5.2 上陸の苫小牧

 九木崎女史と松浦はランチに乗り移って埠頭に渡ってきた。朔月の甲板よりもずっと海面が近い。まともに飛沫がかかる。水滴が月明かりを受けて輝く。

 賀西が岸壁より一段低くなった船着場まで下りて二人を待っていた。

 暗闇では岸壁の輪郭もはっきりとしない。二人は足場をしっかりと見極めて陸へ飛び移る。

「なんでキューマルまで」九木崎女史は指の背で目の上をひと拭いして訊いた。それでもまだ頬や髪に水滴がいっぱいついている。「戦車がいても押さえにはならないだろう」

「え、心強いじゃない」賀西が答える。

「まあね、正面からぶつかるなら。でも逃げる肢闘は追えない」

「出られる機会に鍛えておきたいんでしょ、上は」賀西は水の入ったペットボトルを二人に渡して、指揮所にしているパジェロに向かって歩く。歩きながら話を続ける。

「輸送は」九木崎女史が訊いた。

「でき次第」賀西が答える。「戦車用のトランスポーターに載せます。一応スリングの用意もしてある」

 女史はキャップを開いて手に水をかけて顔を拭う。最後に一口飲んで閉じる。

「どこに収容する」彼女は続けて訊いた。

「機体だけなら中隊の工廠で面倒見れるだろうけど」

「確か山の下に掩体壕があったね。あれ、高さは」

「十メートルはないかな」

「そう、結構高いんだ」

「あれもともとサイロでしょ」

「あの形で?」

 松浦は途中で二人と分かれて自分のカーベラに乗り込む。隊内無線で打ち合わせをして、松浦機と檜佐機がスロープを囲むように布陣する。伸ばした両腕の下に三十ミリ機関砲の砲身。その先端上部にハンドガードと一体の砲剣が突き出している。

 私はまだ台車の上で控えておく。カーベラにも大した役目がないのにマーリファインでは立ったところで邪魔になるだけだ。データリンクやインターネットを介して周辺にいる味方の各ユニットの動き、政府対策室の様子、ロシア外務省や在日大使館の動きをモニタしておく。

 タグボートがドルフィンを岸壁近くまで引いてくる。兵士たちの構える探照灯が方々からその船体を照らし出す。朔月は船体を海岸線と平行にして湾口を塞いでいる。空には対潜装備のP3Cが二機旋回している。かなり遠巻きだ。さらに肉眼では見えない高度だが要撃のF15も高空に控えている。

 タグボートが回頭、惰性でドルフィンがスロープに近づく。水の中で泥が舞い上がる。沈んだままのドルフィン8が海底に擦ったのか。

 賀西が無線で改めて全体の配置を確認している。各部隊のリーダーが次々「準備よし」と返答する。

 松浦がドルフィン9と事前に申し合わせた周波数で呼びかける。

「こっちの準備はできた。君は水から上がる。その場で立ち上がる。一歩も動かない」

「火器を向けているんでしょう?」ドルフィン9が訊き返す。

「一応」

「立つ時に転倒したら撃たれる?」

 私は笑った。

「わからない。こんなに長い時間水に浸かっていたことがないから」とドルフィン。「とにかく撃たないで」

「まあ、やってくれ」松浦は言った。

 煌々とした探照灯の光の中、ドルフィン9がスロープから陸に上がってくる。まず水中で両脇の将棋の駒推進器とカウルをパージする。手を突き、大量の水を滴らせながら立ち上がる。その動作はとても滑らかだ。人間がそうするのとよく似ている。でもどこか違う。きっとその違和感は人間の肉体とF12の機体の構造の差から生じるもので、いま目の前にあるのはF12の構造にとって最も洗練された動きなのだ。それはやはり人体にとって最も洗練された動きとは異なるのだろう。

 とはいえドルフィンの懸念は当たった。最後の一歩を踏み出して足を水面に上げようとした時、脛の両側に妙に大きな波が立った。水の抵抗を忘れて素早く足を動かした感じだった。もうその直前からバランスを崩していたのかもしれない。反動で機体が傾き、左に一歩踏み出し、さらに大きく右足を踏み出した。それもまたF12の構造からすれば妥当な復原なのだろうけど、それがもし人間だったらどうかというと、やっぱり自然な動きではなかった。それどころか人によっては攻撃的な挙動にも見えたようだ。兵士たちが身構えるのが見えた。

「こちらの照準が見えるか」松浦が訊いた。

「右手?」

「そう」

「見える」

「そこまで移動してくれ」

 ドルフィン9は松浦の言葉に従う。数歩進み、立ち止まる。ぴたりと止まる。指先すら動かない。しかし目は何かを追っている。指示灯の光が小刻みに揺らぐ。そうか、歩兵の位置を確かめているのだ。ちゃんと兵士の姿が見えている。この暗さで、しかも相手は物陰に潜んでいるというのに、だ。指示灯の光線が刺さるから見られた方は少しばかりぎょっとするだろう。

「やっぱり綺麗な機体だよな」隊内無線で松浦が言った。

「そうだね」と檜佐。

 私は溜息。

 細くて、くねくねしていて、目つきは悪いし、私はあまり好きじゃない。

 それにしてもでかい。十メートル以上ある。随分明るく照らされているので細かいところまでよく見えるけど、腕と脚は猫脚椅子のように湾曲して細長く、上半身は正面から見るとほぼ逆三角形で、肩が前後に長く大きく、爬虫類的な顔立ちに後頭部の長い頭部。見たところ武装はない。手には何も持っていないし、固定武装も見当たらない。データベースに登録されているF12の情報と比較しても外見上はほとんど同じだった。中身が特別でも装備は普通なのだ。

 ドルフィンは危なげなく直立状態を保っている。

「操縦室を開けられるか」と松浦。

「真水をかけてくれれば」ドルフィン9は答える。

 松浦機と檜佐機が包囲を狭める。カーベラが踵をついた状態だとF12は二倍くらいの背丈がある。松浦の背後に隠れるようにして屈折放水車が近づき、アームを伸ばしてドルフィンの頭や背中をめがけて放水する。

「もう結構」ドルフィンは言った。

 放水を止める。

「開けてくれ」松浦は天板のハッチを開いて上半身を乗り出した。風に髪が煽られている。

 ドルフィン9は機体後部を開く。操縦室の背板と底部が分離して尾部天板の高さまで下がる。その部分の四隅をアームが支えていた。パイロットは下から乗り込むことになる。人の乗るスペースはあるが、人は乗っていない。

「檜佐、内部は確認できるか」松浦が訊いた。

「ちょっと遠いな。陰になってる」と檜佐。

「180度回頭してくれ」

 ドルフィン9は松浦の指示に従って回れ右をする。踵を軸にするのではなく足の裏を擦らないように足首と股関節を回転させて三度踏み替える。部品消耗に配慮した経済的な動きだ。あるいは地面を削らないための動き。戦闘機動ではない。

 コクピットの開口が陸側へ向いて探照灯に照らされる。人は乗っていない。空だ。F12には他に人を収容するスペースもない。やはり人間が動かしているわけではないのだ。少なくとも、生身の人間は。

 松浦は操縦室の上に乗り出したまま自分の機体を後退させてトレーラーまでドルフィンを誘導する。ドルフィンはコクピットハッチを閉めて大人しくその後に従う。一歩ごとに上体が僅かに左右に振れるが傾きはほとんど生じない。腰関節が巧く吸収している。松浦が横に避け、ドルフィンがトレーラーの真横に立ち止まる。

 その正面に百メートルほど離れて戦車二輌、左手に離れてもう一輌。正面とほぼ真右、海岸線の上空にヘリが一機ずつ。左右前方に散開して対戦車装備の歩兵。左手やや後方四十メートルに檜佐機、右真横に松浦機。檜佐と松浦以外の射線は海に向かって伸びている。流れ弾を気にせずに撃てる位置だ。海側も半径十キロまで封鎖してある。機体の繋留は人手でやるわけだが、ドルフィンが荷台に乗って横たわるまでは近づかない。

「あの車が見える? 敷地の外に停まっている」ドルフィンが小声で訊いた。無線でも発光信号でもない音声だった。その音量が届く範囲にいたのは松浦だけだ。ドルフィンは頭部をやや右に向け一対のカメラで対象を注視している。

 松浦はその視線の先にあるものを確かめる。コンテナやクレーンの間にできた小さな隙間から港湾施設の敷地を囲うフェンスが見える。その向こうに車が一台停まっていた。ほとんど暗闇だが機体の赤外線カメラなら捉えられる。

「そっちのスパイか?」と松浦。

「間違いない。どうしようかな。この状況で体の動きを封じられたまま移動するのは耐えられない。危険だ」

「あれを押さえればいい」

「きっと単独じゃない。せっかく出迎えてもらったところ残念だけど、あなた方の基地まで一人で行くことにする」

「ドルフィンが動く、撃つなよ」松浦が早口で無線に吹き込む。

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