8th NUMBER『それでも力が欲しいから』


 名前の由来は知らないけど、その響きに相応しいしなやかな立ち居振る舞い。手にしていた花をワダツミ様に渡すと、近くの椅子に音も立てずに腰を下ろした。


「研究所から距離のある病院じゃから疲れたであろう」


「いえ……元々、私から、申し出たことです。お気遣いなく」


「仕事の方は大丈夫なのか?」


「はい。引き継ぎは、済ませております、ので」


 二人の会話が交わされる間も僕はいろいろと驚きを隠せない。突然いらっしゃったこともそう、所長という役職に就いていたことも知らなかった。いつからだったんだろう。


 それに僕は稀少生物研究所の人に伝えたいことがある。こんなに早くタイミングが訪れるなんて思わなかった。



 ヤナギさんと目が合うと胸が音を立てた。それは痛みを伴う高鳴りだ。奥深くまで見つめるような彼女の眼差し、今ではそこに慈悲深さも加わっているように見える。優しい。だけど、身動きが取れなくなるほど鋭いんだ。


「雪那さん」


 本名で呼ばれて、以前自分から名乗ったことを思い出した。覚えていてくれたんだ、と。


 そしてヤナギさんは深々と頭を下げる。何が起こったのかわからなくて狼狽る僕に、彼女にしてはやや低い声が届いた。



「この度は、うちのドクターとロボット、大変、ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」



 ああ、そうかと、今更に納得する。ヤナギさんは責任者として謝罪に来たんだと理解した。自分が謝られる立場だなんてすっかり忘れていたからどんな顔をしていいかわからない。


 あの、と声をかけようとした。だけどやっぱり隙間風のような乾いた息が出るだけ。ヤナギさんが心配そうに眉を寄せた。


 僕は再びペンを持った。綴っている間にワダツミ様が、僕が声を失っている理由を説明してくれた。



 “ドクターはどうなるんですか?”


 そう書いて見せた。僕が気になっていたことの一つだ。


 ヤナギさんが瞼を伏せる。小さな口を一度固く結んでから答えてくれた。



 ドクターことマグオートさんは、やはりSNOWの逃亡を隠蔽しようとした罪に問われるそうだ。このような問題を起こしてしまった以上、研究所に在籍し続けることも難しいだろうと。


 僕の前世の行いのせいなのに。だけど罪は罪。それもわかっているからこそやるせない思いだった。でもヤナギさんの言葉の中に希望の一欠片があった。



「情状酌量の余地はあると、親衛隊長さんが」



 強張っていた肩から少し力が抜けて長いため息が出てきた。実際のところ、僕が彼にしてあげられることなんて何もないかも知れない。この先も。だけどせめてこれからはちゃんと自分の為に生きてほしいって思っていたんだ。SNOWもきっとそう願ってる。



 それから僕はもう一つ伝えたいことを書いた。この病院で目が覚めてから考えていたことを。


 だけど全部書き終える前に手をそっと掴んで止められた。ヤナギさんが悲しそうな顔で首を横に振った。



「雪那さん、恩を返したい、役に立ちたい、そんな思い、いっぱい。でも」


 ぎゅっと手に力を込めて言った。


「今、あなたの身体と心、大切。治療、優先して、下さい」



 ぽた、と一雫が紙面を打った。僕が顔を伏せると背中をさすってくれる感触があった。その優しい手つきに僕はますます耐えられなくなった。


「気持ちは、ありがたいです。でも、ゆっくり、いきましょう」


 鼻をすすり上げながら手元に視線を落とした。


 “研究の役に立てることはないですか? ロボットの魂を受け入れた前例は無いと思います。僕で良ければ”


 綴ったばかりのその文字をしばらく他人事ひとごとのようにして眺めていた。




 ワダツミ様とヤナギさんは少しばかり雑談していた。最近の研究所のこととか、家族がどうとか、そんな内容を数分程度だ。


 波が鎮まるように自然と話が終わると、ヤナギさんが再び僕の方を見た。


「今日、もう一人、来てます」


 そう言ってから、ちら、と後方に視線を送る。そしてやや大きな声で呼びかけた。


「あなた。まだ、隠れてる、ですか?」


 あなた? 研究員の誰かかなと思ったけど、やけに親しげな呼び方に感じられる。いや、これはむしろ……


 可能性というか予感というか、そんな感覚が頭に浮かんだ途中、ドアが遠慮がちにゆっくり開いた。



「……別に隠れてないからな」



「……!!」



 現れた人の姿に目を見張った。


 いや、正確に言うと、一目ではわからなかったんだ。だってそれくらい長い年月が経っているから。


 だけど波長はいくつ歳を重ねても変わらない。面影を確認してやはりと思う。おのずと喉がごくりと鳴った。



「久しぶりだな。俺が誰だかわかるか?」


 こくこくと頷いてわかっていることを示した。低い声。立派な体格。年齢はもう六十近くになっているだろう。歳のせいか昔よりか柔らかい印象になった気はするけど、僕が相手だからなのか気難しそうな表情に見える。


 忘れる訳がないよ、ブランチさん。かつては夏南汰のお兄さんだった人。ちゃんと覚えてる。



「あなた、怖がらせる、駄目」


「は!? 別にそんなつもりは……」


「もっと、優しく」


「んなこと言われたってよ……参ったな」



 ブランチさんは落ち着かないように身体を揺すった後、僕の方を見てまた姿勢を正した。


「ともかくこの度の事件は本当に申し訳ないと思ってる。俺からもお詫びさせてくれ」


 彼は紙袋から籠に入った果物を取り出した。ふわりといい香りがする。僕は両方の手のひらを胸の前で振って“お気遣いなく”と示したつもりなんだけど、彼はヤナギさん同様にそれをワダツミ様へと預けた。



「ブランチ所長もご苦労様じゃ。一時期は脅迫状の容疑者候補として名が上がってしまったからのう。大変だったじゃろう」


(え!?)


 これはさすがに焦った。この場にいる三人をキョロキョロと見渡した。


 だけどやがて思い出した。脅迫状の存在を知ったばかりの頃、僕もちらりと考えてしまったことだと。そんなことをする人ではないと信じたかったけど、それくらい恨まれていても仕方がないとも思えてしまったから。


 ばつの悪さに身体が縮こまりペコペコと何度も頭を下げるしか出来なかった僕に、ブランチさんは小さなため息をついてから言った。


「誤解は解けたんだからもう俺は気にしてない。お前も気にしないでくれ」


 そして少しの間を挟んでこう付け足した。



「前世やその前のこともいい加減許してやれ。誰よりもお前自身がな」



 いつだって僕を敵視していた目が、彼の目が、今は優しい。そんなことを口にするのは簡単じゃなかっただろうに。


 次々と押し寄せる罪の記憶の波に唇を噛んで耐えた。泣くのはきっと違う、そう思って。ただ深くこうべを垂れた。もういいから、困ったような声でそう言われるまで僕は動けなかった。




 それからはみんな気持ちを徐々に切り替えたのか、話の内容が和やかなものとなっていった。僕は相変わらずじっとしていることしか出来なかったけど、驚くこと、興味深いこと、いろいろあった。


 もしやとは思っていたけど、やっぱりブランチさんとヤナギさんは今は夫婦となっていた。養子が二人いるそうだ。フィジカルのときも夫婦になったというこの二人、やっぱり何か強い縁があるんだろうなと感じずにはいられない。


 稀少生物研究所は徐々に規模を拡大して、現在は本拠地に加え、第二研究所と第三研究所が存在するそうだ。ヤナギさんが研究を主とする本拠地の、ブランチさんが操縦士が多く在籍する第二研究所の責任者となっている。これで二人が“所長”と呼ばれていた理由が判明した。


 夫婦という形をとっているけれど、要は同志に近い関係なのだとヤナギさんは言った。実際、みんなが想像するような甘い雰囲気なんてほとんどなかった、そんなことを言いながらもブランチさんの表情はちょっと嬉しそうに見えた。


 戦争が終わったことで身寄りのない子どもはだいぶ減ったらしい。研究所内の児童教育班は今では無いそうだ。その代わり別事業として児童養護施設が新たに作られ、ナツメの元部下のナナさんがそこで責任者を務めていると聞いた。あのおっちょこちょいだった人が……と思い出し、少し笑ってしまった。



 時間はあっという間に過ぎていった。冬にしては明るい陽射し、雪もじんわり溶け始めるんだろうと想像がつくくらい今は暖かい。


 トントン、とノックの音。みんな揃ってそちらを見た。失礼しますと言いながら入ってきたのは看護師の女性だった。


「雪那さん、ご気分はどうですか? お昼ご飯は食べられそうですか?」


 僕は少し悩んでから“まだはっきりとはわかりませんが、いくらか気分が良くなりました”と書いた。声のことについてはまたワダツミ様が説明してくれて、看護師さんは「そうでしたか……」と心配そうな声を返した。


「雪那さん、お昼ご飯の後に先生からお話があります。付き添いの方はワダツミ様で宜しいですか?」


「うむ、私で大丈夫じゃ」


「ありがとうございます。それではまた後でお声かけしますね」



 看護師さんの微笑みの残像をぼおっと眺めていた。なんだか実感がわかないまま。


「私たちも、そろそろ」


「お大事にな」


 ヤナギさんとブランチさんも席を立った。ワダツミ様は二人を見送ってくるそうだ。会釈をし、みんなが病室を後にするまでは僕も微笑んでいた。でも。



 パタン、と蓋をするようなドアの音の後に張り詰めていた糸が緩んだ。小さくため息が漏れる。不揃いな文字が並んだ紙を見つめながら布団を強く握り締めた。


 僕の心とは裏腹に窓の外の景色はただただ美しい。流れていく雲へ手を伸ばしていた。置いていかないで、と言いたかった。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 沈んでいく 僕の世界

 僕がこうしている間にも

 空は回り

 時は過ぎる

 震える指先は届かない


 曇っていく 僕の世界

 何一つ引き止められやしない

 仕方がない

 それが自然

 わかっていても苦しくて



 返したいもの 数えきれず

 願いばかり溢れてく

 力があれば そんなこと

 駄々っ子みたいに欲しがって


 大人になりたい

 出来るだけ早く

 せめて事実を受け止められるように


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

真夏の笑顔に届くまで 七瀬渚 @nagisa_nanase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ