第15話 わいわいカラオケ


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 帰りのHRが終わり、僕はカバンを持ちながら席を立つと、満水さんを一瞥してから、若藤のところへ歩いていった。教室のほぼ真ん中の席で、すでに沼がエナメルバッグを肩にかけながら立っている。


「おし、行くか」


 若藤が黒くて大きなバックパックを背負うと、ポケットに手を入れながら、くぁっとあくびをした。


 僕らは教室をでて、廊下を歩いていく。


「テスト、疲れたー」

「ほんとだよなー。はやく叫びてぇー」

「剣道部に入れ。毎日叫び放題だぞ」

「叫ぶ意味がちげえだろそれ。おまえらの殺意に満ちた奇声を毎日聞いてたらストレスで頭おかしくなるわ」

「そんなに毛根弱いのか?」

「髪の話じゃねえよ。遺伝的にもハゲねえよ。おやじまだフサフサだし。髪質は見事に遺伝してるけどな」

「坊主にすると髪質変わるって云うよね」

「それマジなん? オレ、小学生のとき坊主だったけど変わんなかったぞ」

「たくましい髪質じゃないか」

「いやオレ軟毛だから。……なに笑ってんだよケイ」

「さっきから、ぜんぜん、噛み合ってないから……」

「おまえその天然抑えらんねーの?」

「ただふつうに話してるだけなんだがな」と沼がぽりぽりと頭をかいた。


 階段を下り、下駄箱で靴を履き替える。きょうで夏休み明けのテストがすべて終わり、若藤は塾がなく、沼も部活が休みなので、放課後に三人でカラオケに行く約束をしていた。


 そのことを満水さんにラインで教えると『愉しんできてね』と返信がきた。


 恋人同士になっても、友達との付き合いも大切だし、テスト前は毎日いっしょに帰っていたので、たまにはこういう日があってもいいんじゃないかと思う。胸に引っかかりがなくはないけれど、満水さんばかり優先させていたら、ふたりと疎遠になってしまうかもしれないし。


 そこらへんのバランス感覚がむずかしいなと思った。満水さんをいちばんに考えるつもりだけど、若藤と沼とも親しいままでいたい。カノジョができて、付き合いが悪くなったと思われることはこの先、きっとある。でも、なるべくそう思われないようにしたかった。


 同じ制服を着た人たちが、ぞろぞろと駅へ向かっていく。僕らもその人混みに紛れながら歩いていくと、ポケットに入れていたスマホが震えた。


『ユコと遊んでくるね』


 僕は歩きながら指を動かした。


『たのしんできて』


 返事を見ずに、ポケットにしまった。歩いている途中で、スマホがふたたび震えたけれど、心のなかでごめんと謝りながら、無視してふたりの会話に混ざる。


 電車に乗り、数駅先にある大きめの駅に降りると、すこし離れたところにあるカラオケ店に入っていく。カウンターにはしろいワイシャツを着た店員が立っていた。受付をすると、若藤が会員証を見せ、全員が学生証を見せ終えたら「お時間はどうされますか?」と質問をされる。


「どんくらいにする?」

「二時間でいいんじゃない?」

「そうだな。足りなかったら延長すっか」


 かしこまりました、と店員が紙に記入し、そのあと機種などを決めてから、透明なカゴに入ったマイクと部屋番号が書かれた札を渡された。通路を歩いていると、そこらにある部屋から、だれかの歌声が漏れ聞こえてくる。


 札の部屋番号のドアを開ける。ソファーがふたつ向かい合い、そのあいだにテーブルがおかれていた。三人でちょうどいいくらいの広さで、モニターにはなにかの宣伝映像が映しだされ、消臭剤と、壁にこびりついて消えない臭いが混ざり合っているような、独特なにおいがした。


 明かりが消えていたので、レバーを上げて微調整する。荷物を一カ所にまとめていると、若藤がマイクの音量などを調整する機器の前にかがんでノズルをまわしだした。


「どっちか声だしてみてくれー」

「んん。あー。あー。あー。マイクテストー」

「声ひっく。てかエコーめっちゃかかってんな」と若藤が云った。「こんなもんじゃね?」

「あーあー。違いがわからん」と沼がマイクを渡してきた。「ケイ、どうだ?」

「あー、あーあー。うん、いいんじゃない?」

「うし。歌おうぜー」と若藤がソファに腰を下ろした。


 テーブルには曲を選ぶための機器が二台あり、若藤が一台を、沼と僕がもう一台を使って曲を選んでいく。一番手というのは親しい仲でも軽く緊張してしまうもので、僕はふたりのようすをうかがうことにした。


「最初は景気づけに三人で歌えるやつにすっか。歌えそうなやつなんか思いつかね?」

「君が代だな」

「歌えなかったら逆にやべえだろ」

「最初からしんみりとした曲もねー」

「そうなんだよなー。おっ、履歴でいいの見つけた」


 若藤が画面を見せてくる。清涼飲料水のCMの主題歌で、数々の芸能人がCMで全力疾走する姿が話題にもなった、玉木灯志(たまきとうし)の『疾走』だった。出だしはさわやかなのに、サビになると熱くなる曲で、高すぎず低すぎないので歌いやすいと思う。


「いいぞ、俺は」

「僕も歌えるよ」

「よし、いくか」


 タッチパネルを押すと、モニターの上に曲名が表示されて映像が切り替わる。イントロが流れると、はじめに僕と若藤がマイクを持った。


 三人の熱唱が、部屋中に響き渡る。


 

「腹いて、腹いてぇよぉ……」


 若藤がお腹をかかえてソファでダウンしている。某アイドルグループの曲が流れ終わると、沼がやりきった顔をしながら画面を見つめた。採点結果が表示されると、まさかの九十六点。僕はそれを見て、飲んでいたオレンジジュースを噴きだしそうになった。


「ありがとうございました」

「無駄にいい声で云うのやめろマジで……」と若藤がのっそりと起き上がった。「ちょ、休憩。休憩しようぜ」


 はーっと、若藤が息を吐きながら目元を拭った。いま何時くらいなのだろう。三人でいろいろな曲を歌ったので、けっこう経った気がするけど。


 僕はスマホをだし、時間を確認するついでに、画面に表示されている満水さんのメッセージを見た。


『きょうの話、聞かせてね』


 そのメッセージを見て、胸がふわっとあたたかくなった。なんだろう、この安心感。こんなこと云われたら会いたくなってしまうって。


「にやけてんぞーケイ」

「あっ、ごめん」と僕は慌ててスマホをしまった。

「あ、ま、別にいいけどよ――いや、やっぱよくねえわ。なあケイ、もっとオレらの前で満水のこと話してもいいんだぞ?」と若藤が目線を動かした。「気を使われてるみたいで、落ち着かねえって云うか。なあ?」

「俺に同意を求めるな」と沼がお茶をすすった。「まあ、延々とノロケられるのも困るが、こうしていっしょにいても、いっさい話をされないのは寂しくあるな」

「まあ、無理にとは云わねえけどよ」と若藤が目をそらしながら頬をぽりぽりとかいた。「カノジョができて、上から目線になるやつだったり、自慢してくるやつとかいっけど――ケイはそうじゃねえって、わかってっから」


 僕はコップをぐっと握った。いままでまわりにカノジョのいる友達がいなかったせいか、自分にカノジョができたとき、友達とどのように接していいのか、わからなかった。バランスを取ろうとして、すこし窮屈に感じていたので――そう云われて、肩の力が抜けていく。


「うん。えーっとまあ、じゃあ、話したいことがあれば」

「おう」と若藤が八重歯を見せて笑った。「そういえばオレ、満水とあんま話したことねーわ」

「俺もだ。男子と絡んでるイメージがない」

「わかる。いつも女子同士でかたまってるよな。弓峰といること多くね?」

「仲いいみたい。きょうもふたりで遊んでるみたいだよ」

「付き合ってること、知ってんの?」

「うん」

「お、マジか。オレ、弓峰のライン知ってるし、都合が合えば呼んでみね?」

「俺はかまわないが」


 ちらりと、沼が顔色をうかがってくる。たぶん、僕がそういうことをされて、いやな気持ちにならないか気にしてくれているのだろう。


 もしも来れるなら来てほしい。このふたりと、それに弓峰さんといっしょなら、満水さんも愉しめると思うから。


 いや、違う。

 そんなのは建前で。

 ただ、僕が会いたいだけ。


「いいよ。来てくれれば、だけど」

「おっけ。ちょっとラインしてみるわ」


 若藤がスマホを両手で操作し、やりとりを交わしているような動きをすると、振動する音がして、スマホを耳に当てた。


「おっす、いまどこよ。おっマジで? ちょうど近くのカラオケにいんだけど。そうそう、駅からちょっと離れたとこの。おっけ、とりあえず時間延長しとくわ。ん、わかった云っとく。あっ、待て、ポテトのL買ってきてくれませんかね? あとで金わた――……切られたー」

「来るみたいだな」

「あいつら駅前のマックでダベってたっぽい。十分くらいで来るって」と若藤がスマホをテーブルにおいた。「あとケイからも、満水にラインしてほしいってよ。そしたら行きやすくなるからって」

「わかった」


 僕はスマホをだし、満水さんのメッセージをスライドする。


『カラオケ、来ない?』


 送信して、すぐに画面が動いた。


『行く!』


 たったこれだけの返事が、いまはたまらなくうれしかった。ふたりの前なのに顔が綻んでしまって、だけどよろこんでばかりもいられず、僕はふたたび指を動かした。


『無理してない?』

『ぜんぜん』と満水さんからつづけて返事がきた。『行けるなら行きたかったから』

『そうだったんだ。誘えばよかった』

『お邪魔かもしれないけど』と満水さんがつづけて送ってきた。『紹介されたいなって』


 送られてきたメッセージを見て手が止まる。とっさに、ごめんと謝ってしまいそうになった。でもここは謝るところじゃない。僕は鼻で息を吸い、ゆっくりと文章を入力していく。


『来たとき、するね』

『うん』

『待ってる』


 満水さんが元気に親指を突き立てたキャラクターのスタンプを送ってきた。


「来てくれるみたい」と僕はスマホをテーブルにおいた。「そういえば、なんで弓峰さんのライン知ってるの?」

「ん、まあ、同じ中学だったからな」

「え、そうだったんだ」

「親しそうな感じだったな」

「三年間、同じクラスだったんだよ。それで三年のときの男子のグループと、女子のグループが仲良くてな」

「でもいま、ぜんぜんしゃべってないよね?」

「なんだこの質問タイム……答えないといけねーの?」

「あ、ごめん。いやならいいけど……」

 若藤が頭をかいた。「ケイにあんなこと云っておいて自分だけムシがよすぎるか。……まあ、隠すことでもねーしな。ただ、中学の頃のオレらの立場が、いまと変わったから、お互い干渉しないようにしてるってだけ」


 口を潤すように、コップに入っていたカルピスを一気に飲み干した。


「オレ、中学のとき、いじられキャラで。あいつは目をつけられないように、派手な女子どもにくっついてた感じでさ。細かい話は長くなっから省略して簡単にまとめると、その立場にいて磨耗してたんだよ。莫迦みたいに信じてたんだ。クラスの派手な、上の連中といることが『正解』だって」

「くだらんな」と沼が口を挟んだ。

「振り返ればな。で、オレも弓峰も高校生になって、そういうのきれいさっぱり卒業して、自分がいたいやつといっしょにいるわけ。人によっちゃ、ランク落ちた雑魚って思われてるかもしれねえけど」と若藤が八重歯を光らせて笑った。「そんなのどーでもいいわ。いま、おまえらといられて、最高に愉しいし」

「そっか」と僕は笑いかけた。「よかった」

「悪い、便所」

「……おまえさぁ! めずらしく真面目な話してんだぞ!?」

「なんで怒ってるんだおまえ……」

「うるせえ! さっさと行ってこい! 最後まで聞いてくれてありがとうな!?」


 沼が席を外すと、テーブルにおいていたスマホの画面が光った。手に取ると、満水さんから『着いたよー』とメッセージが届いている。


「迎えに行ってやれ。延長の連絡、オレがやっとくから」

「うん、ありがとう」


 部屋のドアを開け、僕は小走りで出入り口へ向かった。満水さんは弓峰さんとフロントのそばにある椅子に坐っており、僕の姿を見つけて、小さく手を振ってくる。


「受付、済ませた?」


 ふたりが同時に首を振ったので、僕はフロントの人に二名追加したいと申しでた。人数が増えるので、部屋の変更もできると云われたけれど、そこまで長くいるわけではないので断っておいた。


「こっち」


 案内するように先を歩き、部屋のドアを開けると、若藤と沼が同じソファに坐ってなにかを話していた。僕はふたりを先に入れるように手で促す。


「お、来たな」

「うす」

「どうもー。あ、若藤。ポテト、買ってきたけど」

「マジか!? めっちゃ助かるわー。腹減ってたんだよ。金あとで渡すわ」

「ここ持ちこみオッケーなの?」と弓峰さんがカバンをソファーにおいた。

「知らねーけどだいじょうぶじゃね?」

「俺にもくれ」


 わいわいとにぎわっているなか、満水さんがカバンを抱え、腰を低くしながら進んでいく。


「お邪魔、しまーす……」


 そろりそろりと満水さんが弓峰さんのとなりへ腰を下ろし、緊張した面持ちで沼と若藤と向かい合う。同じクラスでほぼ毎日会っているはずなのに、まるで初対面のような雰囲気で、互いにどう声をかけたらいいのか迷っているように目を泳がせていた。


「よ。あんま話したことねーけど、よろしくな」

「あ、はい」

「歌うか?」

「あ、ありがとう」と満水さんが立って曲を入れる機器を受け取った。


 右手のソファには若藤と沼、左のソファには弓峰さんと満水さんが坐っている。僕はドアの前に立ちながら、どちらに坐ろうか迷うまでもなく、満水さんのとなりに腰を下ろした。


 満水さんがじっと見つめてきたので、僕はこくんとうなずいてから、沼と若藤のほうへ顔を向ける。


「えーっと、カノジョ、です」


 ふたりへ聞こえるように、はっきり告げると、若藤がにかっと、沼がうっすらと笑みを浮かべた。


『おめでとう』


 ふたりの重なる声を聞いて、晴れて恋人同士になれたような、実感がわき上がる。


 となりにいた満水さんを横目で見ると、こそばゆそうに口元をゆるませて、ほほえんでいた。

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