第6話

 九月になった。お局様から、菊池さんが異動になると聞いた。

 しかも隣の棟らしい。同じ会社とはいえ棟が離れると、滅多に会えなくなる。

 会えなくなる……? 頭の中でそう表現された時、自分の気持ちに気付いてしまった。

 先日菊池さんに対して『がっかりした』のは、期待を込めて、それ相応の気持ちを菊池さんに感じていたからだ。

 ライブハウス仲間以上の頻度で毎日会い、毎日会話をしている。

 菊池さんの立場的に、時に私に厳しくするのは、私の成長の為だって解っているし。

 そういえば、仕事に行くのが愉しくなっていた。


 一人でどきどきしていると、菊池さんに会った。

 菊池さんは、異動が決まった事と、今までお世話になったと簡潔に云った。

 言葉が出てこなかった。感情的な事を云って菊池さんを困らせる訳にはいかない。こういう時は、何も云わずにいる事だ。

 けれども菊池さんは友達ではないし、此処は会社だ。何か云わなきゃ。

「いきなりだね、菊池さんがいなくなると大変だね」等と、とってつけたような単語を発した。


                 ○


 十月になった。菊池さんの後任は優秀な人だったけれども、面白くない。

 仕事は出来るし、緩めて良い所を解っているので適度に適当で、男性陣から慕われている。端正な顔立ちをしていて、お局様のハートもばっちり掴んでいる。


 決められた教育を受けて決められたように時々叱られて進む。つまらない。

 菊池さんは「失敗もしてみないと、何処まで出来るのかが解らない」と云って、習ってもいないような事をいきなりやらせたりする。

 それで業務が遅れてよく上司に嫌な顔をされていた。

 菊池さんの人柄なのか、深刻な空気になる事は無かった。むしろ笑い話にしていた。


 菊池さんがいなくなったのであんまりお喋りをする人がいなくなったと思ったら、他部門の人によく話しかけられるようになった。菊池さんと仲良しの人だ。


 設計課というエリート部門の自信の表れだろうか、随分馴れ馴れしい。恐らく『気楽に話しやすい』とも云えるんだろうな。

 この設計課の男性陣はよく女性に話しかけているのを見かける。

 しょっちゅう金曜日に他部門の女性陣と合コンをやっているらしい。都会みたいだ。

 話をしていて愉しいなら私も飲みに行ってみたいけれど、彼は浅い。仕事で関わる事があるので適当に愛想笑いをしておく。

 けれどもし、今でも菊池さんがいたとして、菊池さんを含めて「一緒に飲みに行こう」なんて云われたとしたら、私は行っただろうか。

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