アマビエの預言

 ある日私がシイラを釣ろうと釣具を用意していると、船をちゃぷちゃぷと揺らす者があった。それは波の揺れよりも強引で、不思議に思った私は縁を覗き込んでみた。

 つるっとした丸い顔に小鳥のような嘴をくっつけた、奇妙な海豚がいた。さらにおかしいのは、その海豚は人間かヒヒのようにたっぷりと髪を蓄えていた。ゆらゆらと海草のように靡いている。

 「おいおい、そんな所に居られちゃ困るよ。何て言ったって今日は稼ぎ時なんだからね」

 海は穏やかに凪いでいて、こんな日に漕ぎ出せば大漁間違いなしなのだ。そこまででなくとも、いくぶん漁がしやすくなるというものだ。

 私は獲物をたたいて大人しくさせる為に持っている棒を持ち出す。へんな海豚に向かって振り上げて、怯えさせようとしたのだ。

 しかしへんな海豚はじっとこちらを返しただけで、避けるそぶりを見せない。

 「ちょっと待ちなよ旦那様。あんたとんだ勘違いをしているよ。今日は不吉だよ」

 海豚はヒレをあげて、商家の主人のように上下させた。あからさまな損を指摘する口振りだった。

 たまらず私は言い返した。

 「なんだい、それは。今日はとってもよい日じゃないか」

 空は晴れ渡っていて太陽もくっきり顔を出しているし、先程の通り海も静かだ。碇を下ろすのを忘れていたってなかなか流されない。

 海豚は目玉をぐにぐにと動かすと、一瞬だけ黙り込んだ。どうやって私を説得させようか、迷っているのかもしれない。私も私で、こんな奇っ怪なものが出るのだから、たしかに戻った方がいいのかなあと思い始めていた。だから、海豚が次に何か言ったあとに、私は陸に戻ろうかとも考えた。

 海豚は髪をヒレでかき揚げると──それにしても、まったく人間のような仕草だ──嘴を戦慄かせた。

 「大変な事が起こるんだよ」

 「おれにとッちゃ、今が大変だよ」

 「茶化すんじゃあない、最後まで聞きなよ。──いいかい、これは紛れもない凶事だ。あんたたちは、しばらく商売が出来なくなるだろう。でもそれ以上にね、陸は大変なことになるんだよ」

 「あんた回りくどくッて、よくわからないよ」

 「あたしは海のモンだからサ、そんな風にしか言えないんだ。雷神様よりひどい。それだけは、わかるよ。だから、今のうちに家に戻ってね、身の回りを整えておいた方がいいよ……いつでも逃げ回れるようにサ」

 海豚は言い終えたのち、一仕事終えたとばかりにため息を吐くと、飛沫を立てて海底へと潜ってしまった。

 私はぶるりと背筋が凍ったので、碇を上げた。そう小さくなっていない陸へ向かって、私は戻っていったのだった。


 その後の話ではある。あれから10日ばかり経ってから、大きな地震があった。

 地響きと共に足元が揺らぎ、知り合いが何人も海の向こうへ行ってしまった。内陸の揺れであったために津波は免れたが、滅茶苦茶になったこの有り様では、到底漁などできる雰囲気ではなかった。あのへんな海豚が言っていたのは、この天変地異に違いなかった。私は瓦礫の隙間からやっと抜け出すと、ほーっと深呼吸をした。

 舞い上がる埃が咽に飛び込み、大いに蒸せた。


 あの日以来、海であのへんな海豚に会うことはなかった。

 また大変な事件が起きるとき、あれは水底から気泡と共に浮き上がってくるのだろう。あれの言葉を素直に受け入れられなければ、己の鈍さに身を滅ぼすのかもしれない。


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