第17話『フロッグハウスへようこそ!』

 警邏隊サバミコ支局を出た彩兼は、チョウタ、シラベの案内町外れにあるというでこの町で唯一の宿屋へと向かう。

 川沿いを歩いていくと、周囲の水車小屋より少し背が高い2階建ての建物が見えてきた。木とレンガで建てられた洋館で、入口の前にはフロッグハウスと書かれたカエルの形をした看板がかけられている。


「ここは1階が食堂になってるんだ。ところで腹は減っていないかい? アヤカネ君」

「減っています!」

「僕たちも昼はまだですから、一緒にいただきましょう」


 シラベが一歩先に出て不思議の扉を開ける。

 ドアにつけられたベルが心地の良い音色を鳴らす。


「いらっしゃいませ。フロッグハウスへようこそ」


 店内に入ると、麦が焼ける香り、そしてお下げ髪が可愛い女の子が出迎えてくれた。ウェイトレス姿だがまだ10歳くらいだろう。


(文明度が一気に数百年進んだ……)


 女の子の着ているひらひらのフリルが付いたエプロンドレスは、これまで見た町の人の服装と比べるとずいぶん先の時代のものに見える。

 店内の造りも小洒落た喫茶店を思わせる落ち着いた感じだ。


「いらっしゃい。チョータさん、シラベさん」

「ちわっす、ルワちゃん。今いいかな?」

「うん。どうぞ」


 ルワと呼ばれた女の子に案内されて席に着く3人。昼食には遅い時間のためか、彼らの他は年配の男が2人いるだけだ。


「今日のおすすめは?」

「猪のステーキランチ。今朝すっごく大きな猪を領主様が差し入れてくれたの」

「ああ、なるほどね」


 食材の仕入れができずに困っていたところ、領主自ら差し入れを持ってやってきたそうだ。


「良い領主じゃないですか」


 彩兼が言うとルワは満面の笑みでうなずき、チョウタとシラベは直に会えなかったことを悔しがった。


「じゃあ、俺はそれにするよ」

「僕も」


 領主様の好意をありがたく受けることにした衛士2人が手早く注文を決めてしまう中、彩兼はじっとメニューを眺めていた。

 メニュー表には見慣れたアルファベットが並んでいる。言葉同様、文字の読み書きも問題なさそうだ。


「ごめんなさい。お魚は今日は出せないの……」


 ルワが申し訳なさそうに言うが、魚以外でもメニューは豊富で、肉、魚、野菜、パンの他に麺、ライスもあるようだ。

 この店が大都市の一流レストランではなく、田舎町の大衆食堂であることは間違いない。そこでこれだけ豊富なメニューを用意できるとは、この国がそれだけ豊かであることが伺える。

 文明の程度が豊かさの尺度でないことを教えられた気分だった。


「俺も2人と同じもので」


 結局、彩兼も2人と同じものを注文する。


「おすすめ3人前ですね。少々お待ちください」


 さらさらとメニューをメモするルワが手にしているのは紙に鉛筆だった。紙は茶色がかったわら半紙のようで、鉛筆も筆のように太い。

 どちらも日本で買えるような工業製品ではなく、手作りの工芸品といった感じだ。


「味は俺が保証するよ。店はちとボロいけどね」

「もう! チョータさんまたそんなこと言って!」

「そんなことはないです。いい店ですよ」


 頬を膨らませるルワ。チョウタは本気で言ってはいないのだろう。彼女の反応が可愛くてそれでからかって楽しんでいるのだ。

 そんな微笑ましい様子を尻目に、彩兼はいびつな形をしたテーブルをそっと撫でる。


 巨木をぶつ切りにしてそのまま加工したような、迫力ある見事な一枚板のテーブルだ。それがいくつも並んでいる。ここでは普通なのかもしれないが、日本に持っていけば一体いくらの値が付くだろう?


 切り株に背もたれをつけたような椅子もまた然り。

 店内は確かに年季が入っているがしっかり手入れされているのが見て取れる。


 店の裏手は土手に面していて、すぐ近くの水車小屋から粉をひく音が聞こえてくる。

 川のせせらぎと水車の音、店内を満たす木の香り。エンジンの音なんて聞こえてこない。現代日本ではなかなか味わえない贅沢な空間だ。


 ふと窓から外を見る。

 でっかい猪が皮を剥がれて吊るしてあった。


 見なかったことにする。


 厨房からは豪快に肉を焼く音が響き、食欲をそそる香りが店内に充満してきた。

 その匂いに惹かれたのだろう。奥の席にいた常連らしい年配の客がつまみをオーダーする。


「はぁい。少々お待ちください」


 オーダーを受けて店の中を動き回るルワ。その姿を孫を見るように眺めている。


 彩兼達が来る前から何やら真剣な顔で向かい合っていたようだが……


 気になった彩兼が彼らの席を覗いてみるとそこには四角くマス目の入った板と、黒白に塗られ、楕円に磨かれた石。


「I・GO!?」

「おや? アヤカネ君の国にも囲碁があるのかい?」


 目を白黒させながら、店内を見回すとカウンターの後ろで額に入って飾られた手形が目に入る。

なんとなく似たようなのを日本でも目にする気がする。彩兼がじっとそれを眺めていると、ルワが横にやってきて説明を入れる。


「これは去年お相撲の巡業が来た時に横綱さんからもらったの」

「なんで異世界に相撲巡業があるねん!」


 つい本気でツッコミを入れてしまう彩兼。

 驚いたルワが「ひゃう!」と声をあげて首をすくめる。


「ど、どうしたんだい? アヤカネ君」

「どうしたもこうしたもありませんよ! なんなんですかこの世界は!? ODA? 青年海外協力隊? 出てこい日本国外務省!」

「まぁまぁ、落ち着いてくださいアヤカネさん」


 突然吠えだした彩兼をなだめるシラベ。


「すみません。ただ、この世界が日本に似すぎてるんでつい……」

「そうなのかい?」


 2人になだめられ話を聞いてみると、囲碁も相撲も彼らが生まれる前からあるという。碁石や碁盤を作る職人も力士この世界の住人で、むしろ日本に同じものがあることに驚いていた。


(地球の進んだ技術や文化持ち込んで大儲け。それが異世界行った人間の義務なんじゃないの?)


 肩を落とす彩兼。まるでおもちゃ箱のようにごちゃまぜな文化を持つ世界に、頭で思い描いていたファンタジー世界の印象がどんどん破壊されていく。


「チョーさん。シラベさん。俺、この世界で何をすればいいんだろう?」

「キミはどんな義務感を持っていたんだい? アヤカネ君」

「とりあえず、後で事情聴取にご協力ください」

「そういえば、そうでしたね」


 彩兼はここへ来て何度めかになるため息をついた。



***



「お待たせしました。今日のおすすめ定食です」


 そうこうしている間に料理が運ばれてくる。

 運んできたのはルワと、金髪をポニーテールにした中学生くらいの女の子だった。ルワと同じウェイトレス姿で、中々の美少女だ。

 彼女が現れた途端に表情が明るくなったのがシラベである。


「やぁ、ラッテ」

「もう! シラベさん! いらしてたなら呼んでくれればいいのに! あ、チョウタさんもいらっしゃい」

「一応勤務中だからね」

「はーい。いらっしゃってますよー」


 どうやらシラベとこの少女はお互い気になる関係ようだ。

 あきらかについでな扱いをされてトホホになってるチョウタ。

 一方、彩兼はルワにさっき大声を出してしまったことを謝る。


「さっきは驚かせてごめんね」

「うん。全然大丈夫」

「もう、ルワちゃんいい子だなぁ」

「えへへ」


 彩兼が頭を撫でるとルワは頬を染めてはにかむように笑う。その様子にチョウタは更に寂しそうにしている。


(まさかチョーさんこっち狙い? まさかね……)


 それ以上考えないことにした彩兼。


「えっと、こちらの方は? もしかしてエルフ様ですか?」


 見慣れぬ格好をした彩兼をエルフなのかと尋ねるラッテ。またかと思う彩兼。


「……いえ違いますから。俺はただの人ですよ。今日この国に着きまして2人に案内して貰ってるとこです」

「あら!? ごめんなさい。すごく綺麗な顔だからてっきり! それにしても別の国の人!? そういえば変わった服ですね」

「あはは! そうなんだよ。歩くマイヅル案件のアヤカネ君。それでマイヅルからのお迎えが来るまで部屋を貸してあげて欲しいんだけど空いてる?」


 チョウタの言葉にふとラッテの顔から笑顔が消える。


「空いてるもなにも、魔獣騒ぎで今他所から来る人警邏隊がみんな追っ払っちゃったんじゃない! しかも隊舎前の広場で炊き出しやってるもんだから、みんなただ飯が食えるってそっち行っちゃって、うちは見ての通り閑古鳥よ!」

「あはは……すいません」


 頭をかいて謝るチョウタ。警邏隊はどうやら住民にサービスしすぎてしまっているようだ。


「いいわよ。エルさんもせっかくだから今日はもう午後から休みにしてあたしたちも炊き出しのご相伴に与ろうかって話してたから。稼ぎとしてはあの大猪で充分すぎるくらいだし」

「それじゃあ、俺がお邪魔するのも悪いですかね?」

「ああ、それは構わないと思うけど? ちょっとまってくださいね? エルさーーん!」


 ラッテの声に奥から出てきたのはルワによく似た小柄な女性だった。ルワの母親でこの店の主、エルである。しっとりと穏やかそうな美人でとても10歳の娘がいるようには見えないくらい若い。エルは彩兼の宿泊を快く受け入れてくれた。


「ええ、ご宿泊ですね。構いませんよ」

「それはどうもありがとうございます」

「いえいえ、異国の方なんて初めてすから、あとでぜひお話を聞かせてくださいませ」

「ええ、構いません」

「それじゃあ、悪いんですけどマイヅルからお迎え来るまで彼のことお願いします。宿泊料金の方は後日うちの方に請求していただく形で……ああ、この昼飯代の方は今俺が払いますんで」

「あ、ゴチになります!」

「ご馳走様です。流石先輩」

「馬鹿、お前は自分で払うんだよ」

「えーー」


 ちゃっかり自分の分も払ってもらおうとしたシラベだったがそうは問屋が卸さなかったようだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る