第5話『不思議な海のアリスリット号』

 気がつくと満天の夜空の下にいた。


 UFOから発生した光りに包まれた際に気を失い、数時間が経過したものと最初は思った彩兼だが、船内にある全ての時計の時刻はあれからさほど変化していないかった。

 電波時計の時刻が修正されることも無い。標準電波を受け取れていないのだ。

 それだけではない。携帯も無線もつながらない。当然GPSも使えない。


 故障はしていない。アリスリット号の機能も全て正常だ。


「わからん! お手上げだーー!」


 満天の星空を仰ぐとリアデッキに大の字にひっくり返る。


 周囲には望遠鏡、ノートPC、星座盤、コンパスが散乱している。星の位置から現在位置を割り出そうと奮闘した跡だった。


 この場所が日本領海内ではないと判断した彩兼はなんとか位置を特定できないかと試してみたが今のところ成果は無い。


(これってアレか。ワープってやつ?)


 あのとき、なんらかの空間的な移動手段に巻き込まれたのだろうと彩兼は予想はできる。だが、位置的に飛ばされたのか、時間的にとばされたのかもわからない。

 もしかしたら、遥か太古や未来に飛ばされた可能性も捨てきれないのだ。


 手元にあった六分儀を胸に抱く。昔譲治と一緒に手作りした彩兼の宝物だ。


「親父~。俺もう駄目かも」


 言葉とは裏腹に彩兼の口元は笑っていた。


 不安はある。だがそれ以上に抑えきれないほどの好奇心が湧いてくるのだ。


 結局彩兼は根っからの冒険家なのである。


「アリス。周辺状況に変化は?」

『現在当船は2時間13分の間オフラインの状態にあります。探知可能な範囲に船舶の反応はありません。無線電波傍受出来ません……』

「ん。引き続き観測を続行」

『了解いたしました』


 携帯電話も繋がらない今、話し相手はアリスリット号のAIだけだ。

 鳴海家で大切に育てていた自己学習型AIで、彩兼にとっても家族同然であり、かけがえのないパートナーだ。


 そんな高度な人工知能も、現在の状況に回答を出せずにいた。


「さそり座、琴座、はくちょう座……ここが地球であることは間違いない。……へっくし!」


 くしゃみを一つ。気温は18度。Tシャツ1枚でいるには肌寒い。


(冷えてきたし、仕方ない。もう寝るか)


 どこかもわからない夜の海を航行するのは危険だ。明るくなってから行動を開始することにした彩兼は、散らかしたリアデッキを手早く片付けると熱いシャワーを浴びる。アリスリット号は独自の水素プラントM.r.c.sと水素タービンエンジンが積まれているため、真水に不自由しない。贅沢に温水を使い冷えた身体を温めると、船長室のベッドにもぐりこむ。


 船長室は4畳半ほどのスペースに、折りたたみ式のベッドやキャビネットが壁に埋め込まれるように設置されていている。

 譲治とティーラで使うはずだったためベッドはダブルサイズで、小型の冷蔵庫まで置いてある。天井が低いことに目をつむれば長期の航海でも快適に過ごすことができるだろう。

 

「おやすみ、アリス。状況に変化があったら起こしてくれ」

『承知いたしました。おやすみなさいキャプテン』

 

 ひとりで使うには広いベッドに横になり目を閉じると、案外あっさり眠りにつくことができた。



***



 目が覚めると既に空は明るくなっていた。眠っていたのは4時間程だが、もとより彩兼はショートスリーパーだ。体調に問題はない。


「おはようアリス」

『おはようございます。キャプテン』


 適当にロールパンを腹に入れ、洗面台で身なりを整えるとハンズフリーマイクを耳に付けてリアデッキに出た。

 周囲を見渡すがやはりアリスリット号は大海原の真っ只中にいるようだ。海面からリアデッキに立つ彩兼の目線までを約3メートルとして、水平線までの距離は約8キロメートル。最低でもその距離の間に陸地は無い。


「アリス、状況は?」

『キャプテンの就寝時刻から変化はありません』


 電波一つ拾わないなど今の地球では考えられないことだ。通信関連の機械だけ故障というのは考えにくいし、ノイズ1つ入らないことから妨害されているという感じでもない。


『キャプテンに警告します。本船は7時間12分の間漂流状態にあります』


 位置の特定できない海域にいることでAIは現状を遭難と認識しているようだ。彩兼は笑う。AIは自身の性能を理解していないようだ。


「アリス、この船の航続距離は?」

『事実上無制限です』

「うん。そうだね。だからこの船で遭難はありえない。どこへでも、どこまででも行けるんだから。今の状況そうだな言うなれば……迷子かな?」

『状況を迷子と認識しました。キャプテンに警告します。本船は998872時間後に深刻な問題が発生する恐れがあります』


 AIが遠回しに100年間の保証を告げる。

 アリスリット号は世界から孤立しても、なんとかなるようにオートメンテナンス装置が各部に設置され、長期の航海に耐えられる設計になっている。

 タフであることは冒険者のガジェットとして最も重要な部分なのだ。


「アリス。初のトラブルを経験して、どうやら君は混乱してるようだね」


 彩兼はボディを撫でる。怯える子供の不安を取り除くかのように優しく。


「大丈夫だ。こんなのトラブルと言える程のもんじゃない。俺とお前なら、問題なく家に帰れるさ」

『イエスキャプテン。私はキャプテンを信頼しています』

「よし、いい子だ」

 

 彩兼はもう一度ボディを撫でると次に空を見上げた。



「アリス、太陽の位置から時刻はわかるか?」

『午前7時35分を計測しました』

「船内の時刻をそれに合わせろ」

『設定しました』


 アリスリット号は一応海洋調査船を名乗っているだけあって各種観測機器が充実している。現在の太陽の角度から子午線を通過する時刻を算出するくらいわけはない。

 その地域が定める地方標準時とは若干ずれるかもしれないが、大まかでも時間がわからないと何かと不便だ。

 彩兼は自分の腕に巻かれたダイバーズウォッチの時間もそれに合わせた。


 幸い空は快晴で波も穏やか。船を走らせるには最高の日和だが、漂流中とあっては燃料や水には限りがある。下手に動くのは危険な賭けになるだろう。

 だがそれは普通の船ならばだ。

 アリスリット号にはそれらの問題を解決するある特殊な装置が備え付けられていた。


「さあ、朝飯だアリス、M.r.c.s起動」

『M.r.c.sを起動します。集光パネルを展開します』

 

 M.r.c.sとは、Material Re Cycle Systemの略で、正式名称は単一分子循環生成機構。

 物質を強力なプラズマで瞬間的に分解し、特殊な電磁路を通して分子を新たに再構成するという装置である。


 これは電気分解の延長であり、原理としてはそこまで難しくはない。だが、物質を分解するほどのプラズマの発生には、当然膨大な電力が必要となる。生み出すエネルギーより生み出すためのエネルギーの方が大きくては意味がない。そこで、M.r.c.sではある因子の力を利用して電力の問題を解決していた。それがマターである。


 譲治は生前あらゆる素粒子へと変化する特性を持つ因子の存在を太陽光の中に発見していた。


 エネルギー保存の法則をぶっ壊すチート。その因子をマターと名付けた譲治は(それが仮説上の暗黒物質と同一かどうかはわからないがとりあえずそう呼んだ)、その力をプラズマの増幅に利用することで少ないエネルギーでプラズマ化した重イオンを投射し対象を原子にまで分解する荷電粒子ビームの発射装置と、分解した原子を再び組み直す機能を持つ電磁路を完成させたのだ。

 

 また譲治は小型軽量で高出力の水素タービンエンジンも開発し、M.r.c.sと共にアリスリット号に積みこんだことによって、アリスリット号は補給を受けること無く半永久的な航行が可能となったのである。


 彩兼が命じるとモーター音がして、アリスリット号の上部から伸びるマストの前面のカバーが開き、人が両手を広げたほどの大きさの花びらのような鏡面状のパネルが広がる。

 中央部には水晶のような透明な結晶体のブレードが8本、雄しべのように伸びている。この結晶体には光子の中に擬態しているマターを分離し本来の因子に戻す力がある。

 どうやらケイ素系バクテリアの結晶体であるらしく、そのためバイオクオーツと命名されたのだが、実際その正体がなんなのかは怖くて口に出せないオーパーツだ。


 M.r.c.sの内部で海水が分解され、水素、酸素、ナトリウムと、それぞれ元素毎に整理されていく。


『充填が終了しました。M.r.c.sをスリープモードに移行します。集光パネルを収納します』


 このM.r.c.sを譲治は新型の水素プラントと言い張っていたが、世界は泥から金を取り出せる賢者の石と解釈した。そのため是が非でもその技術を奪おうと狙っているのだ。


 こいつの正体を知ったら俺は世界中の笑い者になるだろうな。


 譲治はそう言って笑った。


 ここまでの説明でお気づきの方もいるだろうが、マターを直接プラズマのようなエネルギーに変換できるなら、水素タービンエンジンいらなくね? と……


 それどころか何らかの運動エネルギーを作り出せれば推進機すらいらないんじゃね? と……


 正解である。


 実際のところM.r.c.sを積んだアリスリット号はかなり間抜けなことをやっている。


 ならば何故それをしないのかといえば、マターもバイオクオーツもまだ研究不足で得体が知れないからに他ならない。信頼できないツールを譲治は良しとしなかった。彩兼だってそうだ。


 だったらわけのわかるエネルギーにして扱えばよい。


 まともに使おうと思ったら100年研究しても終わりゃしないが、そんなもん待ってられん。ちょっと力を借りるだけでもチート級の恩恵だろ?


 それがM.r.c.s開発の経緯だった。


 今の所M.r.c.sは正常に稼働している。常温液化水素を毎分100リットルのペースで生成し、燃料タンクは10分かからず満タンになる。


 アリスリット号の燃料タンクは同クラスのクルーザーと比べて小さい。それでも巡航速度ならば丸2日航行することが可能だった。


 水素燃料の充填を終えアリスリット号はいつでも発進出来る状態が整うと、彩兼はもう一度海上を見回した。


 M.r.c.sがある限りこの船に燃料切れはない。いざとなればソーラーボートとしての機能もある。また水素タービンエンジンは起動させれば水を生み出すため真水の心配もない。


 元々いつでも家族を連れて日本を飛び出せる準備をしてきたアリスリット号には、食料などの物資も十分に積み込んである。


「さて、どうしようかな?」

 

 向かうべき方向は高性能な機械も答えを出してはくれない。全て彩兼の直感に委ねられている。


 古来より旅人が道を決めるときの鉄板、棒でも倒して決めようかと考えていたそのとき、アリスリット号の警報が鳴った。

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