り、誰もが耳にしたことあるであろう――――太陽を撃ち落とすと誓った少女の、凛と澄んだ声が再生される。

『お集まりの皆様、大変お待たせ致しました――“地表開発構想仮想形態(アース・ディベロッピングデモンテーション)”へのご案内をただいまより開始いたします。除塵風を浴び、環境保護バブルの中へお進みください』

 黄色い声が木霊して、群衆が皆一歩進みだす。その中で、月都からはるばる足をのばした、ある企業の御曹司の一人が親の手から離れてしまった。

 途端、先ほどまで期待に満ちていた胸がしんと鎮まり、周囲の全てが寂しい荒野に見えてくる。慌てて父の背中と母の長い髪を追うが、歩を進める群衆の中どこへいっても目につかない。

そうしているうちに、服についた塵や異物を吹き飛ばす除塵風を浴び、そして開いた銀鋼の扉へと行きついてしまった。その向こうには、巨大なシャボン玉のようなものが扉に膜を張っており、それを透かして蕩けた景色が見える、背後を押されてそれに触れるが、薬品のにおいが僅かにするだけで弾けることなく、むしろ湖面に手を沈めたように、彼の身体を呑み込んでいく。

月都製の環境保護バブルだ。少年は未だ孤独と恐怖に苛まれながらも、恐る恐るそこへ手を入れ――踏み出し、目を見開く。


気候管理システムが吐く、調整されたものでない涼風が、彼の心が孕む不安を吹き飛ばした。

足元には緑色。その先に僅かに雫を垂らし、一様に揺れさららと謳う景色が、透明な樹脂パネルで空間が隔絶される先まで延々続いている。タイヨウが灯される前に存在したとされる、“草原”という景色。

草草が作る肥沃な土壌が多様な木々や花々を生み、少年が学び舎で使う24種類の絵の具では到底描ききれない、奔放な色彩の坩堝(るつぼ)を生む。廃殻の苛烈な日射は、この空間を半球状に包む透明なパネルに赤外線を遮られ、微睡を誘う穏やかな陽だまりに。日光とは、生命を優しく包むものだったのだと、木漏れ日の下、群衆たちは驚嘆に目を剥きながらも思い出していた。

『今皆様がご覧になっているのは地表開発構想仮想形態(アース・ディベロッピングデモンテーションモデル)、タイヨウ停止後、整備された地上の環境の試験モデルです。疑似天球は赤外線を45%遮断し、タイヨウ停止後の現在の季節の気温に天球内を調整しています。それに合わせ、遺伝子バンクから復元した古代の植生を――』

 そう、ここは大羿計画の一環として建造された、タイヨウ撃墜後の廃殻の環境整備を試験する施設。現在は一般市民にも開放され、乾ききった大地が湿性の土壌と植生へと変わった未来の姿を人々に見せている。廃殻月都問わず民衆により大羿計画への理解を得るために。彼らがその世界を想像できるように。

『無論、ここまで環境が人間に好適な状態へと開発されるには、タイヨウ停止後気候循環が戻り――その後、以て10年は必要とされます。この期間はきっと大きく前後するでしょう。ですが、息を吸い、耳を澄ませてください』

 アナウンスのその言葉につられ、息を吸ってみれば、嗅いだことのない湿った匂いが、鼻から気道を抜けていった。それは、青臭さというのだろう。遺伝子改良された植生しか存在しない月都にはもうない、植物のにおい。初めての体験である少年にはそれがとても生々しく衝撃を受けたが、故にこそ、これが現実なのだと痛感させられる。

『緑の地表は確かに、ここにあるのです。そしていつか皆様はそこへ足を踏み入れる』

 少年は木漏れ日を落とす若葉の下、上天を仰いだ。

 おのずと心に思い描く、黄と茶色の世界である廃殻が、いつか目の前に広がるよう極彩色の世界へと変わる様を。そんなこと、起こるわけがないと、彼の級友や教師は語っていて、彼自身誰かが言ったその共通認識にのっとって生きていた。だけど今、風に撫でられた途端、考えが変わる。

 そんな世界があってもいいな、と。


 慌てた両親が駆けつけてくるまで、彼は穏やかに空を眺め、耳に心地よいその声音を聴き続けていた。

『それでは、未来の姿をご堪能ください。音声は――第五十八代太陽官、北辰アルナでした。ご清聴ありがとうございました』


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