10.1 ”決闘”

 それからおよそ二週間かけて義肢研究室が義体を制作する傍ら、ドルフィン9は九木崎式の投影器のアダプタをつけてあらゆる機械への適応を試した。それはあり合わせの義体だったり、私が試しに作ってもらった尻尾のようなアームであったり、倉庫から引っ張り出してきた九木崎の古い肢機であったりした。私たちもそういった機体の出し入れに何度か駆り出されてしばしばそのままドルフィンの試行錯誤を傍観していたけど、でも結局ドルフィンは何も動かすことができなかった。機体はまるで墓石のようにびくりとも反応しなかった。

 九木崎女史はその状況を考慮してF12の性能試験を前倒しに行うことを提案した。もともと生体モジュールを取り外した後に九木崎式の投影器を噛ませて私たちでテストをする予定だったのだ。ただオプションとして、F12の最大性能を引き出す項目については義体に移ったあとのドルフィンにも操縦を試してもらう予定だった。F12の動かし方はドルフィンが一番よく知っているはずだった。だから義体にも窩を設ける。しかし実際にこれほど外部感覚への適性が低いのでは、元の機体を自分の身体であった時と同じように自在に動かすのは不可能だ。それどころかちょっとだって動かせるかどうかも怪しい。つまり、あとに残るのはエウドキア・ロプーヒナと一機のF12であり、ドルフィン9の半分ではない。ドルフィン9は永遠に失われてしてしまうのだ。女史が言いたいのはそういうことだった。それだけドルフィンという生命体の存在は九木崎にとっても魅惑的なものだったし、ドルフィン9の外部身体への適応力の低さは予想外のものだった。そしてドルフィン9自身もそれをよく理解していた。

 結局ドルフィン9が再び工場の外へ出たのは二回目の月曜だった。F12が搭載しているコンピュータやセンサー類のスペックは九木崎や中隊の計測で粗方わかっていたから、実際に動かして調べるのはもっと実戦的な側面だ。まず演習場に出て走破性や電池の持ち、センサー系の感度や性能を見る。それから特科隊が射爆場を予約している日に相乗りして火器管制系、機体構造、反動制御なんかを見る。内容はカーベラが初めて配備された時のテストとほとんど同じだった。そして最後にカーベラを相手取って機動戦の総合性能を確かめる。チキショウ、また肢闘対肢闘だ。結局身内でやるにはそれが一番手っ取り早いんだ。それは爆撃機と爆撃機にドッグファイトさせるようなとってもナンセンスなことだって私は何度も主張しているのに、誰も耳を貸しちゃくれない。

 ともかく。

 ドルフィンを動かす時には見守り役として松浦が同乗する。投影器は接続しない。ハーネスで体を縛ってツタンカーメンのように自分の両肩を掴んでじっと踏ん張っているだけだ。ちなみにドルフィンのコクピットブロックは生身の人間が乗るタイプのF12と違う造りになっているだろうから乗り心地や操作性は評価しない。

 F12のデザインはカーベラによく似ている。見かけの話ではない。機体の構成が、という意味だ。上半身に砲塔としての機能を残しつつも全体としてはかなり人間に近いプロポーションをしている。大きく違うのは動力系で、どちらも動力源は蓄電池だが、電気モーター・プランジャーを駆動に使うカーベラに対してF12は尾部に油圧ポンプを載せている。電気でポンプを回して全身の屈伸関節を油圧で動かす。これはどちらかといえばマーリファインと共通する部分で、F12の方がその分カーベラより重くエネルギー効率は悪いが、負荷時の電力消費は少ない。冗長性を重視した造り。頑丈という言い方もできる。なんというか、ロシア製の兵器というのは全般的に、地面に叩きつけて泥まみれにしても平気な顔をしてきちんと稼働している印象がある。見かけだけはすらっとしているけどF12もきっとそんな性格の兵器なのだろう。

 最後のテスト。やはりよく晴れた昼だった。真っ青な空の手前に小鳥のつがいの影が絡み合うみたいにしてひらひらと舞っていた。最初の一戦は私は観客だった。横に牽引車が並んで、小隊の連中がサッカーのベンチみたいに一列に並んで観戦していた。鹿屋もいる。腕を吊っているが元気そうだ。寒いのでみんなペンギンみたいに首を縮めて顎をダウンの襟に深く沈み込ませていた。

 ドルフィン9と檜佐機は演習用のレーザー発信機を砲につけて1キロ少し離れる。ロシア機の規格に合う砲のマウントがないのでドルフィンは照準器とレーザーだけ腕に括りつけている。

 檜佐はスタート地点まで機体を移動させながら各種センサーをテストする。赤外線観測装置の視野は地面の積雪と樹冠が明るく、その間の暗い層の中に鳥やリスなどの小さな生き物の体温が輝点になって映る。レーダー・オン。周りが林なので電波が攪乱されてほとんどノイズまみれ。それでも時折瞬間的に鋭い反射波が返ってくる。ドルフィンや私の機体、牽引車に当たった電波だろう。基地の建物群まで飛んで行った波はもっと背景に引いている。電力消費を抑えるために十秒ほどでオフ。

 対してドルフィンの対レーダー警報装置は檜佐機のレーダー波を捉えて時折短く低いブザーを鳴らす。ドルフィンはまだレーダーをつけていない。状況開始の合図で全てを始めるのがロシア式の流儀なのだろうか。あるいは純然な試合としてフェアにプレーしようと思っているのかもしれない。どちらにしろ演習が始まる。F12のレーダーは額と両肩の三点にある。一基の素子面積は小さいが各基の情報を合成することによって擬似的に大口径のレーダーとして機能する。それが一度に起動し広角走査、木々の間に隠れている檜佐機を探し当てる。ノイズは酷いがその中にも確かに意味のある像を結ぶ。動いている。その動きによって輪郭がはっきりする。ロック。単一目標追跡に切り替わる。檜佐機の警報装置が照射を知らせる断続的な低音から追尾の点滅音に変わる。

 ドルフィンは腕を上げ、檜佐機の移動方向に一撃、合わせて回避方向に一撃。しかしまだ遠い。

 檜佐は増減速して予防回避、演習装置が示す弾道とレーダー波の方角から相手の位置を予測して砲身を向け、レーダーを自動捕捉モードで起動、すぐにロック。

 しかし中長距離では偏差予測より回避機動の猶予が大きいので互いに直撃判定が出ない。次第に距離が詰まり、相手の機体の輪郭を可視光カメラでもはっきりと捉えられるようになる。同時に機体の旋回とレーダーの走査角度が相手の機動の角速度に追いつかなくなる。檜佐はレーダーをオフにして可視光に集中する。事故を避けて林を抜け、ドルフィンもそれを追う。

 二機が雪原に出てくる。二機ともほとんど走らない。速度が乗ると慣性を殺せなくなるからだ。小刻みに精密な機動で相手の射線を回避する。でも自分の射撃は当てたい。だから近づく。そして観客の前でほとんど格闘戦の激しい機動になる。ほぼ組み手の間合い。互いに相手の射線を潜るように避ける。

 ドルフィンが檜佐の肩を掴んで飛び、縦に回転して背後を取る。腕を突き付ける。

 ドルフィンのコンピュータにインストールした演習用のプログラムが檜佐機の撃破をコール。それで決着だった。

 その場で二機が静止する。地響きとモーターの唸りが消失する。

 確かにアクションとしては見応えがるけど実戦でこれをやったら横から二機まとめて戦車砲か誘導弾にぶち抜かれるのがオチだ。一か所に留まったまま目立ってはいけない。しかし実際そうなった時の結末を知りたいから近距離で会敵して誘導兵器もなしという状況設定をしたのだ。つまりこの試合を考えた人間はF12の性能を見たかったわけではない。ドルフィンの機体捌きを見たかったのだ。

 私はコクピットハッチから浅く乗り出して天板の縁に頬杖を突き、二枚貝みたいに天蓋を頭の上に乗せていた。下から空調の温かい風が来るのであまり寒くない。

 檜佐も天蓋を開けて操縦室の上に体を出し、「今のすごいね」と言いながら手を叩く。肉声でも届く距離だけど無線も開いている。二つの音源でサラウンドだった。「実戦で当たっても勝てないなあ」

「伊達にこの体で生活してない」とドルフィン9。機外スピーカーから。

「君が敵じゃなくてよかった。ところで要くんは平気? 結構G貰ったんじゃない」

 檜佐が心配するのも無理ない。マーリファインと同じレベルの固定で何倍も激しい機動に揺さぶられたのだ。

 松浦もドルフィンの天蓋を開けて顔を出す。首に嵌めていたギプスを外す。「平気だけど、ちょっと加減してもらった気がする。横の動き出しが少し緩いんだ。この機体の出力ならもっと瞬発力があると思うんだけど。青藍さん、Gの瞬間と平均、測ってましたか」

「機動時の平均で4・2、最大12だけど、これは飛び上がる時だね。あとも高いのは軒並み前進の時だ。左右方向で一番高いのは6G、あのね、きっかり6Gだ。どの機動の時も6Gで頭打ちになってる」

「あはは、じゃあ私と戦いながら人のこと気にかけてたってことだ」と檜佐。例に漏れずちょっとハイになっている。

「それか腰関節の構造的な制限とか」と私。機体のスピーカーでみんなに聞こえるように言う。肉体の口は動かしていない。

「ああ、なるほど、その線もある。この前の検査の感じだと限界はもっと上なんだけどね、F12の運用制限がどうなってるのか」九木崎女史。

 ドルフィンは何も言わない。黙っている。

 二機が牽引車の横に戻り、腰を下ろして駐機姿勢をとる。短い点検とパイロットの休憩を挟む。私も座りっぱなしで尻が痺れてびりびりしていたので一度下へ降りた。

 ドルフィンの下に集まって二機の比較話を五分ほどしてから二戦目に戻る。次はドルフィンとAI機の決闘だ。このあいだ、つまり駐屯地に自力で潜り込んだドルフィンを松浦が見つけたあと二機が鉢合わせした時の続きだ。当然私のカーベラにインストールしてある自律機体制御プログラムを使うのでそっちは私が見守りをすることになる。松浦は引き続きドルフィンに乗る。

「前のテストの分だとこっちに勝ち目ないよなあ、これ」とぼやきながら私もハッチを閉じた。

 ところが結果は違った。試合の展開は(あえて試合と言うが)檜佐の時とほとんど同じだった。遠距離では全然決着がつかず、接近戦に縺れ込む。そして最終的に自律機がドルフィンのレーザーをつけた右腕を押さえ込んだ。あくまで感触だけど両機とも機体の性能をかなり限界まで引き出していたと思う。観客席から見るとちゃんとした映画のバトルシーンと同じくらい迫力があって、でも全然人間同士の動きには見えなかっただろう。肢闘の機体に適した動きというのはやっぱり人体とは違う。カーベラの目はドルフィンの妙な身のこなしを見ていたし、窩から入ってくる機体感覚はカーベラの妙な動きを伝えていた。

 だいたい接近戦に入った途端からカーベラの動きは違っていた。加速度のかかり方が違うのだ。今までにも機体コンピュータが自律制御でどれくらい機体をぶん回すのかって趣旨の試験はあった。でも今度はそれ以上だ。前の動作の惰性から次の動作に移るまでの遊びが0・5秒ずつ短い、そんな感じだった。自分の意志とは関係なく振り回される不快感や酔いとは別に、荷重のせいで苦しいと感じた。シートのクッションの間に挟まれていてもGの方向へ自分の体や血液が流されるのを耐えようと無意識に力んでいた。操縦室の側壁が破れて自分の生身が放り出されそうな恐怖に駆られた。自分で動かしている時はもっと激しい動きもしただろうけど、それでもこんな感覚は初めて体験するものだった。

 前に乗った時はそんなえげつない判断ができるほどのプログラムではなかった。もっともっさりして従順な感じだった。何が変わったのか。簡単な話だ。プログラムそのものが変化したのだ。プログラムに従って機体コンピュータ自体が学習したという程度の変化ではなかった。誰かが変えたのだ。

 百メートルほどの間合いからカーベラはドルフィンに向かってまっすぐ突っ込む。胴体が地面に突きそうなくらい前傾して重心を前に出し、細かく腕を振って射線をずらす。さらに時折砲剣の先で地面を突いて軌道を変える。突かれた雪と土くれがドルフィンの方へ飛んでいく。砲尾のロックを外して肘関節で衝撃を吸収している。その分こちらからは撃てない。

 ドルフィンもそれを隙と見て距離を詰める。

 カーベラは足先を前に出して減速、左へ切って横っ跳びに低く横回転、ドルフィンは懐に入られるのを嫌って左の深い踏み込みから機体でカーベラの左肩を押え込みつつ左腕でカーベラの右手を押さえて射線を逸らす。互いの塗装が削れる嫌な音。ドルフィンの右手はカーベラの機体に向いているが近すぎて射撃不能の判定。砲身の長さも設定してある。

 カーベラは押さえられた左の砲剣を地面に立てて脚を後ろに振り、その反動でドルフィンの背後に回る。

 ドルフィンはその動きに気づいて右手でカーベラの機体を押しのける。

 体勢を崩したカーベラは後ろに宙返りしてその着地でジャンプ、振り向きざまのドルフィンの射線を避ける。その頭上を越えながら砲を下に向ける。

 ドルフィンはカーベラの腕の動きを見ながら直行方向へ踏み込んで回避、カーベラは着地と同時にドルフィンの旋回から逃げるように進み、砲剣で機体右側の地面を引っ掻くようにして無理やり機体の向きを変えた。滑った足の下に太い轍が残る。

 カーベラの射線がやや下方からドルフィンの右脇に突き刺さる。

 そこでドルフィン撃破の判定。カーベラには砲剣のアドバンテージがあった。それを存分に活かした勝ちだ。

 決着がついた後、機体コンピュータはホテルマンみたいに忠実に機体を駐機位置に持って行こうとした。でも私は機体がまっすぐ立って二歩くらい進んだところで制御を奪って動きを止めた。しばらく前後に揺れながら静止する。

 シートを戻してハッチを開く。真っ青な空が鏡の世界に繋がる穴のようにぽっかりと現れる。そこへ向かって重力に引かれて吸い出されようとしているような感じ。手摺を掴んでしっかりと体を支えながら這い出る。自分の周りに世界が広がる。その瞬間私は完全に平衡感覚を喪失した。目が回っていたのだ。それと同時にまるで自分とは別の小さな獣みたいに猛烈な勢いで胃や食道が中身を吐き戻そうとしているのを感じた。腹の底から舌の根っこまでの一帯が私の制御から完全に離脱していた。そんな勢いを殺すことはできない。どうにか口を固く結んで両手で押さえ込んだ。手を使ったせいで私の体は支えを失って操縦室の中に滑り落ちる。シートの座面にしゃがみこむような体勢で着地した。

 口の中いっぱいに広がった反吐をどうにか飲み下して、ちょっと掌についた分も見たり匂いを嗅いだりする前に舐め取った。喉の奥が胃酸にやられてひりひりした。舌で口の中を拭って何度も唾を飲み、咳をして気管の入り口をきれいにする。早く何か、牛乳でも飲みたかったけど、普通こういう試験だけの時は機内にドリンクを持ち込まない。

 なんだか頭痛も残っていた。少し調子を整えてから改めて顔を出す。

 ドルフィンはまだ負けた時の姿勢のままその場でじっとしていた。操縦席も閉じている。松浦に何かあったのか? でも問いかけの無線に本人が大丈夫だと答えていた。元気そうだ。

 しばらくしてドルフィンが立ち上がり、松浦も天蓋を開く。やはり三半規管がやられたようで首を振ったり目の間をつまんだりしていたが、私ほど体調を崩した様子ではなかった。私は一戦目、彼は二戦目なのだが。

「大丈夫か?」松浦が私に気づいて訊いた。

「ああ」答えた時にまた少し喉の奥でえずきかけた。

 松浦は何も訊かずに私を見ていた。私が睨み返すと目を逸らした。

 カーベラを牽引車の横に座らせる。自分で操縦室から下りられるか不安だったので投影器のケーブルをリールから引き出して機体の手で自分の生身を掴んで下ろした。電源を切って最後にリールを巻き取る指示を出して栓を引き抜く。ケーブルはのたうち回りながらするすると操縦室に戻っていく。そんな降り方はマニュアルにもないし私もそうそうやらない。だから見ている方は不審がるだろうけど、それでも他人の手を借りて降りる方がずっと無様な気がした。とにかく怪我でもないのにこんなに体がだるいのは本当に初めてのことだった。

「顔色悪いよ」何人か下で待っていて、檜佐が言った。

「何か飲み物ない?」私は訊いた。

「何がいいの?」

「なんでも」

「私の」檜佐は水筒を差し出す。

「何?」

「紅茶」

 紅茶と訊いて真っ先にあの渋みを想像した。でも口に入れてみるとそれはミルクティーだった。しかも甘かった。そのおかげで喉のいがいがはだいぶ楽になった。

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