第20話 心地いい、曖昧な関係

 それは、貴臣君と水族館に行った数日後のことだった。


「え、ホントに?」

「うん……」


 話があるの、と言われた私と美咲は、放課後の教室でゆきちゃんからの相談を受けていた。


「好きな人が、出来たの」

「そっかー、ゆきちゃんにもついに!」

「で、ちなみに相手は?」


 美咲の言葉に、ゆきちゃんは一瞬動きを止めた。

 そして……。


「笑わない?」

「え、何で? 笑わないよ」

「そうだよ、笑うわけないよ」

「そう、だよね……。あのね……A組の、桜井君なの」

「っ……!?」

「桜井?」


 思わず息を呑んだ私とは対照的に、美咲は誰だっけ? と私に小さな声で尋ねた。

 けれど、私はそんな美咲の質問には答えられるだけの余裕はなかった。だって……。


「A組の桜井君って……まさか……」

「うん……前に、美優に告白した――」

「あー! あの時の! 脅迫男子!」

「きょ、脅迫って……」


 美咲とゆきちゃんは何かを喋っていたけれど……私の耳にはほとんど入ってこなかった。

 たまたま苗字が同じだけであってほしいと思ったけれど、やっぱり……。

 ゆきちゃんは頬を赤く染めて、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに話している。


「っ……」


 どうして……。なんで、ゆきちゃんが貴臣君のことを……。


「けどさ、何がきっかけ? A組となんて接点ないじゃん」


 同じように思ったのか……私の代わりに美咲がゆきちゃんに尋ねた。


「う、うん……。あのね、八月の終わりに、文化祭の準備のために準備室にあるペンキを取りに行ってたんだけど――」


 ゆきちゃんは、赤い頬をさらに赤く染めて、照れくさそうに話しはじめた。


「同じようにペンキを取りに来ていたのが桜井君だったの」

「へー、それで?」

「うん……。先生からは教室の前で待っているように言われたんだけど、どれだけ待っても先生は来なくて……。そんな時に、教室の中でガタッという音が聞こえたの」

「つまり、先生は中にいたってわけだ! それならそうと言っておいてほしいね」


 ゆきちゃんの話に、美咲が相槌というにはうるさいほど、返事をする。でも、そんな美咲に嫌な顔をすることなく、ゆきちゃんは話を続けた。


「そうなの。私たちも美咲と同じように、先生は中にいるのかもしれないと思ってドアを開けたの。けど――教室の中には誰もいなくて、それどころか部屋の中の棚は倒れてぐちゃぐちゃになっていて……」

「え、なにそれ!? 泥棒とか?」

「結局はただ荷物が崩れただけだったんだけど……その時は何がどうなってるのか分からなくて。桜井君が先生を呼んでくるからって走っていったの」

「へー、それで先生は来てくれたの?」


 美咲の言葉に、それがね……とゆきちゃんは話を続ける。


「タイミングが悪いことに、桜井君と入れ替わりで先生がやってきて……」

「うわー、桜井ってタイミング悪い」

「美咲……」


 思わず美咲をたしなめると、ゆきちゃんは困ったように笑って大丈夫だよと言った。


「部屋の中を見た先生がどうなってるんだ! って怒り始めて……。事情を話したんだけど、どうしてか先生は私が部屋をぐちゃぐちゃにしたんだと決めつけて。どれだけ説明しても、信じてくれなかったの」


 ああ……最後まで聞かなくても、わかってしまった。

 濡れ衣を着せられて、困っている子を放っておくなんてこと、貴臣君ができるわけがない――。


「いっぱい怒られて、信じてもらえなくて、泣きそうになってたら……桜井君が来て、先生に事情を話してくれたの。私の話は聞かなかったのに、桜井君が言ったらすぐに信じてくれて」

「なにそれ! 腹立つんだけど!」

「うん、桜井君もそれで怒ってくれた。でも、先生はへらへらと笑うばかりで――そんな先生に、桜井君は言ってくれたの。「先生はまだ彼女を疑ったことを謝っていませんよ」って……」

「へぇ……」


 ちゃちゃを入れていたはずの美咲も、思わずといった様子で声を漏らした。


「ね、カッコいいでしょ。そんな桜井君の言葉に先生も慌てて私に謝ってくれて……。それで私……」

「好きになっちゃったんだ」

「……うん」


 はーっと美咲は大きなため息をついた。


「そりゃしょうがないわ! カッコいいもん、そのエピソード! ズルいなー、桜井のくせに!」

「くせにって……」

「あ、ごめん。だってさ、どうしても美優の時のイメージが強くて」


 少しムッとした様子のゆきちゃんに、美咲は慌てて謝ると頭を掻いた。


「でも、桜井いい奴そうだし。よかったね、ゆきちゃん」

「うん……。でも桜井君は私のことなんて何とも思ってないんだけどね」


 そう言うと……ゆきちゃんは、私の方を見た。


「桜井君が好きなのは、美優だし」

「っ……」


 ゆきちゃんと美咲の視線が、私へと向けられる。

 どうしたらいいか分からず焦る私に、美咲は助け船とばかりに口を開く。


「あー……でも、もう半年以上も前の話だし! それに美優断ったんだよね」

「え、あ……うん」

「ほら、ね! だったら、さすがにもう諦めてるでしょ」

「そうかな……」

「そうだよ! 美優もそう思うでしょ?」


 一瞬、言葉に詰まった。

 でも……。


「うん……そうだと思うよ」

「ほらね! だからさ、ゆきちゃん頑張りなよ!」


 美咲の言葉に、ゆきちゃんは私の方を見る。


「ホントに?」

「え……?」

「ホントにそう思う?」

「……う、うん……」

「そっか。……よかった」


 ゆきちゃんはホッとしたのか、小さく息を吐いた。そして――。


「美優が言うなら、信じる」


 そう言って微笑んだ。

 私はというと……何も言えないまま、その場所でただ立っていることしか出来なかった。


「でも、ゆきちゃんの初恋かー。何か私たちにできることあったら言ってね!」

「み、美咲……。違うの、二人に何かしてほしくて言った訳じゃないの。ただ……二人には知っていてほしかったの。ただそれだけ」


 美咲の言葉に、ゆきちゃんは慌ててそう言うけれど、美咲はゆきちゃんの手をギュッと握りしめると言った。


「そんなこといわないで! 私たちに出来ることならなんだって協力するよ! ね!」

「…………」

「美優?」

「え……? あ、うん……」

「二人とも……ありがとう」


 ゆきちゃんは嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。その表情から――貴臣君への気持ちが伝わってくるようで……。


「っ……」


 本当はわかっていた。

 私も貴臣君が好きだと、そう伝えなきゃいけないことを。

 でも……どうしても言えなかった。

 だって、つい最近までたもっちゃんのことを好きだと騒いでいた私を応援してくれていたゆきちゃんに、いったいどんな顔で今は貴臣君のことが好きだと言えというのか……。

 この間までは美咲がライバルだったけど、今度はゆきちゃんがライバルだね! 負けないぞー! なんて……口が裂けても言えない。言える訳がない……。

 どうしたらよかったのか、何が正解だったのか分からないまま、私は二人と別れて家へと帰った。

 そんな私のスマホに、メッセージが届く。

 ……貴臣君からだった。


『明後日の放課後って空いてるかな?』


「明後日の、放課後……?」


 いつもは週末に誘ってくるはずの貴臣君から、初めて放課後のお誘いだった。

 昨日までの私なら、すぐにでも行くって送るんだけど……今日はどうしてもゆきちゃんのことを考えてしまう。


「どうしよう……」


 貴臣君からのメッセージに返信を送ることができずにいると……再び貴臣君からメッセージが届いた。


『そういえば美優が美味しいって言ってたお菓子買ったよ』

『俺にはちょっと甘すぎた』


 ぐったりとした表情のスタンプに思わず笑ってしまう。そして――胸がキュッとなった。


「あんな些細な会話、覚えてくれてたんだ……」


 話を逸らすために言ったあんな話を、貴臣君が覚えていてくれていたなんて……。

 ちょっとしたことなのに、それがこんなにも嬉しいだなんて……。

 ゆきちゃんのことを考えると、申し訳なさでいっぱいになる。でも……。


『放課後、予定ないよ。どうしたの?』


 どうしても気持ちを抑えきることができず、私は貴臣君に返信を送った。

 貴臣君からの返事はすぐに届いた。


『よかった。うちの近くに美味しいケーキ屋さんが出来たんだけど、明後日までオープンセールで半額なんだ。美優、ケーキ好きでしょ』

『好き!』

『それじゃあ、放課後下駄箱の前で』

『うん! 楽しみにしてる!』


 こんな内容なら、いくらでも好きだと送れるのに……。

 自分の送ったメッセージを見返しながら、私は今日何度目かのため息をついた。


「あれ……?」


 貴臣君からへのメッセージを送ってチャットアプリを閉じようとしたとき、スマホの画面に着信を知らせるポップアップが表示された。相手は――。


「……ゆきちゃんからだ」


 名前を見て、胸がざわつくのを感じながら、私は応答ボタンを押した。


「もしもし……」

「あ、美優? 今大丈夫?」

「うん、大丈夫だよ」


 そう言ってから、今はダメだと言えばよかったと思った。

 だって、わざわざ電話がかかってくるなんて、きっと大事なことに決まっている。

 今のゆきちゃんからかかってくる大事なことなんて、一つしか思いつかない。


「今日はビックリさせちゃってごめんね。でも、二人が応援してくれるって言ってくれて本当に嬉しかった」

「ううん……私こそ、教えてもらえて嬉しかった」

「えへへ、でもちょっと恥ずかしいね」


 そう言いながらも、ゆきちゃんの声は嬉しそうだ。


「……それでね、一つだけお願いがあって電話したの」

「お願い?」

「うん。知っててくれるだけでいいなんて言っておいて……て思うんだけど……でも、美優しか頼れる人がいなくて」


 普段なら嬉しいはずのその言葉が、こんなにも憂鬱なのはどうしてだろう……。


「美優ってさ、桜井君の連絡先知ってたよね?」

「っ……」


 何が言いたいんだろうか。まさか――。


「教えてもらえないかな、連絡先」

「どうして……?」

「告白、しようと思って」

「告、白……」


 ゆきちゃんの言葉に、手に持ったスマホを落としてしまう……。

 ゴンッという鈍い音がしたスマホを慌てて拾うと、電話の向こうでゆきちゃんが私の名前を呼んでいた。


「美優? 大丈夫? 今凄い音したよ?」

「だ、大丈夫。ちょっと体勢崩してスマホ落としちゃった」

「ビックリしたー」


 ゆきちゃんが、桜井君に、告白……。

 気をつけてね、なんてゆきちゃんの声が聞こえてくるけれど、今の私はそれどころじゃなかった。

 どうしたらいいんだろう、ゆきちゃんが告白なんて、そんな……。


「ホントはね、もっと後にしようかと思ってたんだけど」

「そ、そうだよ。そんなに急がなくっても……」

「うん、でも……もうすぐバレンタインデーでしょ」

「え……?」


 カレンダーを見ると、確かにあと二週間ほどででバレンタインデーだった。


「最初はね、バレンタインに告白しようと思ってたの。でも、そうしたらきっと他の子も桜井君にチョコをあげると思うんだ。その中に、私の好きが紛れてしまうのは嫌だなって思って」

「ゆきちゃん……」

「だから、バレンタインよりも早く告白することに決めたんだ」


 それまでの恥ずかしそうな態度ではなく、ゆきちゃんはきっぱりと言った。


「それで、連絡先を教えてもらえたらって思ったんだけど……」

「あ、うん……」

「でも、よく考えると勝手に聞いちゃダメだよね。どうしようかな……」


 やめておけばいい、心がそう言っていた。

 なのに……電話の向こうで困った声を出すゆきちゃんに、私の口は勝手に動いていた。


「連絡、しようか?」

「え……?」

「日付と時間言ってくれたら、私がた……桜井君に、伝えるよ。来てほしいって」

「いいの……?」


 不安そうに、ゆきちゃんは言う。そんなゆきちゃんに、わざとらしく明るい声を出すと私は言った。


「協力するって、言ったでしょ!」

「ありがとう……!」


 こんなの間違っている、本当はちゃんと話をしなければいけない。

 さっきも考えたことが頭の中をぐるぐるとまわる。

 でも、一度言った言葉を取り消すことは出来ない。


「で、いつにしたらいい……?」

「え、どうしようかな……えっと、えっと……じゃあ、明日の放課後で、お願いしてもいいかな」

「明日……」

「どうかした?」

「う、ううん。明日だね」


 さっき貴臣君とした約束は明後日だから……。

 被らなくてよかった、なんてホッとしてしまう自分が嫌だ。


「ホントにありがとう! 美優大好き!」


 でも、もう後には引けない。


「伝えることしか出来ないけどね。それに来てくれるとは限らないよ?」

「それはその時に考える。でも、きっと来てくれると思うんだ」

「え……?」

「なんとなく、だけどね」

「そっか」


 ゆきちゃんの言葉の意味は分からなかったけれど、私は電話を切ると、貴臣君にメッセージを送った。


『話があるので、明日の放課後下駄箱のところまで来てもらえるかな』


 断られますように……! 最低なことを思ってるのは分かっている。でも、どうしても願わずにはいられない……。

 でも、そんな私の思いとは裏腹に、貴臣君からの返事はすぐに届いた。


『わかった』


 たった、一言。

 でも、その返事に……血の気が引いていくように、頭の中が冷たくなっていくのを感じた。

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