第4話 ふたつのはじめて

「それじゃあ、行ってくるね……!」

「ホントに大丈夫?」

「私も着いて行こうか?」

「それはちょっと……」


 私はゆきちゃんと美咲に見送られながら、A組の男子が待つという理科室へと向かった。

 理科室のドアの前に立つと、ガタッという音がして中に誰かがいるのが分かった。

 ドアにかけた手が、震える。

 心臓の音が、ドクンドクンとうるさいぐらいに鳴り響く。


「すー……はー……」


 深呼吸を一つすると……私は、ドアを開けた。


「……あれ?」


 けれど、そこにいたのは――意外な人物だった。


「あなた……さっきの……?」

「また会ったね」


 ニッコリと笑うその人は、さっきまで裏庭で話していた男の子だった。


「え、なんでここに? あ、ううん。それよりも! さっきはありがと! おかげで、美咲と仲直りできたの!」

「それはよかった」

「あなたのおかげだよ! 次会えたらお礼を言おうと思ってたんだけど、こんなに早く会えるなんて思ってなかったからビックリしちゃった!」

「そう? 俺はまたすぐに会えると思っていたよ? だから、ほら“またあとでね”って言ったでしょ?」


 最後の言葉が聞き取れなかったと思ったけれど、そんなことを言ってただなんて。

 でも、どうしてまたあとで会えるってわかったんだろう?


「本当にその通りになったんだね。偶然って凄い! あ、そうだ。名前教えてもらってもいいかな? 私まだあなたの名前知らなくて――」

「桜井だよ」

「……え?」

「桜井貴臣」


 桜井、貴臣……どこかでその名前を聞いた気がする。

 しかも、つい最近……。

 どこで……?

 あれは――。


「……っ!?」

「気付いてくれた?」


 そう、聞き覚えがあるはずだ。だって――。


「A組の……理科室で待っている……桜井貴臣君……?」

「そう、その桜井貴臣。やっぱり気付いてなかったんだね」

「気付いてたの……?」

「そりゃあ気付くでしょ。告白しようと思って呼びだした子が泣いてるんだもん。気になって思わず話しかけちゃったよ」

「こ、告白って……」


 やっぱり、告白なんだ……。私は頭の中が真っ白になっていくのを感じた。

 どうしたらいいんだろう。私はたもっちゃんが好きで……えっと……。


「そんなに困った顔しないでよ」

「あ……」


 彼――桜井君は優しく笑う。


「ごめん……」

「いや……」


 一瞬、会話が途切れる。そして――桜井君は、真剣な表情で私の方を見た。

 そして――私の、名前を呼んだ。


「――新庄さん」

「は、はい!」


 恥ずかしい……! 声が裏返ってしまった。これじゃあ、緊張しているのが丸わかりだ……。

 でも――何でもない顔をしている桜井君の手が小さく震えているのに気付いた。……緊張しているのは私だけじゃないんだ……。そう思うと、ほんの少しだけドキドキが落ち着いてくるのを感じた。

 ふっと桜井君は笑うと、口を開いた。


「気付いてると思うけど。俺、新庄さんのことが好きです」

「っ……!」


 その言葉に、落ち着きそうになっていたドキドキが一気に襲ってきた。さっきまでのドキドキなんて比べ物にならないぐらいで……まるで身体中が心臓になったみたい。


「よければ、俺と付き合ってくれませんか……?」


 真剣な表情で、桜井君は私に言った。

 想いを伝えてもらうことが、こんなにも嬉しくて……こんなにも苦しいだなんて、知らなかった。

 私は言わなければいけない。

 きちんと気持ちを伝えてくれた桜井君に、私も誠実に答えなければいけない。

 私は小さく息を吸うと、ぎゅっと目を瞑った。そして……その言葉を、彼に告げた。


「ごめんなさい! 桜井君が好きだって言ってくれてホントに嬉しい! でも……私、好きな人がいるの……」

「うん、知ってる」

「だよ、ね……」


 さっき裏庭で、知らずとはいえ私に告白しようとしている人に好きな人を巡って友人と喧嘩をした、なんて話をしてしまったんだもん。知らないわけがない。なのに……。


「なのに、どうして……?」

「ん?」

「だって、さっきあんな話をしたから……私が他の人を好きだって、わかってたのに……なのに、どうして……」

「どうして告白したのかって?」

「っ……」


 言葉に詰まった私の代わりに、桜井君は笑いながら続ける。


「だって、新庄さんに好きな人がいてもいなくても、俺が新庄さんを好きなことに変わりはないでしょ」

「え……?」

「でもまぁ、あんな相談されるとは思ってなかったから、さすがに動揺したけどね」


 そんなそぶり全く見せなかったくせに、桜井君は笑う。


「まあ、それはいいんだけど……。新庄さんのさ、好きな人って誰?」

「え……それは……」

「あ、やっぱりいいや。言わなくて。実は俺、それも知ってるんだ」


 桜井君の言葉に、私は頭から水をかけられたみたいに、ヒヤッとなるのを感じた。

 知ってるって……まさか……。


「何を、知ってるの……?」

「だから、好きな人」

「なんで!?」

「なんでって……見てたからわかるよ」


 ニッコリと微笑むと、桜井君は言った。


「藤原先生、だよね」

「っ……!!」

「当たりでしょ?」


 どうしよう、どうしたらいいんだろう。

 否定しなければいけないと分かっているのに、たもっちゃんを好きなことを知られてしまったことに動揺して、なんて言ったらいいか分からない。

 そして桜井君は、追い打ちをかけるようにニッコリ笑って言った。


「それも、ただの生徒と先生の関係じゃないよね」

「え……?」

「この間たまたま用事があって隣町を歩いていたら、藤原先生を見かけてさ。どこに行くのかなって思ってたら……どこかの家に入って行ったんだ」

「まさか……」

「ビックリしたよ。出迎えたのが、新庄さんだったんだから」

「っ……!」


 見られてただなんて……。

 私の気持ちがバレるのなんて別にどうでもいい。でも……!


「お願い! 誰にも言わないで!!」

「え……?」

「たもっちゃんに、迷惑かけたくないの……!!」

「……たもっちゃん、ねぇ」


 私の言葉に、桜井君は小さく何かを呟いたけれど……私の耳に届くことはなかった。

 そんなことより、私はどうやったら黙っていてもらえるか、そればかり考えていた。

 私がたもっちゃんを好きなのがバレるだけならまだいいけど……その相手が幼馴染だ、なんてわかったら……どんな尾ひれがついてしまうか……想像するだけで、怖い。

 祈るように必死に頼む私に……桜井君はいいよ、と言った。


「いいの……?」

「うん、内緒にしてあげる」

「ホント!?」

「と、いうより協力してあげるよ」

「きょうりょ……く?」


 思いもよらなかった言葉に、理解が追い付かず……思わず桜井君の言葉を復唱すると、彼はニッコリ笑った。


「新庄さんが、藤原先生に告白できるように協力してあげるって言ってるんだよ」

「なん、で……?」

「……なんとなく?」

「なんとなくって……」


 目の前の彼の言葉の真意がわからずに、私はどうしたらいいのかと悩んでいた。

 けれど、そんな私に追い打ちをかけるように、彼は言葉を続けた。


「協力させてくれないなら、新庄さんが藤原先生を好きなこと、バラしちゃうよ。ついでに、家に遊びに行くような関係だって、付け足しておこうかな」

「っ……! 酷い!」

「フラれたのに、黙っててあげる上に協力してあげるんだよ。なのに、酷いって言われるなんてどっちが酷いんだろうね」

「う……」


 いい人だと、思ったのに……目の前でニコニコと笑う桜井君を睨みつけると、私は――。


「脅迫だよね!?」

「違う違う。協力だよ」

「そんなことして桜井君になんの得があるっていうの!?」

「……内緒」


 そう言うと、桜井君は右手を差し出した。


「……何?」

「一緒に頑張ろう! の、握手」

「……」

「ほら」


 促されて、しぶしぶ右手を差し出すと、桜井君はその手を優しく握りしめた。


「これからよろしくね」

「……よろしく、お願いします」


 こんなの、私に拒否権なんてないじゃない! いい人だと思ったのに、こんなに強引な人だっただなんて!!

 ――言いたいことは山ほどあったけれど……そのどれもを口に出すことができないまま、私は目の前でニコニコと笑う私のことを好きだという男の子と、私が好きな人と両思いになるために手を組んだのだった……。



 ガラガラと、教室のドアを開けると、私の帰りを待ってくれていた、ゆきちゃんと美咲の姿があった。


「どうだった?」

「やっぱり告白だった?」


 飛んでくる質問に……私は何て答えていいのか分からず、曖昧に笑う。


「美優? どうかしたの?」

「何かあったの?」

「うん……えっと……」


 事情を話し始めると、最初こそキャーキャーと言っていた美咲でさえ、だんだんと真顔になっていき……最後には声を荒らげて怒り出した。


「何それ!? 何それ!? 意味わかんないんだけど!」

「うん……」

「で、それでどうしたの?」

「どうしたって?」

「その提案を飲んだの?」

「……仕方ないじゃない」


 私の言葉に、美咲は大きな声を出した。


「なんで!? そんなの可笑しいじゃない」

「わかってるよ!」

「……美優」

「分かってるよ! でも……」


 つられるように大きな声を出した私の手を、ゆきちゃんがそっと握りしめる。その手の冷たさに、少しだけ冷静になった私は言葉を続けた。


「でも……私がたもっちゃんを好きだってバレたら、絶対迷惑がかかるもん……」

「そんなのわかんないじゃない」

「わかんないけど……! わかんないけど、その可能性が0じゃないなら……私は迷惑かけない方を選びたいよ」

「美優……」


 涙が溢れそうになるのを、必死でこらえる。

 ただでさえ二人には心配をかけているのに、これ以上心配させたくない。


「それに、さ。バラさない代わりに付き合えって言われてるんじゃなくて、協力してくれるって言ってるんだもん。きっと大丈夫だよ」

「だから、怪しいんだよ! そんなの向こうには何の得のないわけでしょ? なのに、協力する意味って何?」

「それは……」


 それは私も不思議だった。だって、好きな人が好きな人に告白する手伝いなんて――。


「もしかしたら……」

「え?」


 それまで黙っていたゆきちゃんが、おずおずと口を開いた。


「もしかしたら、美優が藤原先生にフラれるのを待っている、とか……」

「何それ!?」

「も、もしかしたらそうかなって思っただけだよ……」

「そんなの最低じゃん!」


 憤る美咲にゆきちゃんは違うかもしれないし、と慌てて言うけれどその言葉はもう美咲には届いていなかった。


「今からでも、取り消しにしてもらえないの?」

「無理だよ……。それにそんなことしたらたもっちゃんを好きなこと、バラされちゃうもん……」

「そんな……」

「……大丈夫だよ!」


 不安そうな表情を見せる二人に、私は精一杯の笑顔を見せた。


「もしかしたら、本当に協力しようと思ってくれたのかもしれないし! それに、美咲には悪いけど、桜井君の協力のおかげで私とたもっちゃんが両思いになる可能性だってあるんだし?」

「美優……」

「そうでしょ?」

「うん……」

「だから、そんな顔しないで!」


 私の強がりなんて、全部お見通し――。二人は心配そうに私を見つめながら、それでも分かったと言ってくれた。


「でも! 何かあったら必ず言ってよ? 約束だからね?」

「わかった! 約束する!」


 不安な気持ちは心の奥に閉じ込めて、ニッコリと笑った私を、二人は相変わらず心配そうな表情は見せたままそれでも小さく頷てくれた。

 どうなるかなんて分かんない。けど……こうなった以上、味方につけて絶対にたもっちゃんに迷惑がかからないようにしなくっちゃ!

 私は窓の向こうに見える、別棟にいるであろう彼を思い出しながら、そう心に誓った。

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