第2話

 その後更に三日続けて同じような賭けを行い、そして俺は四日連続でタロウにマックシェイクを奢る羽目になった。それでも狐につままれているような感覚は拭いきれるはずもなく、「例えばその夢で見たのと違う行動を俺らが意図的にとって矛盾を起こした場合どうなるんだ」と反論を試みるも、「そうしたら夢の方が書き換わったよ」と呆気なく返されて、そのあまりの都合の良さに益々釈然としない。

「そんなことは真っ先に考えた。だから試しに昨日の朝、SHが始まる前にシラトリさんに話しかけてみることにしたんだ。昨日の夢の中で最初は確かに俺に話しかけられた記憶は無かったからな。でも、シラトリさんと数十秒、言葉を交わしている内に、段々とデジャヴを感じ始めて、終いには俺の言葉に対する彼女の返答を完全に予知することが出来た。スゴイだろう」

 土日を挟んで月曜日に事件は起きた。タロウに話を聞かされて、「流石にそれは洒落になんねえぞ」とつい語気を荒げてしまったが、「でも本当に夢の中で起こったことなんだ」の一点張りで、何だか危うさすら感じた俺は結局友人のよしみで彼に付き添うことにした。

 俺たちの高校の最寄駅は快速の止まらない小さな駅で、一度乗り過ごすと10分は待たされる。そのホームの先頭にシラトリさんは佇んだまま電車を2本見送った。そしてそれを少し離れたところで監視していた俺たちは、2本目の電車が去った後、意を決して彼女の元へと近づいた。

「あれ、二人もこっち方面だったんだ」

「シラトリさん、部活は行かなくてもいいの」とまず俺が尋ねる。

「うん。今日は少し、体調が悪くって」

 その言葉はもしかすると本当なのかもしれないから、俺が何と返せば良いものか逡巡していると、タロウは単刀直入に話を切り出した。

「線路に飛び込んで自殺するのはやめた方が良い。例えこんな田舎の駅でも、相互直通運転によって複雑に路線の入り組む首都圏において一つの遅延の及ぼす波及効果というものは計り知れなくて、そして君の起こした事故の賠償責任は遺される君のパパやママが負うことになるんだから……」

 迅速に隣の男の狂った頭を引っ叩けるよう心構えは出来ていたけれど、シラトリさんはタロウのことを数秒ほどジッと力強い眼で見つめた後にふっと表情を緩めて、そして、

「自殺自体は止めてくれないんだね」

と所在無さげに笑ったのである。

「うん」

「どうして?」

「その人の苦しみ悲しみはその人にしか分からないから、部外者の立場で、あんまり無責任なことは言いたくない」

「そっか」

 真っ赤に燃え盛る西日に照らされたシラトリさんはさながら生命の躍動を表現した古代ギリシアあたりの彫像のように美しく、そして、その彼女の次に発した言葉の質感はやはり大理石のようにゾッと冷たかった。

「わたしさ、ガンなんだ」

 俺たちは、知ってるという言葉を飲み込んで、ただ黙って彼女の話を聞くことしか出来なかった。彼女のガンは他の臓器にも転移していて、もしかしたら強力な抗がん剤治療を施せば治るかもしれないけれど、でも治らない確率の方が遥かに高くて、そして、何よりその治療には過酷な副作用があった。髪が抜け落ちて、肌は荒れ、食事が喉を通らなくなるからガリガリに痩せこける。別にそのくらいどうってことないだろうと思う人も居るかもしれないけれど、でも恋する十七歳の少女にとってそれは最早死を宣告されていることとさほど変わりなかったのである。

 シラトリさんは俺たちに別れを告げると3本目の電車に乗ってホームを後にした。東へ向かうその電車が夜の闇と完全に混ざり切って見えなくなった後で、漸く俺は口を開いた。

「なあ、本当に止めなくて良かったんかな」

「ならお前は彼女の病気を治せてやれたのか」

「それは無理だけど」

「兎も角、今の電車に轢かれて死ぬ未来を回避出来たのは確かだ。まあ今夜十二時きっかりに自分ちのマンションの屋上から飛び降りる未来へと書き換わっただけなんだけど、でも、それが俺たちに出来る精一杯だったんだから、クヨクヨしたって仕方がない」

「なあ、マック寄ってから帰ろうぜ。マックシェイク奢ってやるよ」

 帰途に就く前に、一旦無理矢理にでも騒がしい日常を挟む必要があると感じたためであった。しかしタロウは俺の誘いを無下に断った。

「悪いな。ここ最近眠っても全然眠った感じしなかったから疲れてるんだわ。先帰る」


 タロウの言う通りシラトリさんはその夜マンションの屋上から飛び降りて自殺して、その週のうちに開かれた葬儀の通夜の方にだけ俺たちは参列した。遺影の中のシラトリさんは天真爛漫そのもので、参列したクラスメートたちの多くは何で自殺なんかしたんだと咽び泣いていた。ガンの事実を知っていたのは多分俺たち二人だけである。

 タロウは彼女の死んだあの日から一切の夢を見なくなったらしい。また別の奴の夢を見たらどうしようって思ってたんだと言って彼ははじめ無邪気に笑っていた。しかしながら彼の目の下のクマは日に日に酷くなっていき、次第に口数も減って、ひと月ほど経ったある日を境にぱったりと学校に来なくなった。流石に心配になった俺はタロウに大丈夫かよとラインを送るがその日の内に返信はなかった。

 タロウから電話がかかってきたのは翌々日の夜のことであった。

「なあ、お前何で最近学校来なくなったんだよ」

「確かに最初は夢を見なくなったと思ったんだよ」

「ハァ?」

「でもさ、そうじゃなかったんだ」

 そういえば、こいつの声ってこんなに嗄れていたっけかと電話口でふと俺は疑問に思った。

「夜眠るとね、真っ暗闇の何もない空間が視界に広がっているんだ。視界と言っても、そう感じている俺の身体すら見当たらないんだけどな。兎も角そういう夢を見るようになったんだ。気味悪いだろ。そして俺は思い至った。もしかして、まだ俺とシラトリさんの繋がりは切れていないんじゃないかって。その瞬間から、眠るのが怖くなった」

 そう言うとタロウは一方的に電話を切って、以来、二度と繋がらなかった。そうして学年の上がる頃には特に学校側から何の連絡もなくタロウの名前は学年名簿から消えていて、海外へ転校していったらしいという噂が出回ったが真偽の程は分からない。

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夢の続き @otaku

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