第13話 三河のタヌキと化けくらべ

 安部晴雨が吉五郎にこっぴどく負けたことは、すみやかに諸国へ伝わった。京都の陰陽師でもかなわぬとは、よっぽどすごいキツネであろうとだれもが感心した。

「さすが吉五郎よのう。ただ化けるだけでなく、戦いかたもみごとなものだった」

 信長は吉五郎のことを自慢するように家来衆たちに話した。自分が二度にわたって化かされたことなど、とうに水に流していた。それどころか、『うちの吉五郎』などと身内として考えるようになっていたのだ。

 そんなとき、ひょっこり、小牧山城に書状が届けられた。

「殿、松平どのからにござります」

「なに、家康どのからとな。ふーむ、甲斐の武田に動きはないはずじゃに。なにごとであろうかの」

 松平家康はのちの徳川家康で、信長と同盟を結んでいる。信長は尾張を拠点に西へと攻めのぼろうとしているのに対し、家康は尾張と接する三河を拠点として東へと領土を広げようとしていた。

 書状は次のように、したためてあった。


 こたびは犬山落城、おめでとうござる。これ、ひとえに信長どのの人徳のたまもの。

 美濃の斉藤龍興たつおきも遠からず、信長どのの軍門にくだることでござろう。

 それはさておき、京の陰陽師とキツネの一件、

 それがし聞きおよび、くやしくてたまりませぬ。

 だいじな天下への一歩をしるされたのに、キツネめが信長どのの御名を汚すとは。

 このうえは、ぜひ、わたくしに、キツネ退治をおまかせくだされ。

 思うに、けものは、けものどうし。

 キツネに勝てるけものといえば、タヌキをおいてござりませぬ。

 さいわいなことに、わたくし、力のすぐれたタヌキを存じておりますゆえ、

 何匹か小牧へ向かわせます。必ずや汚名をすすぐことができましょうぞ。

家康


 信長は一読するなり、わっはっはと笑った。

「家康どのはときどき、とんちんかんなことを考えられるようじゃな。まあ、よいわ。おい、伝助を呼べ」

 ふたたび伝助が呼ばれて、町じゅうの辻々に、またも高札がかかげられた。こんどは、こんなことが書いてあった。


  世紀の化かし合い

吉五郎にいどむ三河のタヌキ

化け合戦の果て、化けの皮がはがされる

戦いやせまる。そのうち、小牧のどこかにて


 吉五郎がまた戦うと知らされて、小牧城下は大さわぎになった。

「おい、『三河のタヌキ』ってなんだぁ」

「三河のタヌキっていやあ、家康どんのこっちゃにゃあか。あの人、タヌキによう似とらっせるで」

「タヌキが化けそこなって、ああなったらしいて」

「三河のタヌキって家康どんのこときゃあも」

「なにぃ、家康どんてタヌキだったんかね」

「たわけ。家康どんはタヌキじゃにゃあわ」

「家康どんが、吉五郎と化けくらべ、さっせるんかね」

「たわけ。家康どんはタヌキじゃにゃあて言っとるがや」

「タヌキのほんものが来るんかね」

「ほうだて」

「ほんでも、そのうちっていつだぁ」

「タヌキのことだで、いつ来るか、はっきりせんっちゅうこっちゃにゃあか」

「場所も、はっきりせんみたいだがや」

「いつでもどこでもええがや。小牧でやるのはちぎゃあにゃあで、はじまったらすぐ見にいきゃええわ」

 伝助は今回も、吉五郎に伝えてくるようにと言われたので、また、キツネの穴がありそうなところに手紙をばらまいた。手紙にはこんなことが書いてあった。


吉五郎どん、また来られたし

三河より、タヌキが上ってくる

吉五郎どんと化かし合いがしたいんだと

でも、自信ないなら来なくていいよ


 小牧の町衆は、化かし合いがはじまるのを今か今かと待ちわびた。うわさを聞きつけて屋台もならんだ。ただし、どこでやるのかわからないので、町のあちこちや、山北の原に店を出す者もあった。

 日がたつにつれ、町なかに幕が張られ、のぼりや旗もはためくようになった。

 しかし、準備はすっかりととのっているのに、かんじんの化かし合いはなかなかはじまらない。

「家康どののタヌキ、尻ごみしておるのかのう」

 信長は、斎藤方との戦いや諸国の有力な武将たちとのやりとりに忙しかったが、そのあいまに城から町のようすをながめては、つまらなさそうに言った。

 城下はキツネとタヌキの化け合戦のうわさでいちだんとにぎわうようになり、どこの通りも押し合い、へし合いの、たいへんな人出。歩くことさえ、ひと苦労するありさまだった。

 そんな、人やものでごったがえす通りを、しずしずとすすむ一団があった。

 おとむらいの列である。

 坊さんを先頭に、白装束に身をつつんだ人々が悲しそうに棺おけをかついで行く。お線香の煙がつんと鼻をつき、空気をりんと張りつめさせている。通りのにぎわいをよそに、そこだけぽっかりと別の空間がひらけたようで、重々しく沈んでいた。

「おう、だれぞ亡うなりゃあたらしいわ」

「坊さんがおらっせるで、えりゃあとこのご隠居さんだにゃあきゃあ」

「だれでもええで頭ぐりゃあ下げといたろみゃあ」

 往来の人々は道をよけ、神妙に頭をさげて葬列を見送った。

 チーンと鐘の音がひびき、ナンマイダブ、ナンマイダブと、お坊さんがお経をあげながら、弔いの列は線香の煙とともに遠ざかっていった。

 お弔いが行ってしまえば、また元のにぎわいで、人々はなにごともなかったように、わいわいとさわぎだす。

 ごったがえす通りを、こんどは派手な衣装で陽気に騒いで進む一団があった。

 嫁入りの列である。

 花嫁が美しい衣装に身をつつみ、照れくさそうにはにかんでいる。紙吹雪をふりまきながら、嫁入りよおー、嫁入りよおーと先頭の男衆が叫ぶ。笛や太鼓に合わせて浮かれ踊る人々があとにつづいた。

「どっか大店の若だんなかしらん。えりゃあ豪勢なこった」

「ま、めでてゃあのはおんなじだで。祝ったろみゃあ」

 往来の人々は道をよけ、行列が通りすぎるまで、いっしょになってはやしたてた。ひときわ高い声に祝福され、花の香りを残して嫁入り行列は遠ざかっていった。

 町衆は嫁入りを見送りながら、顔を見合わせてしみじみと言い合った。

「弔いと嫁入りが、おんなじ日になあ。なんのめぐりあわせかしらん」

「人の世の常だわ。そんなもんだて」

 通りはまた人でうめつくされ、ざわざわとした城下町のにぎわう風景にもどった。

 ところが、しばらくすると、またしても陰気な風がお線香のにおいを運んできた。

 ふたたび、お弔いだった。

「また、お弔いだがや」

「なんだぁ、坊主が道に迷ってまた来やっせたんかぁ」

「さっきんのとちがうんじゃにゃあきゃあ。坊さんが三人もおらっせるが」

「棺おけもなんやしらんさっきより立派だがや」

「こんだけ大きい町になって人もふえとるで、亡うならっせる人も多いんだわ」

「こういうことは、よう重なるもんだでな」

 通りはまた、しんとなる。

 お弔いが通りすぎて、ああ、やれやれと思っていると、こんどは、またしても晴れやかに騒ぐ人々がやってきた。

 ふたたび、嫁入り行列である。

「こんどこそ、道に迷っとらっせるんだわ。一ん日に、そういくつも嫁入りがあるわけにゃあもん」

「さっきんのと、ちがえへんか。花嫁が牛車に乗っとらっせるぞ」

「人数もふえとるな」

「おい、この紙ふぶき、これ、金箔きんぱくじゃにゃあきゃあ」

「ほんとだがや。おい、ひろおまい」

 わ、といっせいに人々が、金の紙ふぶきにむらがった。

 そんなふうに嫁入りはいっそう晴れやかに、さわがしく通っていった。

「まあ、まさか三度めは、あれせんわね」

 町衆がひと息ついたころ、町のようすを城の天守から見ていた信長は、さかんに首をひねっていた。

「これはへんだ。弔いと嫁入りの一団が、くり返し往来をねり歩いておる。しかも、それぞれが衣装や飾りを、いつのまにやら変えておるようじゃ」

 しばらく考えた信長は、はたとひらめいて顔をあげた。

「うん、ひょっとして」

 下の町衆たちも、まさかの三度め、また弔いがやって来たので、これはおかしいと気がついた。

「おい、これって、あれだにゃあきゃあ」

「あれって、なんだぁ」

「あれだがや、あれ。三河の、えーと、あ、家康どんのタヌキ」

「タヌキがどうしたんだ」

「勝負するっちって、高札が立っとったがや」

「あれか、三河のタヌキ対われらが吉五郎」

「ほうだて、これがそうだわ。そうに決まっとるて」

「タヌキがお弔いに化けとるっちゅうんか」

「おうだわさ」

「ええっー」

 みんなおどろいて、いっせいにぱっと道をあけた。

 弔いの列は町衆の目などおかまいなく、道のまんなかをしずしずと通る。しばらくして、おなじく道のまんなかを、こんどは嫁入りの行列がやって来た。

「てことはだ、この嫁入りのほうは吉五郎どんか」

「決まっとるがや。キツネっちったら、やっぱ嫁入りだがや」

「タヌキがとくいなのは、お坊さんだでな」

「ほうだわ、ほうだわ。なるほどな」

「なんだぁ、化け合戦、もうひゃあ始まっとったんか」

 白昼の往来で、化けくらべはいつのまにか、いきなり始まっていた。町衆は商売も忘れ、道の両側にへばりついて見物した。あふれた人たちは屋根によじのぼった。

 弔いと嫁入りは交互に通りすぎ、通るたびに、弔いはますます暗く悲しそうに、嫁入りはますます華やかになっていった。見ているほうも、それに合わせて、げんなりしたり、うきうきしたりした。

「おう、これって、どうやって勝負がつくんだろ」

「どっちかが、まいったって言うまでじゃにゃあきゃあ」

「ほんなもん、きりがあれせんがや」

「ええがや、おもしれえで。見とったろまい」

 たしかに、きりがなかったが、そこはやはり、キツネもタヌキも生身の動物である。時間がたつにつれて疲れてきたようで、それが証拠に、お坊さんの首がなかったり、花嫁の顔がのっぺらぼうになったりしはじめた。

「おうい、どっちもまじめにやらんか!」

「手ぬきしたら、だちかんぞ!」

 そこかしこで野次やじが飛ぶようになり、それを合図に、弔いと嫁入りは通りをビュンビュン、目にもとまらぬ速さで走りぬけるようになった。

「いかんて、目がまわるがや」

「おうい! どっちも止まれえ!」

「止まれ、止まれ! 見とれえへんがや」

「止まってじっくり化け比べしてちょおおお」

 行列はそんな声にはおかまいなく、さらに猛スピードで突っ走った。

 天守から見おろしていた信長は、身を乗り出して行列を目で追った。ふたつの行列の一団は、どちらが追うでもなく逃げるでもなく、方向を変えたり、一カ所でグルグル回ったりしながら、通りを縦横無尽に疾走していた。

「うーむ。すばやいものじゃ。さすが獣よのう」

 やがて、ふたつの行列はしだいに距離をちぢめ、どちらかともなく接近してきた。

「おや」と見る間に両者はどんどん近づいた。

「あ、いかんぞ。ぶつかれせんか」

 と、みなが言っている矢先だった。

 ドッカーン!

 もうもうと土けむりがあがって、なにも見えなくなった。

 見物の衆は、屋根や店のなかからじっと息をつめて見守った。あたりは水を打ったように静まりかえり、やがて初秋の風が土けむりを運び去った。

 けむりが晴れると、お線香の煙がただよってきた。その香りに導かれるように、ひとかたまりの行列が進みだした。

 それは、お弔いの一団だった。

 嫁入りのほうは、そこで衝突したはずなのに影も形もなかった。

「おい、嫁入り行列が消えてまったぎゃ」

「どこ行ってまった、吉五郎んたらあ」

「負けたもんで、尾っぽまいて逃げてったんじゃにゃあきゃあ」

「なに言っとんだ。吉五郎は逃げえせんわ」

「ほんでも、おれへんがや」

「もうひゃあ、キツネ汁にされたんか」

「とれえこと言っとるな。わしらの吉五郎だぞ。そんなことあるわけにゃあわ」

「ほんなこと言っても、いかんがや。どこにもおれへんもん」

「なんだぁ吉五郎。とうとう、やられてまったんかぁ」

 町衆は話しながら、しだいに元気をなくしていった。

「えらかったんだわ。こにゃあだ、京都の陰陽師と戦ったばっかだで」

「いっつもなら、あんな三河のタヌキなんかに負けえせんのに」

 ようすを見守っていた信長は、ぼそぼそとつぶやいた。

「なんじゃ、三河のタヌキの勝ちか。ふむ、なんか、つまらぬのう」

 坊主に化けた三河のタヌキは、踊りながら先頭を歩いていた。勝ちほこるかのように、おりんをけたたましく打ち鳴らし、大げさに袈裟けさをひるがえす。ほかの者らも鐘や太鼓を叩いては、提灯ちょうちんをふり回している。もう、それはお弔いなどではなく、ただのどんちゃん騒ぎになっていた。

「うーむ、いまいましいタヌキじゃ。しかし、家康どのからつかわされたタヌキゆえ、むげにもできまい。なにかほうびをとらせてやらねば」

 信長がそんなことを考えていると、タヌキどもの鳴り物がやんだ。おやと目を上げると、弔いの一団がばらばらと四方に散っていくのが見えた。

「うん? なにごとか」

 町衆も、タヌキどもの浮かれ騒ぎを白々しい気持ちで見ていたが、ようすが一変したので驚いた。

「おい、あれ、見てみよ」

「どうしやあた」

「わ、棺おけが!」

 お弔いがかついでいた棺おけが、道のまん中に取り残されていた。その棺おけのふたがぽっかりとあき、中からなんと、色とりどりの紙ふぶきとともに、嫁入りの行列がぞくぞくと出てくるではないか。

 嫁入りの一団は紙ふぶきを弔いの者どもにむかって投げつけていた。その小さな紙片は、あーらふしぎ。紙つぶてのようになったかと思うと、見る間にイガグリとなってタヌキどもに襲いかかった。

「わ、痛い痛い」

 タヌキどもは背後から不意打ちをくらって逃げまどった。棺おけからは次から次へと、きれいな衣装をまとった嫁入り行列の者たちが出てきて、弔いの一団を追い散らしていった。

 三河のタヌキが化けた坊主は、すっかり浮かれていたところ、逃げてきた仲間がどっと押し寄せたのでびっくり。よける間もなく押し倒されてしまった。そこを、嫁入りの衆に組み伏せられた。

 棺おけからは最後に、目にもあでやかな花嫁が出てきた。顔をおおう衣の下、ちらと見えただけでもわかる絶世の美女である。とたんに近くにいた者たちから大きなため息がもれた。

「うわあぁ」

「ふぎゃぁ」

「すげえわ、吉五郎!」

 かくして吉五郎は、またも勝利をおさめたのだった。

 勝負がついたあと、婚礼の紙ふぶきの金ぱくは、お茶っ葉にかわった。町衆はそれでもえんぎがよいと喜んで、その葉っぱで茶をいれた。

「あだにうみゃあな」

 などと言いながら茶をすすり、みなで吉五郎の勝利を祝った。

 三河のタヌキはというと、本来ならタヌキ汁にされるところだったが、そこは家康どんの顔を立て、そのまま逃がしてやったとさ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る