第3章 二人きりの時間

第5話 二人きりの時間

 あの日から数日が経った。でも、桜井君から何かを言われるわけでもなく、特に変わらない日々を過ごしていた。

 協力、とはいったいなんだったんだろう。

 あんなことを言っていたわりに、私の気持ちを誰かにバラしたわけでもないみたいだし……。


「まあ、何もないならそれが一番だよ」

「そうなんだけどね」


 放課後の教室で喋っていた私は、何を考えているのか分からない彼――桜井君を思い出しながらため息をついた。

 けれど、そんな私にゆきちゃんはそれよりも! と語気を強めて言う。


「美優はいい加減、藤原先生を避けるのやめなよね」

「う……」

「え、まだ避けてたの?」


 ゆきちゃんの言葉に美咲が驚いたように声を上げた。


「だって……」


 思わず口を尖らせて、私は呟く。

 学校で会えば最低限の会話はする。授業中だって、別にいつも通りだと思う。でも……。


「まだ体重見られたの引きずってるの?」

「ううん、それはもうどうでもいいんだけど……」


 そうじゃない、もうそんなのはとっくにどうでもよくなっている……でも、一度あんな態度を取ってしまうと、どうやって前みたいにしたらいいのかわからなくなってしまった。私は今までどんな顔でたもっちゃんの隣に立っていたっけ。どうやってたもっちゃんの前で笑っていたんだっけ……。

 幼馴染の顔って、どんなだったっけ……。


「バカ」

「わかってる……」

「そんな色々考えずに、前みたいに話しかけたらいいじゃない。それに先生だって話しかけてくれてるでしょ?」

「うん……」


 そう、きっと私が避けていることにたもっちゃんも気付いているはず……なのに、いつも通り話しかけてくれる。こういうところは、やっぱり大人だなぁって思う。

 それに比べて私はなんて子どもなんだろう……。


「はぁ……帰る」

「え、帰るの?」

「うん、今日お姉ちゃんが帰ってくるから、みんなで晩ご飯行こうって行ってたの」

「あ、真尋ちゃん帰ってくるんだ?」

「美優のお姉ちゃんどっか行ってるの?」

「今年から一人暮らし始めたんだー。じゃあ、また明日ね」


 カバンを手に取ると、私は二人に手を振って教室を出た。

 そうだ、今日はお姉ちゃんが帰ってくるんだから桜井君のことなんか忘れて、さっさと家に帰ろう。

 気を取り直して、私は昇降口へ向かおうと廊下を歩き始めた。

 ……でも、そう思ったときに限って、出会ってしまうのはいったいなんなんだろう。


「あ、新庄さん」

「……桜井君」

「元気してた? 風邪とか引いてない?」


 そう言う桜井君こそマスク姿だった。


「……私は大丈夫だけど、どうしたの? マスクなんかして風邪?」

「あー……うん、風邪ひいて昨日まで休んでたんだ。もう大丈夫なんだけど、念のためね」

「そっか、大丈夫?」

「……うん」


 マスクを取ると、何故か照れくさそうに桜井君は笑う。

 その顔に、思わずドキッとしてしまう。


「好きな子が心配してくれるのって、なんだか嬉しいね」

「っ……! べ、別に心配なんて!」

「俺が嬉しかったんだから、そこは否定しないでよ」


 そう言われてしまうと……何も言えなくなってしまう。そんな私を見て、桜井君はもう一度笑った。


「そういえば、どこかに行くところじゃなかったの?」

「ん?」

「だって、わざわざこっちの校舎に来るなんて……」


 桜井君たちの教室のある別棟からこちらの校舎に来なくても、真ん中に下駄箱や昇降口が作られているからそのまま帰れる作りになっている。しかもここは二階で、二年生の教室しかない。何か用が無ければこんなところになんて――。


「新庄さんに会えないかなって思って」

「え……?」

「久しぶりに学校に来れたからさ、新庄さんに会いたかったんだ」

「そ、うなんだ……」

「うん」


 ニコニコと笑いながら桜井君は言うけれど……ストレートな物言いに、私の方が恥ずかしくなってしまう。

 私なんかの、どこがいいんだろう……。目立って可愛いわけでもなければ頭がいいわけでもない。明るい性格だとは言われるけれど、それだって別に私に限ったわけじゃないし……。


「ん? どうかした?」

「別に……。桜井君は私の何が良くて告白してくれたのかなって思って」

「え?」

「あ、や……い、言いたくなければ言わなくてもいいんだけど! ちょっと気になっただけっていうか……その、ごめん! 気にしないで!」


 私の言葉に、覚えてないか、と少し寂しそうな表情を見せた。


「え……?」

「ううん、何でもない。きっと新庄さんにとってはなんてことないことだったと思うんだけど……でも、あの日新庄さんが助けてくれたから今俺はここにいることができているんだ」

「どういうこと……?」


 カバンを廊下に置くと、桜井君は壁にもたれかかるようにして座り込んだ。


「あれは、小学校の卒業を数日後に控えた日のことだった。本屋さんで買い物をして帰ろうとすると、お店のブザーが鳴ったんだ」

「え……」

「お店の人が慌てて俺を取り囲んで、それで……俺の鞄からは見覚えのない漫画本が数冊出てきた」

「それって……」

「もちろん俺じゃない。でも……お店の人は信じてくれなかったんだ。お店の奥に連れて行かれそうになった俺の目には、同じ学校の友人――だと思っていたやつの姿が見えたんだ」

「まさか……」


 桜井君の話は衝撃的なものだった。そんなことがあっていいのだろうか。だって、友達を――。


「俺もまさかと思ったよ。でも、俺より青い顔をしたそいつは……俺と目が合うと、慌てて後ろを向いたよ。それでわかったんだ。あいつが俺を嵌めたんだって」

「どうして……」

「二人でここを受けてたんだ。……でも、俺だけ受かって、あいつは落ちた」

「そんな……たったそれだけのことでそこまでするなんて……」


 そんな酷いことってあるだろうか。受験に失敗したのは誰のせいでもない、自分のせいなのに、それを……!


「俺だってそう思ったよ。そんなわけないって思いたかった。でも……」

「桜井君……」

「ただあいつが俺を嵌めたなんて証拠もなかったし、俺が何を言っても誰も信じてくれなかった。そりゃそうだよね、目の前に今にも取られそうになっている本があるんだもん。……どうしようもないなって諦めてついて行こうとした俺に、一人の女の子が声を上げてくれたんだ」

「え……」

「「その子何もしてないよ」ってね」

「あ……」


 桜井君の言葉と、私の中の記憶が繋がった。

 受験も終わったし漫画でも買おうかな、なんて思って行った本屋で目撃してしまった。知らない男の子が、後ろにいた子の鞄に売り物の本を入れる瞬間を。

 どうしたらいいか分からなくて何も言えずにいたら、お店の防犯ブザーが鳴って辺りが騒然となった。

 僕じゃない! 信じて! と、叫んでいた男の子が無理やりお店の奥に連れて行かれそうになっているのを見て……私は、自分自身も同じようなことがあったことを思い出していた。



***


 幼い頃に行った駄菓子屋さんで、私の前にいた男子たちがお金を払わずにお菓子を持って行っちゃったことがあった。お菓子が亡くなっている事に気付いたお店のおばちゃんは、いくら私じゃないと言っても信じてくれなかった。


「このドロボウが!」


 そう言って……私が取ったと決めつけて、酷く怒られたのをよく覚えている。

 周りの子たちが何があったのかと私を見てくるのも恥ずかしかったし、信じてもらえないのも悔しくて悲しかった。

 その時、助けてくれたのがたもっちゃんだった。


「どうしたの?」と言うたもっちゃんに事情を話すと、ちょっと待っててと言って、どこからか走って逃げた男子たちを連れて来てくれた。


「その子じゃないよ、おばあちゃん」


 そう言ったたもっちゃんに、おばあちゃんは「ああ、そうかい」と言うと……男子たちを怒り出した。私を怒っていたことなんて、なかったみたいに。

 どうしたらいいか分からずに困っていた私に、たもっちゃんは「帰ろうか」と手を差し出してくれた。

 その手の温もりが優しくて……私はぽろぽろと涙を流しながら家までの道のりを歩いて帰った……。



***



 目の前で繰り広げられる光景を見ていると、その時のことを鮮明に思い出した。

 あのときのたもっちゃんは、私にとってスーパーマンのようだった。

 いつか誰かが同じような目にあったときに、私もたもっちゃんのように声をあげられる人になりたいと、そう思っていた――。

 私はぎゅっと両手を握りしめると、勇気を振り絞って声を上げた。


「その子、何もしてないよ!」


 と……。

 その瞬間、泣きそうな顔で男の子が私を見たのを、今でもはっきり覚えている。

 でもまさかあれが、桜井君だったなんて……。


「思い出した? 最初は半信半疑だったお店の人も、新庄さんの言葉で防犯カメラを確認してくれて、それで俺の身の潔白が証明されたんだ。グルじゃないか、なんて疑われたりもしたんだけど……店内にいて連れてこられたそいつが、濡れ衣を着せようと思って自分がやったって言ってくれて……それで……」

「そうだったんだ……」


 あの後どうなったか、私は知らなかったから、今こうやって話を聞けて、桜井君の無実が証明されたんだと知ることができてホッとした。

 あの後あの子がどうなったのか、ずっと気になっていたから……。


「でも、あの時新庄さんがああやって言ってくれなかったらきっと俺は全部諦めていたと思う。自分だけ受かった負い目もあったし……もうどうでもいいやって……」

「そんな……!」

「でも、新庄さんが信じてくれたから。だから、今こうやってここにいることができるんだ。……遅くなったけど、お礼を言わせてほしい。あの時は、助けてくれて、信じてくれてありがとう」

「桜井君……」


 立ち上がって、桜井君は頭を下げた。


「あの日から、ずっと君のことを探していた。……この学校で出会えた時は、奇跡だと思ったよ」

「っ……」

「あの日、あの瞬間――俺のために勇気を振り絞って声を上げてくれた君に、俺は恋をしたんだ」

「あ……」

「信じて、くれる?」


 顔を上げると、桜井君は泣きそうな、でも困ったような……感情がぐしゃぐしゃになった表情をしていた。

 こんな顔をする人だったんだ――。


「新庄さん?」

「あ、う、うん……。信じる、よ……」

「よかった!」


 パッと、表情が明るくなったかと思うと、嬉しそうに桜井君は笑った。

 こんな顔をされたら……信じないわけにいかないじゃない。

 きっと桜井君は、本当に私のことを好きでいてくれている……。

 でも、じゃあ……。


「じゃあ、どうしてたもっちゃんとのことを協力するだなんて言ったの?」

「え……?」

「だって、桜井君にとっては好きな子が……他の人と上手くいくように協力するってことで……そんなの……」

「あ、違う違う。俺が協力するのは告白できるように、だよ」


 間違えちゃダメだよ、と桜井君は言う。その口調に……先程までのしおらしさは欠片もなかった。


「どういうこと……?」

「告白しても上手くいくなんて限らないでしょ? それに、好きな人に好きだって伝えてちゃんとフラれないと先にも進めないじゃない」

「ちょ、ちょっと待って? どうしてフラれる前提なの?」

「……内緒」


 ニッコリと笑うと、桜井君は言った。


「だから、告白できるように協力するから、さっさとフラれてそれで俺のこと好きになってよ」

「っ……!! 絶対に、好きになんてならないんだからね!!」


 ちょっとでもいい人だと思って損した!! こんな性格の悪い人、万が一たもっちゃんにフラれる日がきたとしても、ぜ――ったいに好きになんてならないんだから!!

 固く決意した私を、何故か桜井君は優しく微笑みながら見ていた。

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