第28話 ゆるゆるピクニック


      28 


 朝ご飯を抜いてきたせいか、さっきからお腹が鳴っている。お昼頃の駅前は休日のせいもあるのか、そこそこ人が多く、家族連れや、これから遊びに行くような服装の男女が改札を次々と通っていった。


 僕は満水さんが来る前に服装が変じゃないかを確認する。黒いスニーカー、同色の黒いデニムパンツに、ネイビーのパーカーを着て、その上にお父さんから譲ってもらった襟のついたベージュのブルゾン。スウィングトップ、というらしい。あとはお茶などが入った黒いリュック。公園を散歩する予定なので、動きやすさ重視で選んだのだけど、だいじょうぶだろうか。


 踏切のレバーが落ちてくる音がして、やってきた電車がゆっくりと駅に止まっていく。スマホで確認すると、約束の時間の七分前。もしかしたら降りてくるかなと期待してしまい、改札の奥をのぞきこんだら、ほんとに満水さんらしき人がやってきて、つい頬がゆるんでしまった。


 満水さんが下唇を甘噛みしながらほほえみ、小走りでこちらにやってくる。着丈の短い、肘のあたりがたるんだノーカラーのブルゾンの下に、上着の色と近いネイビーのクルーネックのニット、喉の中間くらいまで襟が伸びたホワイトのカットソーをさらに下に着て、夏に見たことがある淡いブルーのデニムをはいている。足下は赤いハイカットのコンバース。片手には靴と色を合わせるように紐のところが赤い大きめのトートバッグを持っていた。


「おはよー」

「おはよ。電車混んでた?」

「ううん、ぜんぜん。こっち側乗る人あんまりいなかった」と満水さんが云った。「きょうも天気いいねー」

「ね。散歩するのに最高」と僕は手を差しだした。

 満水さんが手を握った。「手つめた。待ってた?」

「いや、そんなに」


 手をつなぎながら萩ヶ池公園へ向かっていく。十一月も下旬にさしかかって、朝晩はかなり冷えこむようになってきたけれど、昼間は日差しがあるせいか外を歩いていても肌寒さは感じず、過ごしやすい気温だった。


「あ、そうそう。公園まわるだけだと飽きると思って、家にあった遊べそうなもの、念のため持ってきた」

「なにがある?」

「フリスビーに、こんにゃくボール、マジックテープでくっつくやつとか」

「わたし、たぶん下手だよ……」

「だいじょうぶ、僕もそんなに上手くないから」と僕は云った。「そういえば、真癒子が運動してるところってあんまりイメージわかないかも」

「嫌いなわけじゃないけど、誘われなければしないかな」

「同じ。ちなみに体育でなにが好き?」

「マット運動。そのときだけ体育の成績いいんだー」

 僕は笑った。「あー。前転上手そう」

「イメージで話すのやめてもー」と満水さんが笑い返した。「あーでも、スイミング通ってたから、泳ぐのは好きだよ。水泳部あったら入ってたかも」

「水泳かぁ。あんまり得意じゃないなー」

「じゃあ今度プール行こ?」

「得意じゃないって云ったのに……というか、いまの時期ってやってるの?」

「温水プールだったら冬でもやってると思う。どこにあるのかわからないけど」と満水さんが云った。「家に帰ったら調べてみよー」


 満水さんがほほえみながら、つないだ手をゆるく振る。行きたそうにしているので、その気持ちを冷めさせないようにあえて云わなかったけれど、水着になることに抵抗はないのだろうか。まさか気づいてない、なんてことはないと思うけど、まだ行くと決まったわけではないので、いまは黙っておくことにしよう。


「云われれば、恵大も運動してるイメージないけどね? 中学のとき部活やってた?」

「やらなくてもよかったからやってない。でも小学生のとき、近所に仲のいい子が住んでたんだけど、その子に誘われて小学校の四年生のときだったかな? ミニバスクラブ入ってたよ」

「えっ、意外」

「すぐ辞めちゃったけどね。その子も引っ越すことになって、いなくなっちゃったから、ちょうどよかったのかも」

 満水さんが真顔でこちらを見上げてきた。「ふーん」

「あ、ごめん。ぜんぜん関係ない話しちゃって。興味ないよね」

「んーん。いいよ」


 満水さんがぎゅっと手に力をこめる。なにを思ってそうしたのかはわからない。だけどそこに彼女なりのやさしさを感じて、鳩尾のあたりがぎゅっと苦しくなって、鼻で深く息を吸いこんだ。会って早々、なんでしんみりした雰囲気を作っているんだ僕は。せっかくのデートなのに。


「まあ、いまでもその子と連絡取ってるんだけどね」

「えっ、すごいね」

「彼女ができたって報告、まだしてないから、今度してみようかな」と僕は笑ってみせた。

「ツーショットの写真送る?」と満水さんが冗談混じりに云った。

「真癒子がよければ」

 満水さんがはにかんだ。「いいよー」


 ほのぼのしながら歩いていると、萩ヶ池公園が近くなってきて、植木の生えた遊歩道が見えてきた。萩ヶ池公園の外周はきれいに整備されており、薄手のウェアを着てランニングをしている人や、僕らと同じように散歩している人もいたりして、穏やかでゆるい空気が流れている。


「え、いいねここ。わたし好き」

「気に入ってくれてよかった」と僕は云った。「まぶしー」


 僕はつないでないほうの手で光を遮った。真正面には太陽が輝き、遊歩道を明るく照らしている。夏のようなぎらぎらとした厳しいものではなく、まろやかなやわらかい日差しで、浴びているだけで気持ちが晴れやかになっていった。


 遊歩道をすこし歩いてから公園のなかに入っていく。中央にある大きな池は赤い柵で囲われ、所々に松や季節の花々が生えていた。足下はタイルが敷き詰められてはいるものの、経年変化していて表面が削れてざらざらとしており、一部が剥がれてしまっているところもある。


「お昼どこらへんで食べる?」

「向こうにベンチあるからそこで食べない?」と僕は云った。「実は朝ご飯食べてないから、けっこうお腹減ってるんだよね」

「あ、ほんと? 大きくなっちゃったから、どうしようかなって思ってたんだけど、逆によかった?」

「いまなら余裕で食べられる」

「よかった。中身なにが好きか訊くの忘れてたから、適当に選んじゃったよ?」

「塩むすびでもぜんぜんうれしい。ほんとありがとう。あ、お金どれくらい渡せばいい?」

「一千万円」

「ちょ、え、待って、桁おかしいね。中身なにが入ってるのかめちゃくちゃ気になってきた」

 満水さんが笑いながら云った。「いいよいいよ。いらないよ。美味しくできてるかもわからないから」

「じゃあ、今度なにかでお返しするということで」


 舗装された道を歩いていくと、視界が開けて大きめの広場が見えてくる。土がむきだしになっていて、ジャングルジムやブランコなどがあり、遊んでいる子どもたちのにぎやかな声が聞こえてきた。


 設置されているベンチに腰を下ろし、満水さんがトートバッグからバンダナの巻いてある大きめの容器を取りだす。僕らのあいだにおくと、するするとバンダナを解いていった。


「はい。どうぞ」


 ふたを開けると、全体にのりが巻かれた大きめのおにぎりが六個並んでいた。かたちはどれも三角形で、大きさは握り拳くらい。たしかにコンビニのおにぎりと比べるとそこそこ大きいような気がする。


「いただきます」


 僕はいちばん端にあるおにぎりを持ち上げた。見ただけではなにが入っているのかわからなかったので、とりあえず食べてみることにする。


「え。う、ま」


 塩昆布がご飯と混ざったもので、量を多めに入れているのか、すこしつめたくても塩気がちょうどいい。しんなりとしたのりも馴染んで、お腹が減っているせいとかじゃなく、アピールとかでもなく、僕はつづけざまに二口、三口と口に入れていった。


「ほっぺ膨らみすぎ」と満水さんがおかしそうに笑いながら云った。「味噌汁持ってきたけどいる?」


 口に入れすぎてしゃべれず、僕はこくこくと無言でうなずいた。お茶は持参していたのだけど、味噌汁があるなら断然味噌汁がいい。


 満水さんが中くらいのサイズの水筒をだし、とくとくとカップに味噌汁を注いでいく。味噌のいい香りが鼻腔を刺激されて唾液があふれたのか、ご飯粒がほんのすこしやわらかくなった。


「はい」


 片手で申し訳ないアピールをしてから軽くすする。味噌汁でやわらかくなって咀嚼すると、思わずため息がでてしまった。


「あ~っ……」

「ん? どう?」

「ほんと美味い。一千万円の味がする……」

「なにそれもー」と満水さんが笑いながら腕を触ってきた。「わたしも食べよー。いただきます」


 満水さんがはむっとおにぎりをかじる。そっちはなんの味だろうとすこしのぞきこんだら、身をほぐした鮭が入っていた。もぐもぐと口を動かしながら、味噌汁の入ったコップを持ち上げて、ずずっとすすると「っはぁ~」と声をこぼしてほんわかと柔らかい表情になる。


「外で食べると美味しいねー」

「ですねー」


 光が反射している池を眺めながら、ふたりでおにぎりを食べていると、池の真ん中にボートを漕いでいる人が見えた。まぶしくてあまりよく見えないけれど、大人の男女が向かい合いながら池を横切るように進んでいる。


「そうそう。ここ、ボート乗れるんだった」

「乗る?」

「僕はあんまり。真癒子が乗りたいなら付き合うよ?」

「んーそんなに。わたしも恵大が乗りたいなら付き合おうかなぁって」

「じゃあいっかぁ」

「だねぇ」

「食べ終わったら、公園のなか軽く歩かない?」

「あれ、いろいろ持ってきたんじゃなかった?」

「やっぱりいいかな。やりたかった?」

「んーん。わたしもゆっくり歩きたい気分」

「ほんとに? やりたいならやるよ?」

「ほんとだってばー」と満水さんが云った。「ね、そっち寄っていい?」

「ん。おいで」


 おにぎりの入った容器を膝の上におくと、満水さんが腕を絡ませて身体を密着させてくる。


「寒いの?」

「んーん。ぜんぜん」と満水があまい声で云った。「ね。そっちのも食べたい」

「ん、いいよ。あとちょっとだから全部食べて。はい、あー」

「あー」


 満水さんが口を開け、残りのおにぎりを入れる。口をもごもごさせながら「ん?」と食べかけのおにぎりを差しだしてきた。おそらく「食べる?」という意味だろう。


「うん。もらう」


 僕は満水さんの手首をつかんで口に持っていく。ちょうど端っこの出っ張っているところだったので中身を取りすぎることもなく、こぼさずに済んだ。


「うん、うんうん」と僕は口を動かしながらうなずいた。

「鮭しょっぱすぎない?」

 僕は飲みこんでから云った。「ちょうどいいけどな。よければもらおうか?」

「うん。あと中身なにあったかな」


 のんびり話しながら、残りのおにぎりを食べていくと、ふたりして完全にまったりモードに入ってしまった。間が持つかなと思って、遊び道具を持ってきてはいたけれど、こうなると別に無理してやらなくてもいい気がしてくる。デートらしい、特別なことをしなくたって、僕らにとってはこうした穏やかな時間を過ごすことも立派なデートだと思うから。


「ごちそうさまでした。美味しかったです」

「よかった」


 満水さんが空の容器をカバンにしまっていく。すこし落ち着いてから、ゆっくりとした足取りで公園のなかを歩いていった。どこかから鳥の鳴き声が聞こえ、すこし色の抜けてきた植物などを見つつ、舗装された道を歩いていくと、満水さんが途中でなにかに気づいたようで「あっ」と声をだす。


「あそこで写真撮らない?」


 満水さんが指さした先には、渡り橋のかかった浮き島があった。


「あーたしかによさそう」と僕は云った。「懐かしいなぁ。鬼ごっこしてたとき、つかまった人が集まる場所になってたっけ」

「ここで遊んでたの?」

「うん、学校の近くだから。さっき話した友達も含めて、帰りによく遊んでた」

「写真送ったら、その子も懐かしく感じるかもね」


 渡り橋の上を進んでいくとかたい足音が響く。浮き島の広さは教室よりすこし大きいくらいだろうか、落下防止の柵で囲われ、景色の邪魔にならない程度に木が何本か生えており、奥に小さな祠があった。


「ねえ! 危ないから走らないで!」


 家族連れが一組やってきて、小学校低学年くらいの男の子がふたり、きゃっきゃと叫びながら追いかけっこをしていた。お母さんが注意してもまったく無視。あの子たちと同じくらいの歳のとき、ここがそこそこ広いと思っていたけれど、高校生になって来てみると、ちょっとだけ狭く感じて、自分の成長をひしひしと感じた。


「写真撮ってもらえないか頼んでみる」


 オーバーサイズのざっくりとしたニットを着こなしている、三十代くらいのお母さんに声をかけ、写真を撮ってもらえないかと頼んだら「いいですよー」と快く了承してくれた。


 僕はスマホを渡し、池をバックにして満水さんと並んで立っていると、走りまわっていた子たちが近寄ってくる。


「ねえねえなにしてるのー?」

「おれもいっしょに撮ってー!」

「あーちょっともう離れなさい。ねえ。あの子たち見てて」


 息子さんたちがいっしょに写ろうとしてきたので、髭を生やしたお父さんがすかさずやってきて「すみません。ほら、お兄さんたちの邪魔しない。こっち来なさい」と頭をぽんぽんしながら誘導していった。


「かわいいねー」

「ね。いっしょに入ってもらえばよかった」

「はーい。いきますよー」


 女性が手を挙げて合図をしてきたので、僕らはピースをしてシャッターが下りるのを待った。取り終わってからこちらに歩み寄ってくると「どうですか?」と確認を求められたので、僕はフォルダを開いて撮ってもらった写真を見る。


「だいじょうぶです。ありがとうございました」と僕はぺこりと軽く頭を下げた。

「いいえー。お幸せに」


 女性がにこりとほほえんで旦那さんのところへ戻っていく。僕はその姿を目で追いつつ「そちらも、お幸せに」と小さな声で云ってから、くるりと満水さんのほうを向いた。


「行こう」

「うん」


 家族の時間を邪魔しないように、僕は満水さんの手を取って、ひっそりと浮き島をあとにする。歩いている途中、となりにいる満水さんを見つめていたら「ん?」と木漏れ日を浴びてまぶしそうに片目を閉じながら小首を傾げてきた。


「なんでもない」


 ほほえんでから前を向き、光射す道を満水さんと共に歩いていく。過去の思い出と、現在の思い出のある場所。そしていつかまた遠い未来で、あの夫婦のように、家族であそこへ来たいな、と僕は思った。


 未来のことなんて、いまはまったく考えられない。でも成長して、見た目も変わって、環境が変化しても、これからもそばにいたいし、そうしてもらえるように努力していこうと思う。なんてこと、本人には恥ずかしくて、云えるはずもないけれど。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る