第19話 心地いい、曖昧な関係

「わー! 凄い!」


 久しぶりに来た水族館に私は思わずはしゃいでいた。

 ペンギンも可愛いし、沢山の群れをなして泳ぐイワシたちもとても綺麗。


「ふふ……」

「え?」

「楽しそうでよかった」


 貴臣君は私を見て微笑む。


「……私じゃなくて、ペンギンを見てくださいー」

「見てるよ」

「ホントに?」

「ホントホント」


 あっちも見てみよう、なんていう貴臣君の言葉に促されながら先へと進むとそこには、トンネルのようになった水槽があった。

 上を見ても下を見ても魚たちが泳ぎ回る様子に目を奪われていると、突然手を引っ張られた。


「きゃっ……ど、どうし……」

「ぶつかるよ」


 ギリギリのところで貴臣君が引き寄せてくれなければ、目の前を歩く人の背中にぶつかってしまうところだった。


「あ、ありがとう」

「ううん……」

「……」

「あ……」


 繋いだ手に気付いた貴臣君は、慌てて離そうとする。

 でも……。


「やだっ……」

「美優?」


 私はその手を、貴臣君が離そうとしたその手を、ギュッと握りしめた。


「……このままじゃ、ダメ?」

「え……」

「…………」


 私の言葉に、貴臣君がとまどっているのが分かる。やっぱり……。


「――いいよ」

「え……?」

「なんでそんな顔するの。美優が言ったんでしょ」

「そう、だけど……」


 ビックリして顔を上げた私を、優しく見下ろす貴臣君の姿がそこにはあった。


「行こうか」

「うん」


 私たちは水槽の中を見て回った。

 手を繋いだまま。

 まるで、恋人同士のように――。



 館内放送が流れてくるのが聞こえると、周りにいた人たちがどこかへ移動し始めた。


「どうしたのかな」

「あれじゃない? イルカショー」


 壁に貼られた予定表を見ると、確かにこの後外のプールでイルカショーがあると書かれていた。


「見に行く?」

「行く!」


 並んで歩き始めると、どこからか声が聞こえてきた。


「見てみて、あれ」

「可愛いー。中学生ぐらいかな」

「私にもあんな初々しい時代あったなー」


 その声は、どうやら私たちに向けられているようで……。


「っ……」


 恥ずかしくなって、繋いだ手を離そうとした私の手を、貴臣君はギュッと握りしめた。


「え……?」

「ダーメ」

「貴臣君……」

「今日は離してあげない」


 いたずらっ子のような表情で、貴臣君は言う。

 けど……その頬が赤くなっているのに、私は気付いてしまった。



 イルカショーが終わると、私たちはおみやげコーナーに向かった。

 たくさんのぬいぐるみやストラップ、お菓子なんかがそこにはあった。

 私は――決めていることが一つあった。

 それは、貴臣君にプレゼントを買うことだった。


「これは、ちょっと可愛すぎるかな……」


 手に取ったペンギンのぬいぐるみを棚に戻すと、他の商品を探すことにした。

 貴臣君はというと……入口に飾ってある大きなサメのぬいぐるみを見ているようだ。


「これ……」


 私はそこにあった小さなキーホルダーを手に取った。

 青いイルカがモチーフになったそれは、男の子がつけていてもおかしくないような気がする。

 チラッと見ると、貴臣君はまだサメの前にいた。

 私は貴臣君に気付かれないように、こっそりとレジへと向かった。



 楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 気が付けばもう帰る時間になってしまっていた。


「日が暮れるの早いなぁ」

「そうだね。この時間でもう薄暗くなってるもんね」

「早く春が来ないかなー」

「その前に、美優の誕生日があるね」

「え……?」


 ビックリした。貴臣君、私の誕生日知っててくれたんだ――。


「なんでそんなに驚いてるの」

「だ、だって……。知っててくれたんだ」

「知ってるよ。来月でしょ。二月二十日」

「うん!」


 当たり前のように言われると、くすぐったい。

 そういえば……私は貴臣君の誕生日を知らないことに気が付いた。


「た……」

「でさ、その日なんだけど」


 私の言葉は、貴臣君の声によってかき消された。


「……その日?」

「美優の誕生日の日。……デートしない?」

「え……?」


 デート、と貴臣君は言った。

 あの日、たもっちゃんにフラれたあの日から、貴臣君とは何度も出かけた。けど、貴臣君はあの日以降、一度もデートという言葉を使うことはなかった。

 それは手を繋いだりしないのと一緒で、貴臣君也の区切りだと思っていた。

 なのに、どうして……。

 貴臣君にとってはたいした意味なんてないのかもしれない。でも、そんな些細なことでさえ心がざわつくほど、貴臣君のことでいっぱいだった

「ダメ、かな?」

「っ……ダメ、じゃない」

「そっか」


 貴臣君の声が嬉しそうな気がするのは、私の気のせい……?

「それじゃあ、楽しみにしといて」

「うん!」


 気が付けば家のすぐそばまで帰ってきていた。

 ポケットに入れた小さな包み紙に触れる。

 もうすぐ着いちゃう。まだ、渡せていないのに――。


「っ……貴臣君!」

「え?」

「あの、あのね!」


 私はポケットの中のそれを取り出さすと、貴臣君に差し出した。


「これ、あの……貴臣君に!」

「俺に?」


 一瞬驚いた顔をすると、貴臣君は嬉しそうに笑った。

 そして――。


「じゃあ、俺からも。はい」

「え……?」

「渡すタイミング見計らってたら、美優に先こされちゃった」


 照れくさそうに笑うと、貴臣君も小さな包みを私に手渡した。


「うそ……」

「ホント」

「私……サプライズのつもりだったのに……」

「俺もだよ。二人して似たようなこと考えてたんだね」


 そう言って貴臣君は笑う。


「これさ、開けてもいいかな?」


 小さく頷くと、貴臣君は嬉しそうに封を開いた。


「っ……」


 でも、貴臣君は、何も言わない。

 驚いたような、困ったような、何とも言い難い表情のまま、袋の中を見ていた。


「貴臣君……」

「あ、えっと……まいったな」

「気に入らなかった……?」


 喜んでもらえると疑っていなかったそれは、思っていたのとは違う反応をされて……どうしていいか分からなくなる。

 でも、そんな私に貴臣君は笑った。


「ごめん、そうじゃない。そうじゃないんだ。ただ……」

「ただ?」

「美優に渡したそれ、開けてごらん」

「え……?」

「早く」


 貴臣君に促されるようにして、私は包み紙を開けた。

 そこにあったのは……。


「嘘……」

「ビックリした?」

「同じ、なんて……」


 袋の中には、私が選んだキーホルダーと色違いの……ピンク色したイルカのキーホルダーだった。


「なんで……」

「凄い偶然にビックリしちゃった」


 貴臣君は笑う。

 そんな貴臣君につられるようにして、私も笑った。

 サプライズプレゼントだったはずなのに、お揃いのキーホルダーとなってしまったそれを、ギュッと握りしめて。

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