7.仕方ないなぁ

 くすんだシンクの前に、傾いたテーブルがある。マグは、その一本だけ短い脚の下に雑巾を敷いたり、しこたま新聞を突っ込んだりしながら高さを調整する。端から端へ天板の傾きに目を走らせ、やがて空薬莢をそっと卓上に載せた。それは二度、三度と左右に揺れて、ぴたり。止まった。


「やった!」


 喜色満面、マグは手を打ち鳴らした。テーブルに清潔なシーツを拡げ、そこにごとりと拳銃を置いた。各種道具をそろえ、いよいよメンテナンスに取り掛かろうかというときだった。依頼人との話を終えたストックが、のっそり姿を現した。


「明日はちょっと出ることになりそうだ。銃の手入れは問題ねぇか?」


 世の中には、勉強中に勉強しなさいと言われて怒る子どもがいるという。ストックは親ではないが、彼らの気持ちはよくわかった。マグは唇を尖らせた。


「いちいち覗かないでよ。ストックのえっち! せっかち! ケツカッチン!」

「なんだそりゃ……。とにかく手抜きすんじゃねぇぞ」

「りょーかい、りょーかい、モーマンターイ!」


 シッシと追い払う仕種をすると、ストックは舌打ちをひとつ置いて出ていった。

 マグは溜息をついた。戸口にちらちら目をやって、ストックの戻ってくる気配がないのを確認すると口許を綻ばせた。勝利の喜びに酔いしれたのではない。ほんとうは嬉しいのだ。こうして仕事を任せてもらえることが。


 ふと目を閉じると、天井のシミを数えるばかりの日々が蘇ってくる。ここに来たばかりの頃の記憶。ストックやバレルが危険な仕事をしている間、過ぎていった無為な時間だ。マグは何の役にも立たなかった。それを望まれてさえいなかった。ただソファに座っているだけで、満足な食事を与えられ、強請ってもいないのにピンクの衣服を買ってもらえたのだ。


 マグにはそれが苦痛だった。自分が無力だとは解っていたけれど、守られるのはうんざりだった。いつも誰かに守られてきたから。役立たずの自分なんて大嫌いだった。


 けれど、ある時。

 ストックが言ってくれた。

 これやる、と卓上にピンクのキャンドルを置いて。


『人手が足りなくなった。お前、手伝え』


 あれからマグは役立たずではなくなった。依頼人と殺し屋を仲介する死神の使いメッセンジャーになった。ストックの相棒になった。部屋の掃除は面倒だし、道具の手入れは手が抜けない。依頼人の名前なんてしょっちゅう間違えて叱られる。けれど、それら全部がマグの仕事だ。前回の依頼では、依頼人の口添えがあったとはいえ、新しい仕事まで任された。


「エヘヘ」


 真っ白なシーツに置かれた銃を眺め、マグは目を細める。

 近頃、お気に入りの歌がある。

 銃のメンテナンスに取り掛かりながら、マグはその歌を口ずさんだ。



 Lean on me,when you're not strong

 ぼくを頼ってよ くじけそうなときは



 すると、そこにまたストックが顔を出した。なにかと思えば蝋燭を買ってきてくれと言った。

 マグはむすっと頬を膨らませて一転、仕方ないなぁと破顔した。



                           〈ひとり舞台(了)〉

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