第5話

 夏のある日、私は友人と飲み屋街にいた。

 土曜の夜は、やっぱり賑わっている。坂を下り、お目当ての店を目指している。

 今日一緒に飲みに行くのは、ライブハウスで知り合って仲良くなった寺内さん。

 本当は寺内さんの奥様もご一緒に飲みに行く予定だったんだけれど、急遽奥様の友達が東京から帰省して、そちらに行ったそう。

 

 私は寺内さんの奥様とは仲良しで、時々家にも遊びに行く。奥様と二人で会う事もあるし、寺内さんと二人でお茶する事もある。

 今日は勿論、奥様の了承を得て、寺内さんと二人で飲みに来ている。

 お店に入る前に、ミネラルウォーターを買うのを忘れてはならない。私はいきなり頭痛薬が必要になる人間だ。


                 ○


 次の月曜日、職場のレイアウト変更の関係で、通常業務は午後から始まると云われた。

 折角なので空いた時間を使って、いつもは出来ない事務仕事をやろう。ラッキーだ。

 資料の細かいミスを修正していたら、菊池さんが話しかけてきた。

「先週の土曜日、飲みに行ったら椎名さんを見かけたよ。男性と一緒だったから声をかけなかったけれど」寺内さんの事だ。

「友達だよ」と私は答えた。

「そうなんだ、実は結構近くで見かけてね、彼の指輪も見えたよ。ペアリングとかじゃないの?」菊池さんは続けて質問してきた。

 珍しい。普段趣味の話はするけれど、私のプライベート的な事を聞いてくるなんて。

 私はいつも通り答えた。寺内さんは既婚者だって。そして、奥様も、私たちが時々一緒になるのを知っているって。

「それはいわゆる……不倫をしているの?」予想外の質問だった。


 既婚者だろうが、友達は友達だ。

 私は寺内さんと密室で会う事はしない。奥様とも仲良しだし、寺内さんも、私と一緒にお茶をする時は奥様に報告している。誰に見られても平気だから堂々と寺内さんとお茶をする。

 そういった事情を何も知らずに短絡的な発言をした菊池さんに、がっかりした。

 それに『疑う』って事は、そういう事を考えているという事だ。自分自身がそういう事をするかもしれないと、何処かで疑っているという事だ。


 今まで、菊池さんの『普通っぷり』が良いと思っていた。今の菊池さんの意見は普通というか『世間の目』じゃないか。菊池さんが、つまらない男だと思った。


                ○

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る