11.1 完全なるハードウェア

 土曜日になった。舞子が作った義体は中身のフレームが木で出来ていて、その上に微妙に色合いの違うシリコンを赤から白へ重ね、最後に極薄に削いだ鹿革を貼り付けて人間の柔らかさと肌の質感を再現していた。髪は顎くらいの長さで色はブルネット。材料の大雑把な加工以降は全部手作業だから、その点ではある種の人形工芸のような職人的な仕事だった。舞子はどちらかというと頭脳や論理よりもその手先を買われて九木崎にいるのだ。

 義体の体格は写真にあった母親を模していた。結構背が高いのだ。170センチくらいだろうか。関節は電気モーターで、フレームの木にチタン合金の管を埋め込んで配線を通していた。電池と循環器、栄養剤のボトルは胸から下腹部にかけて収まる。首筋には九木崎型の窩が取り付けられていた。

 十一時過ぎ、義肢研究室では舞子がベッドの上に義体を寝かせてパソコンからケーブルを繋いでいる。そこに松浦がケーキの紙箱を持って入ってくる。ほとんど吸い寄せられるように枕元に立って義体に見入った。

「どうしたの?」舞子が椅子をぎいぎい軋ませて振り返る。

 松浦は返事をしない。

「要くん?」

 二度目の呼びかけで松浦は顔を上げた。

「舞子さん一人?」

「移植は昼過ぎからでしょう。もうあとは調整だけだから」

「ケーキ。陣中見舞い」松浦はベッドを回って作業台の上に箱を置く。

「やった。開けてもいいかな」舞子も作業台の横まで椅子を漕いできて電極のケースや接着剤のチューブを奥に押しのけ、箱の口を押さえているシールを角から剥がしにかかる。

「舞子さんにはイチゴのパンナコッタ、と思ったけど、好きなの食べてよ。それで、進捗の方は」松浦は作業台の横に出ていた丸椅子に座る。

「今はきちんと体が動くかテスト中」

 投影器が二つ台の上に出ていた。タワー型PCより一回り小さい黒い箱。これと同じものが九木崎の肢闘全般に使われている。

「義体にもこれを使うの?」松浦はひとつ持ち上げて訊いた。

「そのつもり。彼女のためには今使ってるサナエフのを一緒に入れ込むのがベストなんだろうけど、作業時間を考えると投影器は替えちゃうのが早そう」舞子はシールの縁を少し折り返してケーキの箱を開ける。「おう、ほんとにたくさん入ってるな」

「作業時間って、配線の問題?」松浦は訊いた。

「だいたいね」

「本当に柔軟な機械だな。肢闘と義体だって全然別のものなのにさ、これひとつで両方動かせるわけで」

「要くんもケーキ食べて。余るから」

 松浦が選んでいる間に舞子はフォークと小皿を取ってきて彼の前に置いた。小皿はドルトンのアルカディアのソーサー。縁にロココ的な花の絵がついている。研究室にも客用のティーセットくらいならあるけどケーキ皿はない。代用だ。松浦はサヴァランをそこに取って自分の前に持っていく。

「それはさ、やっぱり投影器が完全なるハードウェアだからじゃないかな。ソフトが要らないから。もちろん端子の形の合う合わないはあるんだけど」と言って舞子は自分のパンナコッタにスプーンを入れて口へ運ぶ。「うん。美味しい」

「アナログで、機械的?」

「そう。すごく複雑ではあるんだけどね。例えば、ちょっと画面を見てくれない? これ、人間の脳からソケットに送られる信号を再現するソフトなんだけど」

 画面には人形のような立体モデルが映っている。舞子のマウスカーソルがモデルの目に触れると、その動きに従ってベッドにある義体の瞼が開いた。

「生身の人間が瞼を動かすには、瞼の筋肉と脳をつなぐ神経回路があって、そこに信号を送ればいい。信号といっても実態はただの電荷の移動の伝播だから、その中身に質的な差はない。信号の意味を変えるのはその信号がどの回路を通るかであって、投影器の入力系というのはその回路を電気的に再現しているだけなの。だから全ての人間に再現性があるのだし、機体と義体のスケールやプロポーションが異なっていても、対応するサーボに、つまり、瞼なら瞼に回路が繋いであれば、きちんと動かせるのよ」

 舞子は瞼に続けて顎、首……と全身の関節を動かしてゆく。

「ロシアと日本だと、端子の形が違うってだけじゃなくて、他にも色々規格の差異がありそうなものだと思っていたけど、前に確認してみたらF12のBMIは投影器とそんなに違わなかったね」松浦は言った。

「でしょう。投影器が機体のあちこちに送る信号って、生身の神経系から届いた信号をそのまま電気化したものだから、データみたいに形式があってそれが合わないと読めないということはないの。電流の微妙な強弱とか、もう、そういうレベルの違いじゃないかな。つなげるとこさえ間違えなければ、同じ種の動物なんだから」

「投影器が完全なるハードウェアだって、そういう意味?」

「うん。そういう意味。例えばそこに鉛筆があって、老若男女、人種、宗教を問わず、そこに棒状の物体があると認識できて、掴めと言われれば掴むことができる」舞子は机の上のペン立てを指さして説明する。「だから鉛筆は完全なるハードウェアだ。そういう感じ」

「じゃあ、投影器の使用に必要なソフトウェアがあるとすれば、それは人間なんだ」

「まあ、大雑把にいえば、間違いではないかな。形式がない分センスと訓練を要する、という意味では」

 松浦は顎に手を当てて何度か頷く。

「納得いかない?」

「いや。今まで疑問に思ってこなかったけど、いくら九木崎とサナエフが技術的に近しいといっても、単に端子の形を合わせて繋ぎ替えるだけで同じ感覚で体を動かせるというのは、それだけ融通が利くというのは、どういう仕組みなんだろうと思ったんだ」

「実は入力系はそんなに難しい話ではないのよ」

「え、じゃあ、出力系は違う?」

 入力系というのは、例えば、私が念じて機体の手が動く時に使う信号の方向だ。逆に機体のセンサーに映ったものを私が見るために使うのが出力系である。

「うん。入力系と出力系は全く独立した別物だと思って。入力系というのは、いわば、運動神経のアンプ、信号の増幅器に過ぎないのだけど、出力系は人間の受容器そのものなの」

「まさか、視覚野につながるところに人間の目玉が入ってるわけじゃない」

「うん。それは違う。だってカメラなら機体の頭についてるでしょう。だけど、幹体や錐体細胞に相当するものがセンサーから入った刺激と電気信号の間に挟まっている、という想像は近いかも」

「カメラの撮像素子だ」

「そう。それをデータ化して再生すると写真として人の目に見える。人の目はそれを光として受け取って、イメージとして受け取る。これだと間に二回処理を挟むでしょう。それに対して投影器の出力系は、データ化する前の、光を電気信号に置き換えたものを肉体のソケットに、そしてそこから脳の視覚野なりの電極に送っている」

「信号化の段階でどうしても形式が生じる」

「そうね。感覚受容細胞の働きを完璧にコピーすることはできない。できる限り近づけているけど、デフォルメは避けられない。別の形式に適応できるかは個人の脳の柔軟性に頼らなきゃいけない」

「形式があるにしては我々は人によってかなり違う見方をしているんじゃないかな。特に可視光以外の電磁波の捉え方なんか全然違うよ」と松浦。

「視覚情報をどこで処理するかは個人によって領域の位置が異なるし、同じ人間でも時間によって別の場所で処理することがある。新しい感覚への適応のために脳のどの部分を新しく割り当てるかも人それぞれ、ということだと思うの。このあたりは本当は鱒淵先生に話してもらった方がいいんだけど、とにかくその見極めと電極の設置のノウハウというのはとても教本化できるものじゃない」

「サナエフにはサナエフの流儀がある」

「そう。だから、変な言い方だけど、サナエフのBMIを含めて、投影器というのは脳ありきのものなのよ。脳の可能性にぶん投げているところが大きい。それ自体ではほとんど使い道がなくて、脳の道具になることで初めて意味を成すもの。木の棒と同じね。落ちているだけでは何の意味もなくて、誰かが拾ってから、杖になり、槍になり、そして、筆にもなった」

 舞子と松浦は残りのケーキを冷蔵庫に仕舞って食器を洗い、内線で九木崎女史の部屋に一言入れてから上着を着て義体を工場へ持っていく。義体が乗っているベッドはベッドとはいえ診察台のように面積が小さく脚に車輪がついているのでそのまま押していけばいい。エレベータで一階に下り、表から工場に回る。外はよく晴れて息が霜になるくらい寒い。枯れた田んぼ、空に薄雲とガンの編隊、そんな冬日和だ。

 工場の奥のスポットにドルフィンがいる。松浦が下から呼びかけると両目に環状の光が入った。

「義体が完成したよ」

 ドルフィンは義体を見る。カメラの絞りが動く。

「とりあえず繋いでみないか」松浦は訊いて相手を見上げる。でも返事がない。反応もない。「エウドキア?」

「ああ、はい」

「義体を接続してみよう。もしかしたら動かせるかもしれない」

「移る前の慣らしになればいいんだけど」と舞子。

 松浦がケーブルのリールを持ってキャットウォークに上がり、ドルフィンのコクピットに体を入れて生体モジュールの下に噛ませてある投影器のアダプタに一端を差し込む。ケーブルを引き出してもう一端を下へ垂らす。舞子がそれを受け取って義体の窩に差し込む。

「どう?」

 義体は微動だにしない。

「だめ。やっぱりナンセンスですよ。別の体にすっかり移ってしまうのと、今の体の外側に繋ぐのとでは、全然勝手が違うはずで」ドルフィンは弁明した。

「ぶっつけで移すしかないか」と舞子。

 松浦がケーブルを抜いてもいいか訊くと、ドルフィンは「もう少しの間そのままに」と答えた。

 舞子ももう一端をそのままにして階段を上り、キャットウォークの手摺からベッドの上の義体を眺める。少し口元が緩んだ。自分で作った義体の出来に感心しているわけだ。遠目に見たのは彼女も初めてなのかもしれない。

「ねえ、今までの換装だとどれくらいかけて新しい機体に順応していたの?」舞子はドルフィンに訊いた。

「だいたい一時間くらいで感覚がはっきりして、次第にあちこちを動かせるようになります。全力で動かせるようになるまでそれから二日程度、一週間もリハビリすれば馴染んで前の機体と同じくらい自由が利くようになる」

「今度はどれくらいでいけると思う? つまり、多少なり意思表示ができるくらい動かせるようになるまで」舞子はコクピットの下へ来てシートの背板に寄りかかって訊いた。

 ドルフィンはすぐに答えない。数秒の沈黙。「どうでしょう。……うん、丸一日くらいは様子見してください。自分でも全然見当がつかない。今までの機体はそれなりにフォーマットがあったから」

「機体コンピュータを経由するのでしょ?」

「はい」

「おおかたのソフトは解析して移植したし、システム構成もそれなりに似せたつもり」

「ええ、でも結構直感的にやってきたところもあるんですよ。きっと同じようにはいかない。手間取ると思う」

「大丈夫よ。駄目でも戻ってくればいい」

「戻ったら駄目だ。それは何の解決にもならない」

 舞子は何かの合図みたいにちょっとの間だけ唇を曲げて、それから手を伸ばして生体モジュールの扉に手を触れた。

 きっとドルフィンはその感触も熱も感じない。シートの奥についたカメラで舞子が何をしたかはわかる。ドルフィンにとってその映像は単に視覚だけのものなのだろうか。それとも触覚にも訴えるのだろうか。

 私なら感じるだろう。機体には触覚などない。必要ない。モーターにかかる負荷を通じて砲の重さや固さを感じることができる。それを私の脳は触覚として感じる。

 でもそれは生身の肉体に触覚が備わっていて、脳がその機能に対応しているからだ。機体にそれらしい機能がなくても応用できる。ドルフィンは違う。ほとんど生まれた直後から触覚を持たなかったはずだ。彼女の脳は触覚を知らない。だから触覚を求めない。それはきっと全く新しい未知の種類の刺激として彼女の脳に入っていく。その感覚に適応しようとするのは疲れるだろう。ある意味では人間に近づいていく。でもそれが彼女の脳の可能性を広げるとは限らない。ある種の制約が特化と飛躍を促すこともある。

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