第27話 ぽかぽかラーメン


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 文化祭が終わって一週間が経つと、あわただしさが懐かしく思えるくらいになっていた。終わった直後の余熱を帯びた空気もどこかへ消え、穏やかな日常に戻りつつある。


 きょうは久しぶりに、満水さんと放課後にでかける予定だった。


 ここしばらく、放課後は文化祭準備に時間を取られ、ふたりで遊びに行けておらず、ふたりしてずっと「どこか行きたいねー」と話し合っており、文化祭も終わってようやく落ち着いてきたので、以前に話していたラーメン屋へ行くことになった。


 昇降口で満水さんが来るのを待つあいだ、僕はスマホでこれから行くラーメン屋までの道順と情報を確認する。学校から数駅先、前に沼たちとカラオケに行ったところに評判のよさそうな塩ラーメンのお店がある。ただ、営業時間が区切られており、いまから向かうとお店が開いていない可能性が高かった。


 大きめの駅なのでなにかあるだろうし、そこらへんで時間を潰してからでもいいかな、と思っていたら、ぽんぽんと肩をたたかれた。僕はそちらへ振り向くと、だれもおらず、目線を下に向けたら、しゃがみこんでいる満水さんがいた。


「あれ。おかしいな。だれもいないなー」

「いるよー」

「云っちゃダメでしょ」と僕は笑った。「行こうか」

 満水さんがほほえみながら立ち上がった。「行くお店決めた?」

「うん。ただ、いまからだと開いてないかもしれなくて。向こうで時間潰そうかなーって」と僕は歩きだした。

「どこにあるの?」

「前に行った、カラオケの近く」

「あっ、そうなの? じゃあ歩いて行かない? 実はわたし、まだそんなにお腹空いてないんだよね」

「いいよ。きょう天気もいいし、のんびり行こう」


 校門を通り、駅の方面へ向かっていく。きょうは雲ひとつない快晴で、朝方はすこし寒く感じたけれど、昼下がりはブレザーを着ていてちょうどいいくらいの気温だった。肌に当たる風も歩いていると心地よく、鼻で息を吸いこむと身体の内側が浄化されるような気さえする。


「ねえねえ、週末って暇?」

「暇、かな。特に予定もないし」と僕は云った。「どこか行きたいところあるの?」

「ずっと前に話した、恵大の家の近くにある、池? 見に行きたい」

「萩ヶ池公園?」

「そうそう、そこそこ。涼しくなってきたから、散歩するのにいいかなーって」と満水さんが上を見ながら云った。

「そうだね。あ、じゃあそこでお昼食べない?」

「ん、いいよ……あー待って」と満水さんおでこを触った。「思いだした。そういえば、そんな話もしたね……」

「いや、でも。めんどくさかったらぜんぜんいいよ? 買ってもいいし」

「おかずは無理だけど、おにぎりだけでいいなら。でも期待しないで。ほんとに。マチに練習したやつ食べてもらったんだけど、下手すぎって云われて……」

「作ってくれるだけでうれしいです……」


 僕は口元を触った。まさかほんとに練習しているとは思わなくてにやけそうになってしまう。でも喜びと同時に、今後は気をつけないといけないな、と思った。僕にしたら何気なく発した言葉が、満水さんにしたら負担になるような言葉として受け取られてしまうことだってあるかもしれない。付き合って日を重ねて、すこしずつ恋人同士の関係に慣れてきてはいるけれど、そういう心遣いを忘れないようにしたかった。


「いまから行くところ、塩ラーメンが有名らしいよ」

「そうなんだ。他になにか美味しそうなのあった?」

「写真で見たなかだと、ゆず塩ラーメンとか美味しそうだったかな」

「調べていい? お店の名前教えて?」

「あ、待って。さっきまで調べてから、ページ残してる」と僕はポケットからスマホをだした。「はい。見てていいよ」

「ありがと。あ、へーほんとだ。いろいろある」


 満水さんが画面を見ながら歩いていく。大通りからはずれた住宅地の細々とした小道だったけれど、そこそこ車の量が多く、歩きながらスマホを見ていると危ないなと思ったので、僕は満水さんの肩をちょいちょいと引き寄せた。


 満水さんがにこにこしながらこちらを見上げてくる。男性が車道側を歩くとか、そういう暗黙のルールのようなものを意識してやったつもりはなかったけれど、無意識だったものを自覚してしまって、ちょっとだけ恥ずかしくなってしまった。


「右側と左側、どっちが好きとかある?」と僕は照れ隠しで口を開いた。

「えー特にない」と満水さんが笑った。「でもどっちかって云えば左かな? なんとなくだけど」

「あー。たしかに左率高いかも」

「右手でつないでたほうがなんか安心するんだよね」

「そっち側も悪くないよ」と僕はほほえんだ。


 満水さんと週末の日程などを話し合いながら道なりに進んでいく。目的の駅が近づいてきて、僕は返してもらったスマホで場所を確認した。案内するように前を歩いていくと、駅から離れた道路沿いに『彗』というラーメン屋さんがぽつんとたたずんでいた。


 外壁はむきだしのコンクリートで、真っしろな暖簾に店名が書かれ、入口の戸は一枚ガラスになっている。なかをのぞくと、カウンター席にずらっとお客さんが並んでいて、その奥にテーブル席が見えた。入り口の近くには小さめのボードがおかれていて、いくつかメニューがのっている。ラーメン屋とは思えない清潔感のある外観で、僕は若干緊張しながら暖簾をくぐって戸を開けた。


「いらっしゃいませーぃッ!」


 店員さんのひとりが声をかけると、残りの店員さんがあとから遅れて声をかけてくる。


「さきいいよ」

「ありがと」


 入ってすぐ横に券売機がおかれていて、満水さんが千円札を入れて塩ラーメンのボタンを押す。いろいろ美味しそうなのはあったけれど、最初なので冒険はせず、オーソドックスなものを注文することにしたらしい。


 僕も同じく塩ラーメンと、気になったので餃子を注文し、空いている席を探していると、調理場から黒いTシャツを着た若い男の人が「カウンター席空いてないので、奥のテーブル席でもいいですか?」と訊ねてきた。僕らは同時に「はい」と返事をして奥へ進んでいく。


「けっこう混んでるねー」と満水さんがカバンを椅子においた。

「人気みたいだね」と僕は坐りながら云った。「でも逆にテーブル席に坐れたからよかったのかも」

「だねー。わたし食べるの遅いから、こっちのほうが落ち着く」

「遅いかな? ふつうだと思うけど」

「恵大も割とゆっくりだよ」と満水さんが云った。「マチとお母さん、食べるのすごいはやくて。いっしょにどこか食べに行くと急かされてる気になるんだよね」


 話している途中で、男性の店員さんがやってくる。おしぼりと、水の入ったグラスをおき、券を回収していった。


「これ食べたら夕飯食べられなくなりそう」と満水さんが組んだ腕をテーブルにおいた。

「僕、きょうはすくなめでいいって連絡しておいた」

「わたしもそうしよ。お母さんにラインしていい?」

「どうぞどうぞ」


 満水さんがブレザーのポケットからスマホをだし、両肘をつきながら操作する。僕は水を飲みながらほかのお客さんのようすや店内に張られたメニューなどを見ていたら「なにこれもー」と満水さんが軽く笑いはじめたので、そちらへ顔を動かした。


「どうしたの?」

「お母さんが、証拠にラーメンの写真撮ってきなさいって」と満水さんが画面を見ながら云った。「ついでにだれと行ったかもわかるようにだって。はい無視」

「ピースしたほうがいい?」と僕は笑いながら云った。

「まさかのノリノリ」と満水さんが笑った。「じゃあ、あとで撮らせて」


 満水さんがスマホをテーブルにおき、両肘をつきながら両手を顎に乗せる。その姿を背もたれに身体をあずけて何気なく眺めていたら「なに?」とほほえみながら云ってきた。


「え、いやなにも」と僕はつられて笑ってしまった。

「そう?」と満水さんがにこにこしながら云った。「ね。にらめっこしよ」

「突然だね。まあいいけど」

「いくよー。はい」


 満水さんが真剣な顔に切り替わる。僕は前屈みになって、真顔でじっと満水さんを見つめた。こうしてまじまじと見つめ合うことってあんまりないので、細かいところに目がいってしまう。すこしつり上がった目は奥二重だったり、左の涙袋の下に小さなほくろがあったりと、いろいろな発見があった。


「ふっ、……、っ、っ」と満水さんが両手で顔を隠しながらくつくつ笑いだした。「ダメだー。負けたー」

「にらめっこなら真癒子に負けない自信あるなー」と僕は笑いながら云った。

「もーやらない。はぁー」


 満水さんが前髪をちょこちょこなおしながらグラスを持ち、水を飲んでいる途中で「お待たせしましたー餃子です。熱いのでお気をつけて」と男の店員さんがテーブルに餃子と受け皿をおいた。楕円形のお皿の上に並んだ餃子たちは、きれいな焦げ目のついたハネがくっつき合っていて、漂ってくるにんにくとシソっぽい香りをかいでいると、唾液がじゅわっとあふれてくる。


 僕はテーブルの端にある箸入れから割箸を取りだし、満水さんに渡した。


「いっしょに食べない?」

「食べる食べる。はい」と満水さんが受け皿をおいてくれた。

「ありがとう」


 受け皿に醤油と酢を半々くらいで入れていたら、満水さんは酢とラー油を入れていった。ハネを箸で割ったら、パリパリと音が立って、箸で持ち上げると、身の詰まったずしっとした重さが指にかかる。


「すごい。でかいね」と満水さんがじっくりと見ながら云った。

「絶対、熱いよねこれ」

「だね。お先にどうぞ」

「では」と僕は餃子を醤油とラー油に軽くつけた。「ぁ、っは! ぃ……はっ、はーぁ、……」


 僕は顔をしかめつつ、口を手で隠しながら息を吐く。かじりついた瞬間、吹きだしてきた肉汁で口のなかが火傷したかと思うくらい熱かった。口から熱気を逃がしてみたもののぜんぜん味わえなくて、美味しさがまったく判断できない。


「熱そー。水飲んで水」


 僕はこくこくと何度かうなずく。なんとか飲みこむと、水をぐいぐいと飲んで空気を思いっきり吸いこんだ。


「だいじょうぶ?」

「小籠包クラスの爆弾だった」と僕はおしぼりで口を拭った。「ちょっとだけ待ったほうがいいかも」


 ふたりで息を吹きかけながら餃子を食べていると、メインの塩ラーメンがやってきた。ごま油だろうか、ちょっと香ばしいにおいが漂ってくる。透き通ったスープはほんのりと色がつき、波打つ細麺はきれいに横にそろえられ、刻みねぎが中央にふりかかり、端にチャーシューと海苔がのっていた。僕の知っている家庭的な塩ラーメンとぜんぜん違い、無駄なものがそぎ落とされ、箸で崩してしまうのがもったいないと思うくらい品のある見た目だった。


「いただきます」


 満水さんが手を空わせてからレンゲでスープを一口すする。このお店に連れてきた手前、自分が作ったわけでもないのに、味の感想が気になってしまい、なんだか緊張してきた。


「はぁー。美味しー」

「ほんと? よかった」


 強ばった肩の力が抜け、僕も「いただきます」と云って自分の分に手をつけはじめる。軽くスープをすすると、舌から血管へ直接栄養を注入されたみたいに、旨みがじんわりと身体に染み渡っていった。ラーメンを数多く食べていないので、なにでダシをとっているかとか、専門的なことはなにもわからないけれど、これならいくらでも飲めると思えるくらいに美味しい。


「あ。写真撮らせて」

「そうだった」


 満水さんがスマホを構え「はい。ちー」と云ってきたので、僕は簡単にポーズをすると「ず」とシャッター音が鳴った。それをおそらくお母さんに送っているのだろう、軽く操作してからスマホをテーブルにおく。


「ありがと。食べよ食べよ」


 満水さんが髪を耳にかけ、箸で麺を持ち上げる。二、三回上下させてから、ふぅふぅーと息を吹きかけて、いい音をさせて麺を一気にすすり上げていった。僕も麺を持ち上げ、まだ舌にスープの味が浸透しているうちにすすり上げる。ちょうどよい堅さで、ラーメンと云えば麺が主役のはずなのに、なぜかまったく主張がない。喩えるなら『白飯』と同じ感覚で、スープをおかずに麺を食べているような気分だった。


 ふたりとも食べることに夢中になって会話がなくなる。お互いに、ずるずる、とすする音が止まず、けれどもそれが会話の代わりになっているようで、沈黙が苦ではなかった。


 最後のスープを飲み干して器をおくと、満水さんもレンゲでスープをすくい上げている最中だった。食べ終わるまで待っていると、大きく息を吐いてから「ごちそうさまです」と手を合わせる。


「水いる?」と僕はピッチャーを持った。

「うん、ちょうだい」


 グラスに水を注いでから、満水さんがゆっくりと水を飲んでいく。


「はー食べたー。美味しかったねー」

「食べたねー」


 満水さんが椅子の背もたれに体重をかける。いつの間にかブラウスの第一ボタンをはずしていて、頬がほんのりと上気し、満腹感のあるうっとりとした表情になっていた。なぜかわからないけど、その姿にぐっとくるものがあり、また美味しそうなお店があったら連れてきたいな、と僕は思った。


 すこしまったりとしてからお店をでると、外はほんのりと暗くなってきていて、近くの横断歩道の信号機の色が濃く見えるくらいになっていた。ゆっくりと駅へ向かっていく途中、横を歩いている満水さんに目を向けたら、急に帰りたくなくなってきて、僕はおもむろに手をつかんでしまう。


「食後の運動、しませんか?」


 目線を下へ向けると、満水さんがにやにやしながら「いいよー」と云ってきた。僕は手で顔を触る。ぼかして云ったことが逆に恥ずかしく、暗くなるのがはやくなってよかった、と安堵してしまった。


 そのまま手をつないでそこらを見てまわる。ラーメンを食べたせいなのか、それとも恥ずかしいことを云ったせいなのか、すこし歩いただけで、身も心もぽかぽかとあたたかくなっていた。

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