6th NUMBER『もう独りじゃないから』


「嘘……でしょ」



 突き飛ばされ、しりもちを着いた体勢のまま、雪那ぼくは床で無残に砕けたシャンデリアを見つめた。


 ううん、正確にはその下にいるを。



「引き上げるんだ! 早く!!」


 ワダツミ様を腕に抱えたままのクー・シーさんが叫んだ。集まってきた隊員たちが力を合わせてシャンデリアを持ち上げる。



「クー・シーさん……」


「雪那くん、怪我はないかい!?」


「ワ、ワダツミ様……」


「ああ、ワダツミ様なら大丈夫だ。意識もある。ちゃんと介抱するよ」



 幾つか会話を交わしたけど、僕の意識は虚ろだった。


 みんなが口々に何か言っている。だけどそのどれもこれもがまるで水中で聞いているみたいに遠い音に感じられた。



 “勿忘草の君”の波長が落ち着き、本来の僕が意識を取り戻してすぐのことだった。何かが軋むような異音に気が付いた。


 音の出処とその下に誰が居るかわかるなり、身体が勝手に動いていた。確かに手が触れた。間に合ったはずだった。


 なのに実際はどうだろう。下敷きになったのは僕ではなく……



「なんで……なんで……」


 そんな言葉を繰り返してしまう。さっきまでの激戦を思い返せば、飛来した椅子や机が当たったとか、SNOWの魔力によって出現した氷柱がシャンデリアの根本を破壊したとか、考えられる可能性は幾つかある。でも僕が混乱している理由はきっとそこじゃない。


 彼の全身がはっきり見える頃、僕の実感もだいぶ濃いものとなった。床を這うようにして近寄った。


「ス、SNOW……SNOW! しっかりして!」


 抱き起こしてみても機械ゆえに体温も脈も感じ取れない。目を閉じてぐったりしているのがわかるだけ。気持ちばかりが焦っていく。


「どうして僕なんか庇ったの、ねぇ」


 そしてただ無念を噛み締める。確かにSNOWの身体は限界に近付いていた。いつ機能停止してもおかしくないとワダツミ様もおっしゃっていた。


 だけどこんな終わり方はあんまりだ。やっと最愛の魂の声を聞かせることが出来たのに。助かる可能性だってゼロではなかったはずなのに。



 ひやりと冷たい感触に頬を撫でられ、僕は目を見張った。うっすらと瞼を開いたSNOWが力ない声で僕に言う。彼は微笑を浮かべていた。



『悲しいね。どうして、僕らは……自分を犠牲にすることしか……思いつかないんだろう』



 本当に、そうだ。


 性格、記憶、知能……SNOWに組み込まれた全ての要素は三度目の春日雪之丞そのものだ。それゆえなのか、僕がとった行動もSNOWが取った行動も全く同じだった。最終的にSNOWの方が少しだけ早かったんだ。なんという皮肉だろう。


 震える唇が空回る。声はおのずと途切れ途切れになった。



「一緒に……探そうよ。自分を犠牲にしないで、済む方法を。自分をちゃんと、大切にしながら……大切な人を、守るんだ。今は出来なくても、いつかはきっと、出来るさ」


 だから……と続けたつもりが声にならなかった。憎しみに煮え滾っていたときとは違う、セピア色の優しい眼差しから目が離せなかった。



「もう大丈夫じゃ、親衛隊長殿。雪那に伝えたいことがある」


 後ろからワダツミ様の声がした。振り返るとクー・シーさんに支えられてこちらへ歩み寄ってくるところだった。顔色がいつもより青白い。


「雪那も、案ずるでない。力ならまだ幾らか残っておる」


 ワダツミ様の声には確かにまだ張りがあって、僕は泣きそうになりながらも頷いた。そして再度問いかけた。



「ワダツミ様、まだ間に合うのなら教えて下さい。SNOWを救う方法を」


「うむ」



 一度短く答えたワダツミ様はそっと僕の耳元に顔を寄せた。落ち着いて聞くようにと言ってから教えて下さった。


「SNOWの魂を其方の中に導く。その手助けなら私にも出来る。同じ記憶を持つ其方にしか引き受けられないことじゃ。だけどそれは其方の心身にとって大きな負担となるじゃろう。回復してまた舞台に立てるようになるまで何年かかるか……」


 声が消えかかったのは躊躇ためらいのせいなのか。このお方も辛いんだ。そう感じるのは容易だった。


「今はそれしか方法は無い。しかし雪那、其方の人生じゃ。自分を守る選択をしても誰も其方を責めはしない」


 僕は腕の中へ視線を落とした。ワダツミ様の言葉に同意を示すようにSNOWは小さく頷いた。リスクの高いことなんだろう、はっきりとしたイメージは出来なくてもそれくらいはわかった。



 だけど再び顔を上げたとき、僕の決意はもう固まっていた。



「受け入れます。SNOWと一緒に生きます」



『雪那……お前は、また、自分を……犠牲に……』


「違うよ、SNOW。これは自己犠牲じゃない」



 哀しげに眉を寄せたSNOWを見つめてはっきりと言った。



「君と一緒に行きたいんだ。未来へ。僕らが愛するあの真夏の笑顔に届くまで、そしていずれは一つの光となるときまで、ずっと。だから一緒に来てほしい」



 上手く伝えられただろうか。胸がいっぱいだったからあまり自信はなかった。だけどSNOWはちょっと安心したような顔になったと思う。


 隣を向いて僕は頷いた。ワダツミ様は少し悲しげに微笑み僕の肩に触れてくれる。それからSNOWの身体もゆっくりと撫で始めた。


 SNOWは母親にあやされている赤子のように、無防備であどけない表情になっていく。安らかな吐息さえ聞こえてくるようだった。



『僕は……存在していて……いいのかい?』


「SNOW……」


『本当に……?』



 彼の語尾は涙声と呼ぶに相応しいものだった。涙など無いはずなのに。


 それを受けた僕の手が、特になんの意識もすることなく自然と動いた。気が付くともう、頬に宛てがわれていた彼の手を握り返していた。



「ナツメがそう言ったんだね?」


『夏南汰も……言ってくれた』


「そうか。それなら尚更、迷うことなんて無いよ」



 “良かった”


 多分SNOWはそう言った。唇がそんな動きをしていた。



――てんの力よ今ここへ。新たな旅路へ向かうこの者が迷うことのないように――



 ワダツミ様の言葉と共に僕らは光に包まれた。眩しさが薄れるまでずっと、僕はSNOWを抱き締めていた。




 空気の匂いが変わった気がした。ステンドグラスの向こうでは雪が降っているんじゃないだろうか。


 床でチラチラ煌く硝子片は無情な程に美しい。



 静寂が訪れた舞台の上で、僕は動かなくなった機械の身体を見つめる。一つになった実感など、正直すぐには湧いてこなかった。


 だけどどうやら僕の顔はぐっしょりと濡れているようだった。SNOWの衣服にも、床にも、零れ落ちた跡がある。



「雪那くん、大丈夫かい?」


 クー・シーさんが僕の肩に触れた。僕の顔を覗き込む心配そうな表情を見た瞬間、自分でも聞いたことのないような嗚咽が湧いて出た。



「ずっと、ずっと、僕は……自分の存在を罪だと思っていた!」


 怒鳴るような、喚くような、そんな声。自分の声であってそうでないような。


 しっかりしなきゃと思っても理性はどうしようもなく遠のいていく。ついには硝子片が散らばったままの床を両方の拳を何度も叩いた。鮮血が飛び散る。なのに痛みの感覚が無い。誰かに羽交い締めにされても止められなかった。



「僕を助けようとしてくれる人が何人いても、どれだけの人が手を差し伸べてくれても、僕は、僕だけは、どうしても! 自分が許せなかった!」


 ぐい、と強く後ろへ引っ張られてバランスを崩した。傷だらけの両手はだいぶ霞んで見えた。


 名を呼ばれている気はした。僕が喚き散らすことを片っ端から否定してくれる誰かがいるのを感じていた。だけど今の僕はどうしても。


「許せなかったんだ……!」


 こんな言葉しか出て来ない。




 後になって思った。もしかしたらあれはSNOWの声だったのかも知れないと。それともSNOWの魂が入ってきたことが引き金となって、今まで抑え込んでいた感情が溢れたのか。


 だけどそんな答えに辿り着く頃、僕の意識は薄闇の中にあった。暖かな空気に混じる雪の匂い。相反する季節が寄り添っているかのような不思議な空間だった。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 さあ

 今は目を閉じて

 安らかな時に身を委ね

 悲しみに耐えた心を癒そう

 痛みに耐えた身体を癒そう


 さあ

 ここは僕らだけ

 もう心配は要らないよ

 今だけでも罪を許そう

 未来を生きることを許そう



 綺麗なことばかりではない

 きっとこれからの道のりも

 後悔 葛藤 自己嫌悪

 きっといくらだってあるだろう


 だけどもう独りじゃない

 目指す場所を思い出した

 そんな僕らならきっと

 辿り着ける日が来るだろう



 さあ

 今は目を閉じて

 安らかな時に身を委ね

 傷だらけの翼を癒そう

 二人きりの時の中で



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