5.3 踏み潰された316

 ドルフィンはその瞬間を狙ったように動き始める。足の裏でコンクリートが削れ火花が飛ぶ。左足を後ろに引きつつ上体を前に倒して左に出ると見せかけ、両腕を前に振って後ろに飛ぶ。その目の前を戦車の同軸機銃の火線が通る。数キロ先で銃弾が着水して点線のような飛沫を上げる。

 ほぼ同時に反応のいい兵士が中MAT(レーザー誘導式対戦車弾)をぶっぱなす。ドルフィンの背後、クレーンの足元で発射炎がフラッシュのように瞬く。

 しかし飛んでいった先にドルフィンの機体はない。代わりに松浦機が差し出した砲剣の刃があった。レーザー反射が遮られたためシーカーは目標を見失う。信管を遮断。MATの弾体は刃に弾かれて跳ね上がり、一度見失ったレーザーの微弱な反射光を探しながら海に突っ込んだ。鈍い衝撃の波動があって、海面が小さく丸く膨れた。

 ドルフィンは松浦機の前に出て戦車にまっすぐ向かっていく。戦車の砲口が小刻みに動く。直撃させるつもりはない。足止めを狙っているのだが、どちらにせよ後ろに松浦がいるので撃てない。

 檜佐がやや遅れつつもドルフィンと並走するように追撃を始める。

 私も戦車の真後ろにいた。ドルフィン9がこちらに向かってくる。クラッチを噛ませるが油圧の立ち上がりが遅い。腕が上がらない間にドルフィンは戦車と私の頭上を跳び越える。ここで逃がしたら始末が悪い。咄嗟に発煙弾を打ち上げる。一個がなかなかいいコースで飛んでいくが、ドルフィン9は機体を捻ってぎりぎりのところで接触を避けた。手足を振った反動だけでそれをやったのか。

 煙幕で視界が遮られるがレーダーならドルフィン9の姿を捉えられる。檜佐が追って私の煙幕を破っていく。ドルフィンとは違うコース、戦車の右手をすり抜ける。

「港を出る」と檜佐。

「構わない。追え」賀西。

 檜佐機に加えて上空からヘリ小隊が追跡する。ドルフィン9は港の敷地を出て道路と線路を越え、林の中に突っ込む。

 私は機体を立たせて様子を窺う。マーリファインの機動力ではとてもドルフィンにはついていけない。出て行くだけ無駄だ。松浦機も走ってくるが、外の道に出たところで止まった。彼が捜しているのはドルフィンではない。

 煙が晴れてそこに車が一台あるのが見えてきた。天井が上から押し潰されてキャビンがぺちゃんこになっていた。シャーシまで折れ曲がって前と後ろが魚のお造りみたいに上を向いていた。BMWの顔だった。

「これ、わかるか」松浦が訊いた。

「うん」私は答えた。

 ドルフィンは移送中に彼らが何らかの方法で自分に接触して毒を盛るとか、とにかくそういった細工を恐れたのだ。だからトレーラーに乗るのを拒んだ。でも私が驚いたのはバースからのあの距離で車の中にいる人間の顔が確認できたということだ。しかもそれが自分に危害を加えるおそれのある人間だということを。自分が上陸する前に日本に入っている母国の諜報員の情報を片っ端から調べて頭に入れておいたとしか思えない。それくらいのアクセス権限を持っているか、あるいはハッキングの腕があるということになる。

 辺りの様子を確かめる。煙幕はほぼ消えていた。歩兵たちは布陣を解いて辺りの警戒に移っている。戦車は一両が砲塔を海に、一両が陸に向けていた。

 海面ではMATの爆発の波紋が生まれたところに何匹も魚の影が浮かんでいた。衝撃で気絶したボラだ。状況確認のためにそのあたりを探照灯が照らしているわけだが、早くもカモメが集まってきて、着水したり低空飛行で掻っ攫ったり取り合いを始めていた。

 とにかくまずは檜佐を呼び戻す。機体を台車に戻して地上に降り、牽引車を切り離す。漆原が無線で賀西に確認を取って外のBMWを回収しに行く。ぐるっとゲートまで回り、潰れた車のリア側につけて後輪の前後を挟むようにフレームの下にワイヤーを通す。316tⅰとかいうたしか二〇〇〇年代の前半に出た2ドアのやつで、色は紺だった。キャビンはジャンクヤードのプレスにかけたみたいにぺしゃんこで、窓のあったところから覗き込んでも中に人間の体が残っているのかどうかわからないくらいだった。それでもフロント部分の損傷はさほど酷いものではなくて、前輪の軸は問題なく回りそうだった。タイヤもまっすぐだ。むしろハンドルが固まっているから牽引には好都合かもしれない。ワイヤーを牽引車のクレーンで吊って尻を浮かせ、そろそろと走り始める。交差点かどこか広場までゲートから離れる方向へ走って転回してくる。戻ってくるまでに辺りに散らばっている破片を拾っておく。まだ暗いので目が疲れた。

 牽引車でゲートを回って自分の機体のところまで戻ってくる。ちょうど松浦が隣の台車に機体を下ろしているところだった。彼は下りてきて台車のフレームに腰かけ、後頭部で手を組んで腕で頭を挟み込んだ。

「首がやばいかもしれない。ちょっと座らないんだ」

 MATを弾く時に急に機体を動かしたので鞭打ちか何かになったのだ。行動中にあえて生身を晒すような練度の人間がやるミスじゃない。

「ちゃんと診てもらえよ。首はやばいって」私は彼に言った。

「わかってるよ」

 さらに十分ほどして檜佐が引き揚げてきた。今度はフェンスを飛び越えるわけにいかないのでゲートから回ってくる。機体全体に露で濡れた葉っぱがくっついて迷彩模様のようになっていた。

「早かったね」私は言った。

「うーん。見失ったことには違いないんだけど、あんまり外に長居するとまずいし。ほら、あの辺が訓練区域ってわけでもないから」檜佐はハッチの上から早口に答えた。ちょっとハイになっている。

 やはり捕まえられなかった。ドルフィンは林の中へ消えた。森が深くなると上空からでもレーダーや赤外線が通らなくなる。とはいえ手続きをすっ飛ばして大規模な捜索を始めるわけにもいかない。これは賀西の判断だろう。深追いするのも、逆に全く追わないのもあとで非難の対象になりうる。無論両方を少しずつ受けるリスクもあるけど。

 しかしそれは私の問題ではない。賀西は他の指揮官たちと指揮所のテントの下に集まっていた。陸自の各部隊、それに海自艦隊の連絡将校。作戦前のブリーフィングと同じように持ち寄ったプラスチックやステンレスのカップにコーヒーの粉を入れ、お湯が沸くのを待ちながら立ったまま会議を始める。遠いので誰が何を言っているのかは聞こえなかったけど、師団司令部に連絡してこの後どうするか相談したのだろう。十分ほどで解散して賀西が潰れたBMWのところまで走ってきた。

「中は」賀西が訊く。小隊のメンバーでドアをこじ開けて車内を確認していたところだ。あまり人目に晒さない方がいいだろうということで照明は借りていなかった。各自小さなペンライトで作業している。

「二人いました」檜佐が答える。「死んでる。二人ともたぶん首の骨」

「他は? 逃げてないか」

「その車に乗っていたのは二人だけです。録画で確認した」相変わらず台車に座って休んでいる松浦が遠くから答える。

「他の車などは」賀西。

 誰も答えない。首を振る、首を捻る。

「うん。他の部隊にも確認してもらってるとこだけどおそらく誰も見てないだろうね。その二人の持ち物は」

「銃、財布、タバコ、それから電話」と檜佐。

「よし、持ち帰って調査にかける。銃は僕が預かる。あとは柏木、管理しておけ」

「あ、はい。……どうして私?」

「君が一番警戒心が強いからだ。取られるなよ」

「賀西さん、俺が預かりたい」と松浦が割って入った。小隊のみんなの視線が彼に集まった。

「どうしても?」賀西はテントの方へ向きかけていた足を戻して、手を下ろすついでみたいに自分の太腿を叩いた。

「はい」と松浦。

「その意気なら、まあ、いいかな。でも疲れている時の眠りを侮っちゃいけないからね」

「わかってます」

 賀西は走って指揮所に戻り電話をかける。相手は方面軍司令部だろう。追加の報告だ。その頭上で普通科がテントの骨組から天幕を剥がしている。

 松浦は車の横までやってきて一つ一つ丹念に確認しながら財布とタバコと携帯電話をまとめてジップロックに入れ、どことなく恨みが籠ったような手つきでその口をきつく丸めてから戦闘服の内側に隠した。

 海ではドルフィン8の引き揚げ作業が始まっていた。こちらも照明は最低限だ。ドルフィン9が海上で牽引に使っていたワイヤを牽引車のクレーンで吊ってスロープの水際まで引き摺り上げ、手隙の何人かが海水に浸かって機体の下にワイヤをかけた。施設科のクレーンが岸壁につけてアウトリガーをいっぱいに張って吊り上げる。クレーンの吊り上げ荷重は二十トン。日本の肢闘なら楽々上がるが相手の重さがきちんとわからないので横転抑止のために背後に戦車がつけて牽引用ワイヤーを張っておく。水から上がると機体の左側が抉れているのが明らかになった。この損傷のせいで浮上も自力航行もできなくなっていたのだ。

 ドルフィン9がパージしていった装備も同じやり方で揚陸して真水で洗いトレーラに積み込む。ただし陸送するのは装備だけだ。ドルフィン8の機体はスリング用のパレットに載せて幌で覆い、CH47で先に運んだ。まだ空は暗い。地上から見ると何かを吊って飛んでいるのはわかるが、それが何なのかは判然としない。

 帰りはプリメーラの後部座席に檜佐を間にして三人でぎゅう詰めに座った。少し潮の匂いがした。松浦が波を浴びてきたせいだ。乗り込んだすぐ後で檜佐がかなり念入りにファブリーズをかけたのだけど、それでも頭を跳ねられた雑草みたいにじわじわと復活して車内の空気の一割くらいを占めていた。

 走っている間はほとんど誰も話をしなかった。眠かったのだと思う。それでも私はしばらくの間ドルフィンのことを想像した。私が今こうして車に運ばれている間にもドルフィンはどこかの森の中をキツネのように駆け抜けている。素早く的確に頑丈な足場を見極めながら、身を屈めて木々の枝を避け、崖を上り、谷を渡る。その足に泥が跳ねる。細い山道を越え、電線を見つけては人目を忍んで電気を盗んでいるのかもしれない。とにかく見つからないことを一番に考えている。民家の灯りには近寄らず、車のヘッドライトが見えれば身を潜める。だから今この時に何かしら緊急の事態が生じるという予感は全くなかった。

 午前四時、空はまだ暗いが黄色い月はいよいよ西の稜線に落ちかかっている。車は揺れ、街灯の流れは催眠用の振り子のようにリズミカルだった。今ではもう心身ともに緊張が解けている。基地に戻るまでしばらくの間眠った。夜中のソーティのあとはどうしてもこうなる。

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