7th NUMBER『覚悟はしていたはずだから』


 誰かが近付いてくる気配がした。ついさっきまで僕だけだったと思うんだけど、一人、また一人と増えていく。


 僕は昔から音の聞き分けが得意だったことを思い出す。こちらに気を使ってくれているのか足音も話し声もかなり小さなものだけど、たぶん三人なんじゃないかなってわかるんだ。


 瞼は相変わらず重く、開かない。時間の感覚に関してはちょっとわからないな。長い間眠っていたような気もするし、まだそんなに経っていないような気もする。



「硝子片も全て取り除きました。幸い体内に深く入り込むようなことはなかったです」


「そうですか。それは良かった」


 知らない人の声に対して返事をしたのはクー・シーさんだと思う。何度か僕の身体のことに関する会話を交わした後、彼はぽつりと呟いた。


「まさかあんなに暴走するなんて。こう言ってはなんですが、小さい子の癇癪かんしゃくのようにも見えて痛々しかったですよ」


 ごめんなさい。相当迷惑をかけたんだね。今はまだ伝えられないけど、目が覚めたらちゃんと謝らなきゃと思った。


「確かに幼子ではないが、雪那はまだ十七歳の若者なのじゃ。前世の記憶が確かなものとなってからまだ二年しか経っておらぬ。ゆえに本来は不安定な時期なのじゃ。独りで抱えていくには荷が重いことばかりだったじゃろう。そしてそれはこれからも続いていくのじゃ」


 ワダツミ様の声だ。体力と霊力がいくらか回復されたのだろうか。ご無理をされていないだろうか。


「そうですね、すみません。雪那くんはしっかりしているからつい忘れてしまいがちでした。ワダツミ様のおっしゃる通りだと思います。彼の心身を我々大人がちゃんと支えてあげなければなりませんね」


「ましてやSNOWの魂を受け入れたばかりじゃからのう。一つになるというのは簡単なことじゃない。大きな反動が出ることも避けられぬ。切羽詰まった状況で考える時間を十分に与えてやれなかったのが心残りじゃよ。私も責任を持って雪那を支えてゆく所存じゃ」


 もしもSNOWの真の意図がもっと早くわかっていたら、僕は一つになることを拒んだだろうか? いや、きっと……


 そんなことを考えていた途中で手を握られる感触に気付いた。クー・シーさんの切なげな声が僕に言った。



「もう自分一人が犠牲になればいいなんて言わないでね。君は独りじゃないんだ。これからもずっと」



 ありがとうございます。本当に。そう言いたいのに唇は動かない。手を握り返すことも出来ない。応えられない歯痒さ。それさえもやがては微睡みの中へ溶けていった。




 僕がようやく身体を動かせたのはそれからしばらく経ってからだ。半身を起こしてみると、窓の外に雪化粧をした見慣れない街並みが広がっているのが見えた。空は明るく白っぽい。たぶん午前中なんだと思う。


 ここは病院の個室で間違いないだろう。僕の周りには多数の機械があり、腕は点滴の管に繋がれた状態だった。両手は手首の位置まで包帯が巻かれている。一体どんな暴れ方をしたんだか……。



「雪那、目覚めたか」


 そう言って微笑んでくれたのはワダツミ様だ。昨日、かな? 僕が聞いた声も夢ではなさそうだ。


 僕は口を開いた。気になっていたことを言おうとした。



「ワダ……さま、だ……じょ……」



 でも実際この喉から出て来たのは小さな虫の羽音……いや、それよりももっとか細く途切れ途切れなものだった。僕は思わず自分の喉を手でおさえた。


「声が出ないのか」


 真顔になったワダツミ様の問いかけに、だいぶ躊躇ためらってから頷いた。


 そして理解していく。きっとこれが“反動”なのだと。



(覚悟なら、出来ていたはずじゃないか)



 そう思ってみても、正直堪えるものがあった。歌は僕の人生にずっと寄り添ってくれていたものだ。それをもう表現できなくなるかも知れないという現実が迫ってくる。そっと片方の肩をさすった。力を込めた手には今更ながら痛みが走った。


(あのときSNOWを見捨てていたら、それはそれで後悔していたに違いないんだ。だから……これでいいんだ)


 自分の中で結論付けようとしていたとき、肩をおさえる僕の手の上に小さな手が被さった。僕は顔を上げた。いつの間にかうつむいていたことにやっと気が付いた。



「其方はまだ完全に失ってはおらぬ。そして失った後に新しく得るものもある。それをこれから見つけていこう」



 今はまだしっくりこない言葉でも、この先の道のりで実感できるときが来ると信じたい。




 訊きたいことはまだ沢山ある。それを察して下さったのか、ワダツミ様は看護師さんに何か話しかけた。数分後に看護師さんは紙とペンを持ってきてくれた。そうして筆談を用いることにした。


「私なら心配いらぬよ。もう回復しておる」


 僕が書き始める前にワダツミ様はそうおっしゃって笑った。安堵の吐息が零れた。僕は改めてペンを握る。身体にもあまり力が入らないからおぼつかない手つきだけど、声を出そうとするよりかは負担が少なそうだ。



 まず作戦に関わった人たちの安否を確認したかった。ミモザさんがどうなったのかも凄く心配だったんだけど、彼女ならいま同じ病院に入院していることがわかった。


「命に関わるような怪我をした者はおらぬ。ミモザも明日には退院できるそうじゃよ」


 何か言っていましたか? そう問いかけると、ワダツミ様はちょっと困ったような微笑を浮かべながら答えた。


「責任感の強い娘でな、自分もシャーマンの能力を継いでいるのに肝心なところで倒れて力になれなかったと気にしておった。あの作戦のきっかけとなる発言をしたのも自分だから、其方を危険な目に遭わせてしまって申し訳なかった、とも」


 そんなことない。前世でも今世でも、あなたは精一杯僕を支えようとしてくれたじゃないか。溢れてくる言葉は沢山あったけれど、気にしないで下さいの一言にまとめてワダツミ様に託した。彼女も僕もまだ罪悪感が残っているから、心身が弱っているときにあまり多くを語ると却って辛いと思ったんだ。



 空が少し晴れてきた。神々しいほどに輝く天使の梯子を目にした後。


 ペンを走らせる手が止まった。紙面に影が落ちる。知りたい、でも知るのが怖い。そんな恐れを感じていた。


 だけど勇気を出して再び手を動かした。ワダツミ様の方へ紙を差し出すその動きはちょっとぎこちなくなった。


「……うむ」


 僕の字を見つめてワダツミ様が小さく呟く。数秒の間の後に顔を上げ、真剣な表情で話して下さった。



「これは昨夜も親衛隊長殿と話していたことじゃ。ロボットと言えどもSNOWは確かに心を持っておった。魂は其方の中にある。これを死と呼んで良いものなのかどうか難しいところではあるのじゃが、我々でいうところの幽体が役目を終えたというのは事実。親衛隊長殿はすぐにアストラル王室に確認をとってくれたよ。そして答えを持って来てくれた」


 僕は胸元を握った。この中に居るSNOWに思いを馳せていた。



「SNOWは機械の身体じゃ。ゆえに他の者と扱いは異なるが、墓を用意して丁重に見送らせてもらうとアストラル王はおっしゃったそうじゃ。もし良ければナツメの隣にと、稀少生物研究所の所長も言ってくれておる」


 内側から熱いものが込み上げる感覚、そして震えが起こるのがわかった。僕はうずくまるようにして深々と頭を下げた。



「おや、ちょうど着いたようじゃな」



 顔を上げるとワダツミ様が出入り口の方へ振り向いていらっしゃる。視界が霞んでいたから軽く手で拭った。


「…………あ」


 掠れた小さな声が漏れた。顔を合わせるのは何年ぶりだろう。


 だけど彼女はあまり変わっていない。歳を重ねてもなお艶やかなウェーブヘア、大きくて澄んだ琥珀色の瞳、そして何処か物悲しげな波長。儚そうで、芯が強い。昔からこうだった。


 フィジカルのときは恋敵。今世では十五の頃、僕をワダツミ様の元へ導いてくれた人。



「ご足労頂き感謝する。ヤナギ所長」



 彼女はおしとやかな動きで僕らに一礼した。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 消えないものがあるのなら

 この音色のことだろうか

 疲れ果てた身体の中でも

 かすかにかすかに 流れている


 僕の中で生きている

 この音色のことだろうか

 どれほど僕が壊れても

 残り続けてくれるだろうか



 全てのみなもとはきっと願い

 僕のありったけの愛

 届けたいのに

 届けたいのに

 形にはならないの


 ねぇ

 どうか消えないで

 大切な大切な

 僕の音色いのち


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