第6話『seve the rife!』

 船内に鳴り響く警報。それはAIが緊急性を要すると判断した事態が発生したことを意味する。


「何があった?」

『要救助者の反応を捕らえました』

「どこだ!?」

『10時の方向、距離3000メートル』


 彩兼は操縦室へ飛び込むとレーダーを確認する。AIの言う通り海面付近に人間大の反応があった。


『音声出します』


 こらーっ、離せっ……たら! んっ……そこは! もう、やめっ……ひゃっ!? ガッ……ケホッ……


「まじかっ!?」


 収音機が拾った音声がハンズフリーマイクから聞こえてくる。言葉は英語。若い娘の声だ。それに水を叩く音も聞こえる。切羽詰まった感じで海上で何かと争っている様子だ。

 

「救助に向かう! 発進しろアリス!」 

『了解、発進します』


 燃えるレスキュー魂は冒険者の嗜み!!


 彩兼は迷うことなく救助に向かうべくAIに発進を命じる。


 水素タービンエンジンが起動を始め、甲高い音が船内外に響く。そして、左右から張り出した安定翼の基部にあるカバーが開き、そこから可動パドルを備えた噴射口が現れる。


 ジェットエンジンのように爆音を上げることなく、大気を震わせ船は力強く加速を始める。


 イオンパルスブースターは、電磁推進でありながら推力は最新のジェット戦闘機のエンジンにも劣らず、燃費では桁違いに優れるという夢の推進機だ。


 普及すれば人類にとって宇宙は身近な場所になるだろう。だが、同時にテロリストが戦闘機や戦闘ヘリを持ち、誰でもガレージから地球の裏側まで届くミサイルを発射できるようになる。結局イオンパルスブースターも今の人類には早すぎる技術として秘匿されてきた。


 電力をイオンパルスブースターに集中したほうが効率がいいため、船外機は水上バイクの形態になってリアデッキに収納する。元よりそれがアリスリット号の巡航形態だ。むしろ船外機はイオンパルスブースターを隠すために搭載している意味合いが強い。

 

「よし! 見つけた!」


 操船をアリスにまかせて自身は上部ハッチから双眼鏡で直接その姿を確認する。

 小さく上がる水しぶきと人の頭。金色の髪のやはり少女のようだ。


(よかった。まだ無事だ。でもなんでこんなところで……いや、今それはいい! 溺れているのか?いや襲われてる!?)


 少女の身体に触手のようなものが絡まっているのを確認した彩兼は操縦室を飛び出した。


「アリスはここで待機しろ!」

『了解しました』


 アリスに船を待機させるように命じると、彩兼はロッカーからスピアガンを取り出してリアデッキに出た。そこに水上バイク形態で収納されていた右側の船外機の1つに跨る。

 可変船外機シードラ。全長3メートルほどの大型水上バイクであり、ソーラーパワーと内部バッテリーで可動する。

 シードラという名称は船外機形態がタツノオトシゴに似ていることから付けられた。


「アリス! シードラを下ろせ!」

『了解。ライトシードラリフトオフ』


 水上バイク形態のシードラを固定していたアームが傾き滑り落ちるように海上に着水する。彩兼はスピアガンのゴムを巻きながらシードラを操り目的地へと走らせる。


 海上に飛沫が上がっている。そこでは長い金色の髪を振り乱した少女が人の身長の遥かに超える大きなタコと激しい格闘を繰り広げていた。


「このっ! 離しなさい……ケホッ」


 タコは体長3メートル以上はある。少女は必死に振り払おうとしているようだが、タコは少女の背後から吸盤のついた長い足で少女に絡みつついている。


「大丈夫か!」


 最初に聞いた少女の言葉が英語だったため、彩兼も英語で話しかける。


「な、何? キミ? どっか……ら? ひゃん!」

「喋るな! 水を飲む! 今からそいつを何とかするから!」

「え!? な、なに!?」

「いいから黙ってじっとしていろ!」


 彩兼はシードラの上からスピアガンを構えると、椰子の実のようなタコの頭が海面近くに浮いてきたところを狙って引き金を引いた。


「ひゃっ!」


 絡められていたタコの足が急に離れた事に驚いて、少女は小さく悲鳴をあげる。

 タコは頭に銛が刺さったままし海中へと逃げていった。


 もう危険が無い事を確認して、彩兼は少女に話しかけた。


「大丈夫か? 言葉はわかるよな?」

「あ、うん。ありがと……」


 美しい声だ。大きくはなかったが、直接心に届くかのように彩兼の耳に入ってくる。

 少女の話す言葉は英語だが日本の中学生が喋っているかのような発音だった。しかし、会話可能であるなら問題はない。


 幼い頃から冒険家を目指してきた彩兼は日本語の他に英、仏、独、露、北京語とスペイン語の6ヶ国語を話すことができる。特に英語ならばネイティブ相手に喧嘩できる程に堪能だ。


「さあ、こっちに。俺の船で傷の手当をしよう」


 シードラの上から手を伸ばす彩兼。少女はほっぺにタコの吸盤の跡をつけてきょとんとした顔をして、深く青い瞳で彩兼を見つめている。


「船?」

「ああ、あれさ」


 彩兼が目線で示す方角を見て、少女は近づいてくるアリスリット号の白い船影に気がついたようだ。


「綺麗……」

「だろ?」

「あれに乗せてくれるの?」

「乗りたくないか?」

「乗りたい!」

「よし!」


 目を輝かせた少女が彩兼の手を取った。


(ははは、まるで誘拐犯だな……)


 少女は10代半ばくらいに見えるが貴重な情報源だ。それにこのまま海に放置するわけにもいかない。


「えっ!?」


 少女を引きあげようとした彩兼だが、想像以上の重さにシードラが大きく傾いた。

 海中に引きずり込まれるかというほどの重さ。次の瞬間背筋が凍った。少女の足が巨大な魚に食らいつかれているかのように見えたからだ。

 しかしそれは一瞬のことで、唐突に重さが消えて少女が上がってくると、シードラは安定を取り戻す。


「あ、ごめん!?」

「う、うん……」


 彩兼は少女を正面から抱きとめるような形だが、狭い水上バイクの上では仕方がないと、そのまま少女に怪我はないかを確認する。


(大きな魚の鰭みたいなのが見えたような気がしたんだけど気のせいか?)


「足、痛くない?」

「うん? 大丈夫だよ?」


 未開の地の原住民だろうか? 少女の身なりはお世辞にも仕立てがいいとはいえない布を胸と腰に巻いているだけだ。

 パレオのように巻かれた布の下から伸びた足に出血は見られない。だが、露出の高い上半身がタコの吸盤の跡だらけだったのに対して少女の足はまるでミルクをこぼしたかのように白く、傷ひとつ見当たらない。


 大きな怪我はなさそうで安堵する彩兼だったが、当の少女はといえば危険な状況に遭ったというのに、緊張感など皆無な様子で少女がシードラを眺めて無邪気な声を上げている。


「うわぁ! すごい! これすごく綺麗だね。宝石みたい!」


 シードラのフェアリングにあるソーラーパネルを見て無邪気に声を上げる。命の危機に陥っていたことすら忘れているかのようだ。


「君は何故こんなところに?」

「え?」


 彩兼の言葉に、一瞬少女は不思議そうな顔をして、周囲を見回す。


「いっけない! こんな沖まで来ちゃってたんだ!」


 そして今ようやく気がついたかのように声を上げた。

 目立った外傷はないが、落ち着いたところで詳しい状況を聞いてみたほうがいいだろう。


「しっかり掴まってな」

「うん?」


 少女は彩兼がシードラを発進させようとしているのがわからなかったらしい。本来なら後ろに乗ってもらうべきなのだが、少女から目を離す方が怖かったため、仕方なく正面から自分を抱きしめるように掴まってもらった。

 少女の細い腕や肩、その割に豊かな胸が押し付けられる刺激的な体制だが、やむを得ない現場の判断だ。


(後でセクハラだと訴えられないといいけど……)


 彩兼の心配をよそに、少女は彩兼の着ているライフジャケットを珍しそうにぺたぺたと触っている。


「出すぞ」

「えっ? うわぁ……」


 動き出した瞬間少女は小さく悲鳴を上げていたが、それはすぐに感嘆の声に変わっていった。


「すごい! 気持ちいい!」

「それはよかった。そういえば俺が誰かまだ言ってなかったな。俺は鳴海彩兼。日本人だ」

「え!? ニッポンジン!? 本当に?」

 

 彩兼が名乗ると、少女は少し驚いたような反応を見せる。


「ああ、日本人だ。こんななりをしてるけどね」


 彩兼はプラチナブロンドである自分の容姿が日本人に見えないからだろうと思って答えた。


「すごい! 本当にニッポンジンなんだ! えっと……ナルミアヤカネ?」

「ははは、アヤカネでいいよ。君は?」

「あたしはファルカ。メロウ族のファルカだよ」


(メロウだって? ならここは大西洋なのか?)


 メロウとはアイルランドの伝承に登場する人魚のことだ。しかし、ファルカにはしっかりと人の足がある。

 もしかしたら伝承の元になった少数民族がまだ残っているのかもしれない。確かに海でこのような少女に出逢えば人魚と勘違いしても無理はないだろう。

 

「そうか、よろしくなファルカ」

「うん!」


 このとき彩兼は気が付かなかったが、これが人魚姫との出会いであったことを後に彼は日誌に記すことになる。

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