第16話 わくわく下準備


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 電車を降り、ホームにあるベンチに坐りながら満水さんを待つ。ラインで『着いたよ』と連絡をしてしばらく待っていたら『次だよー』と返事がきた。


 目の前に電車が止まり、僕は立ち上がって左右を確認すると、すこし離れたところから満水さんが駆け足でこちらにやってきた。きょうは曇りでいつもより肌寒いせいか、ブラウスの袖のボタンをとめ、湿気で髪がしっとりと落ち着いている。


「お待たせ」

「うん、行こう」


 僕らはきょうあったことを話しながら駅のホームを歩いていく。改札を抜けて景色を眺めていると、夏休みにはじめて満水さんと手をつないだ日のことを思いだしてしまった。


 九月も半ばが過ぎ、夏休み明けの慌ただしさが徐々にうすれてきた。


 相変わらず、満水さんとはひっそりと付き合いをつづけている。きょうの放課後は、いっしょに明日からの三連休中に見るDVDを借りる予定だった。


 その日曜日、満水さんの両親は職場の人の結婚式へ出席するらしく『マチもいるけど、遊びに来ない?』と誘われ、僕はすこし躊躇ったけれど、誘いを受けることにした。


 さすがに家へ招かれて下心がないと云えば嘘になる。そこまで僕は純情じゃない。でも、いまは付き合っているだけでいっぱいいっぱいで、そんな余裕がない状態でなにかする気も起きず、ただただ家で遊ぶことを愉しみにしていた。


「こっち」


 満水さんに腕をつかまれ、そのまま流れで手をつなぎながら駅から離れていく。ここは満水さんの家の最寄り駅なので、彼女の知り合いがどこかにいるんじゃないかと警戒してしまったけれど、当の本人はそんなことは気にしていないような面持ちで歩いていた。


「商店街はずれるとなにもないんだね」

「うん。向こうに、わたしの通ってた小学校あるよ」

「そうなんだ。なに小だったの?」

「涼林(りょうりん)小。小暮くんは?」

「萩ヶ池(はぎがいけ)小。学区の端だったから通うの大変だったなー」

「どこらへん?」

「萩ヶ池公園知らない? 名前のまま、その近くなんだけど」

「んー知らない。有名なの?」

「あんまり。池くらいしか見るものないから」


 普段しないような話をしながら道なりに進んでいく。歩道を歩いていると向かいからビニール袋を持った中年の女性や、自転車のカゴに袋をどっさりと詰めこんだおばあさん、ぼろぼろの帽子をかぶり、色あせたブルゾンを着て、缶コーヒーをのみながら歩くおじいさんなどとすれ違った。


 ほどなくして、中規模の本屋が見えてくる。駐輪場には自転車が数台留まっていて、壁はところどころが風化し、ここに根づいてどれくらいが経ったのかを物語っていた。書籍を中心に扱っているけれど、CD、DVD、漫画もレンタルできるところで、僕もよく利用させてもらっている有名なチェーン店だった。


 自動ドアを通って店内に入る。宣伝用の音声が流れ、あたらしい紙の新鮮なかおりが鼻に届き、目立つところの棚には話題の漫画や小説が陳列されていた。お客さんの数はまばらで、雑誌を立ち読みしていたり、本を手に取って吟味している。


 レンタルは二階のようで、僕らは入り口の近くにある階段をのぼっていった。


「普段どんなの見る?」

「洋画が多いかも。ジャンルもこだわりないかな」と満水さんが云った。「あーでもスプラッター系はダメ。お金払って見たくない」

「グロいのは僕もダメ。ホラーは好きなんだけどね。そこらへんの線引きって曖昧だけど」

「わたしホラーあんまり見ないかも」と満水さんが云った。「おもしろいの知ってる?」

「ちょっと前のやつだけど『ソニア・エリガンの別荘』はおもしろかったよ」

「聞いたことない。どんなやつ?」

「ベタだけど、イギリスの田舎にある古い洋館が舞台のやつで――あるかな。探してみる」


 僕は棚を見ながらタイトルを探していく。話題作、コメディ、恋愛などジャンル別にわかれており、ホラーのサ行を見ていると、まだ借りられてないのがふたつ残っていた。


「これ」


 パッケージを満水さんに渡すと、裏を見てどんな内容かを確認する。


「怖そうだけど借りてみる」と満水さんがケースを引き抜いた。「今度はふたりで見られるやつ探そ」


 腕をつかまれ、満水さんに誘導される。棚を眺めつつ、ゆっくりと横へ移動していると、満水さんのほっそりとした腕が絡んできて、思わず胸が跳ねた。


「気軽に見れるやつにしたいよねー」

「そうだね。コメディ系で探す?」

「そうしよっか。邦画にする?」

「僕はどっちでもいいよ」

「とりあえずいろいろ見てみる?」

「うん」


 腕を組んでいることが気になって会話に集中できない。だけど満水さんは普段と変わらない、まるでそれが当たり前のような顔をしていた。付き合う前からそうだったけれど、満水さんってこういうことを無意識にやってるのか意識してやっているのか、ときどきわからないときがある。


「満水さん」

「ん? なに?」

「恋愛系も、借りる?」


 真顔で訊ねてみると、満水さんがこちらを向きながら口を軽く開き、その後ゆっくりと下を向いて、ふるふると弱く首を振った。


「そういうの、あまり見ないから、いい」

「そっか」


 組んでいた腕の力が、わずかにゆるんだ。僕はちょっと悪いことをしたなと思って「冗談だよ」と云いながら腕を引くと、満水さんが二の腕に軽く頭突きをして、腕を抱きしめてくる。


「ごめんね」

「んーやだ。もうそういうことしないで」

「しない。絶対」


 満水さんが「ほんとに?」と探るように上目遣いで見上げてきたので、僕は何度もうなずいた。もう詮索したり調子に乗るのはやめにしよう。でもちょっと突いてみただけなんだけど、この反応を見るに、しろだなと思った。


 

 DVDを何本か選んでから店をでて、当日食べるお菓子やジュースを買うために、僕らは近場にあるスーパーへ行くことにした。


 なかに入ると、満水さんが入り口にあったカゴを持ち、普段から行き慣れているとわかる迷いのない足取りでお菓子コーナーへ向かう。内装はどことなく小奇麗で床が木目調になっており、素朴なイメージのスーパーらしくないシックさがあった。そこそこ大きめなせいか品ぞろえがよく、棚には見たことのない商品もたくさん陳列されている。


「どういう系が好き?」

「僕、お菓子あまり食べないんだよね」

「え、そうなの?」

「お母さんが夕飯残すとうるさくて。あ、でもお父さんが夜にお酒飲むから、おつまみ系はいっしょによく食べてる」

「あー。だから痩せてるんだ」

「それ関係なくない?」と僕は笑いながら云った。「満水さんは食べるほう?」

「すこし前まで。最近は太りたくないからあんまり食べないようにしてる」

「そっか。じゃあカロリー高くないやつ選ぶね」

「その日は特別だから気にしないで」と満水がやわらかな笑みを浮かべた。「あ、これ美味しいやつ」


 満水さんがカゴをおき、スカートを押さえながらしゃがみこんだ。筒に入ったポテトチップスで、何種類か味があったけれど、そのなかからブラックペッパー味を選んだ。


 僕はカゴの持ち手をつかんだ。「入れて。カゴ持つよ」

「うん、ありがと」と満水さんが立ち上がった。「あまいもの食べる?」

「僕はいいかな。あんまり好きじゃなくて」

「わたしも。でもしょっぱいのだけだと飽きない?」

「ジュースあるからだいじょうぶじゃない?」


 あれこれと話しながらお菓子を選び、ある程度をカゴに入れて移動しようとしたら、ふと頭に思い浮かんだことがあって、僕は満水さんの腕を取った。


「待って。マチさんの好きなお菓子って知ってる?」

「え、あ、えっーと。グミ、かな」と満水さんが目をきょろきょろしながら云った。「どうして?」

「お邪魔するわけだし、マチさんにもなにか買っていってあげたくて」

「え、いいよいいよ、気にしなくて」と満水さんが手を振りながら云った。

「なにかしないと逆に気にしちゃう」

「そう? うーん。でも高くないのでいいからね?」


 僕はうなずき、満水さんからマチさんの好みを訊いてお菓子を選んでいく。僕には姉も兄もいないけれど、仮に弟の立場になって考えたとき、休日に彼氏または彼女を連れこんでいたら正直居づらい。お菓子で釣ったみたいでゆるしてもらえるかはわからないけれど、すこしでもマチさんの気分がよくなってくれたらいいな、と僕は思った。


 その後ジュースを買って、とうとうカゴの底が見えなくなった。レジに並び、順番がまわってくると、店員さんが手際よくカゴの中身をスキャンしていく。次々と商品が通っていき、最後にレジ袋をふたつ追加してお会計。締めて千五百三十七円。


 僕は財布から千円札をだした。「端数だしてもらってもいい?」

「いいの?」

「うん。DVD代、だしてもらっちゃったし」

「じゃあ袋詰め、わたしがやるね」


 満水さんが残金を支払うと、おつりをもらってからレジのカゴを持ち上げる。人が絶え間なく入れ替わっているレジの近くにある台におくと、レジ袋を両手で広げ、ぱっぱっぱと買ったものを入れていった。


「重いほうちょうだい」

「ありがと」


 満水さんが使用済みのカゴ置き場へカゴを戻し、ジュースの入った袋を渡してくる。スーパーをでると、曇りのせいもあっていつもより暗くなるのがはやく、連なる家々のカーテンがまろやかな明かりを放ち、歩道には電灯がついていた。


「家まで送るよ」

「うん。ありがと」


 僕らはゆっくりと歩きながら満水さんの家へ。肌にじわじわと染みていくようなつめたい外気にさらされて、僕はまくっていたシャツの袖を伸ばした。袋を持っていてボタンがしめにくく、諦めてとめないままでいると、満水さんがこちらを振り向いた。


「寒いの?」

「ちょっとだけね」


 満水さんが腕を伸ばしてきて、肘の内側同士を合わせるようにしながら身体を密着させてくると、ブラウス越しの彼女の体温がじんわりと伝わってくる。


「歩きにくいねー」

「そうだね」


 ほほえみ合いながら、二人三脚をするように歩いていく。歩幅が狭くなり、どんどん歩く速度が遅くなった。このままのペースで歩いていたら、どれくらいで満水さんの家に着くのだろうとついつい考えてしまったけれど、のんびりとふたりの時間を堪能したかったので、なにも云わずに歩を進めた。


 刺激的で、特別な場所に行かなくても、満水さんとなら、どこでもデートになる。


 ふわっとした空気に包まれて、胸があたたかくなり、いつの間にか、寒さなんて感じなくなっていた。

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