5th NUMBER『ずっと待っているから』


 “ツインレイの解消”



 その言葉の意味を理解するより先に、僕の身体の奥がドクリと音を立てた。ナツメが悲しんでいる。そんな確信があった。


 だけど皮肉なことにSNOWのこの要求も“ナツメの為”なんだとわかる。愛おしくてたまらない魂との繋がりを断つ。その答えに辿り着いたときのSNOWの気持ちが手に取るようにわかって胸がきつく締め付けられた。



(諦めたくない。最愛の魂を僕は必ず幸せにしたい)


 僕の中で震えているナツメをぎゅっと抱き締めるような気持ちでそう願った。そのときだった。



――離せ!!



 鋭い声に射抜かれて僕は小さく飛び上がった。なんのことか最初はわからなかった。


 SNOWは真っ直ぐ僕を睨んでいた。憎しみ、それだけではない。懇願とも取れるような表情で叫んだ。


『それでは彼女の為にならない! 貴様は何度悲劇を繰り返すつもりだ!』


 ひしひしと伝わってくる感情があった。だけど僕の中では驚きの方が上回っていく。



「SNOW……? 僕の声が聞こえたの?」


『貴様、何を言っている』



「さっきのは僕の心の声だよ。口に出した訳じゃない。ナツメの魂を抱き締めて守ったことも、どうしてわかったの?」


『…………っ』



 SNOWが小さく後ずさる。戸惑いの表情も見て取れた。どうやら彼も無意識だったみたいだ。


 シャーマンの能力を受け継いでいる訳でもない、それも機械じかけである彼とこんな共鳴のような現象が起こるなんて信じられない。信じられないけど、僕らの心はいま確かに繋がっている、そう思えてならない。だってSNOWの心の揺れ動きを感じるんだ。まるで自分の一部であるかのように。



 バンッと何か勢いよく押し上げるような音と共に空気が薄くなったのを感じた。ワダツミ様が天井に向かって両手を掲げている。薄い膜を張ったように氷柱やシャンデリアが霞んで見えたところで僕はやっと状況を理解した。これは会場に居る全ての者を氷柱から守るバリアだと。


 クー・シーさんが素早く舞台上に駆け上ってきた。何人かの隊員も彼の後に続き、真っ先にミモザさんの元へ向かう。僕は彼らへ頷くとすぐさまワダツミ様の方へ向き直った。



「ワダツミ様!!」


 小さな身体でこんな広範囲を守ろうとしている。小さな御御足おみあしは震えている。このようなお力を実際目にするのは初めてだ。僕は走りながら手を伸ばした。それはワダツミ様が同じように手を伸ばしてくるのと同時だった。


「すまぬ、雪那。其方の力を貸してくれ!」


「もちろんです!」


 しっかりと手を握り合った。水の滴りのような音が聞こえる。見上げるとバリアの熱で氷柱が溶け始めていた。呼吸が浅くなる。でも今はなんとか耐えなくては。



『忠告はしましたよ、ワダツミ様。例えあなた様でも容赦は出来ないと』


 SNOWは片手をこちらへ掲げた。鋭利な氷が幾つか出来上がっていく。その途中、ワダツミ様の声がした。


「雪那、気のせいなどではない。其方とSNOWの心はいま通じ合っておる。SNOWに呼びかけ続けるのじゃ。もはや迷っている時間はない」


「はっ、はい!」


 僕は返事をするとまたSNOWをしかと見つめる。さっきのように口に出すのではなく、心で。きっとこうすることに意味があるのだろう、より深くまで響くのだろうと信じて、鬼気迫る中で言葉を紡ぎ出した。



(SNOW、聞いてくれ。聞きたくもないかも知れないけど君にとって必要な言葉だ。本来魂には故郷が必要だ。人工とかそんなのは関係ない)


『黙れ。覚悟なら出来ていると言っただろう』


(僕は今、ナツメの気持ちがよくわかる。ナツメは君を拒絶してなどいない)



『そんなはずはないッ!! 彼女は僕を見て泣いたのだぞ。彼女は優しいから言わなかっただけだ。本当はおぞましいと思ったに違いない!』



 SNOWが悲鳴のような声を荒立てる。成長した氷のやいばがこちらに飛んできて僕は咄嗟にワダツミ様を守ろうとしたけど、それは背後から放たれた火炎によって溶かされた。


 クー・シーさんが無言で僕の隣に並び、いつでも応戦できるよう構えている。SNOWはまるで行き場を見つけられない迷子のような表情を一瞬ばかり僕らに見せた。



『そんなに言うならば、貴様にもわかりやすいように説明してやる。貴様とその最愛の魂との繋がりが如何に悲しいものか』


 空気全体が沈むような圧力を感じた。まずい、と小さく呟いたワダツミ様が更に力を込めた。


 新たに生えた氷柱がバリアを突き破ろうと迫っている。それに気付いた僕もワダツミ様に力が流れていくよう集中する。指先が小刻みに震えた始めた。呼吸はますますしづらくなって頭もぼんやりとしてしまう。



 でもSNOWの声には耳を傾けていた。


『前々世、貴様が余計な心配をかけなければ夏南汰はあの航海に出ることはなかった』


 それがどんなに辛い過去でも、一言だって聞き逃すまいとした。


『前世、貴様が自死を選ばなければナツメが自らの寿命を削ることもなかった』


 罪の重さに押し潰されそうだったのはきっと僕だけじゃない。



『そして僕が生まれることもなかった!』



 彼だってずっとずっと苦しんでいたんだ。やり場のない怒り、恨み、そして孤独。自分の存在を認めることも出来ず。



『わかるか!? 好きなだけじゃ駄目なんだよ! ただ愛する、それだけで貴様のツインレイは寿命さえ縮めてしまう。それにこれは僕らだけの問題じゃない。僕らの愛した魂は多くの人からも愛されていたんだ。貴様のつまらない独占欲のせいで人生を狂わされた者が何人いると思う!?』


(わかっているよ。僕の人生は償いだった。人の犠牲の上に成り立っている人生だから……だからこそ、この世界に癒しを与えたいと思ってこの星幽神殿の門を叩いた)


『おこがましいんだよ。そんなことで夏南汰やナツメは……』



「そうだよ! 失われた命は二度と蘇らない。悲しい記憶は無かったことになどならない」


 僕はついに声を出していた。霊力が急激に流れ出たせいで身体はもう限界だ。


 だけど身体の中央から心地良い熱が広がっていく。優しくて、泣きたくなるような。


 僕は“この声”を彼に伝えなければと思った。空いているもう片方の手をそっと彼へ差し伸べた。



「でも想いは残り続ける。魂がある限り。聞いて、SNOW。ナツメが伝えたいことがあるって」



『ナツメが……?』



 大きく目を見開いたSNOW。その姿も薄れ、僕の意識はゆっくりと遠のいた。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 ナツメの名を出されたことでSNOWの全身から漲っていた殺気が薄れた。ただそう簡単に言うことを聞く相手とも思えない。沈黙の中、クー・シーは緊張を緩めなかった。


 その読みは見事に的を得た。SNOWは再び鬼の形相になって雪那へ言った。ドスの効いた声だった。


『馬鹿にしないでもらいたいね。自分の言葉で説得出来ないからって、彼女に責任を押し付けるような言い方がむしろ腹立たしいよ』


 蘇った殺気と共に魔力が膨らんでいく気配。しかし焦燥に駆られたクー・シーが隣を見ても、当の雪那は黙って目を閉じているだけだ。ワダツミもじっと彼を見守っている。


『聞いているのか!?』


 一体どうなっている? このままでは……雪那の意図が見えないクー・シーは、ただ何か起きたときには自分が守らねばと構えの姿勢をとるくらいしか出来なかった。慎重な交渉の最中。ワダツミはSNOWを救おうと考えていることもわかった。下手に口出しする訳にもいかない。



 しかし変化は緩やかに始まった。


 雪那のセピア色の長髪がふわりと宙に広がる。温かな風。何かの花のような香りが優しく鼻腔をくすぐった。


 さざ波のような響きがかすかに。そして弾ける、太陽の光を一杯に受けた真っ白な雫たち。その中から現れた漆黒の髪と曲線美と白い翼の持ち主は、前方へ向かって優しげな微笑みをたたえている。薄いレースのようなものをさらりと纏っただけの危うげな姿なのに、見ていることに不思議と罪悪感は感じない。芸術作品のような美しさが遥かに優っているのだ。



 そう、雪那の魂が“冬”ならば



『ナツ、メ……』



 この魂は“夏”だ。



 クー・シーは瞬きをすることも口を閉じることも忘れていた。しばらく経ったあと我に返ってSNOWの方を見ると、彼もまた目の前の光景に見入っている。彼女で間違いないということかと納得した。



―― SNOW ――



 彼女の優しさは見た目だけではなかった。慈愛に満ちた声。クー・シーは自分の目の奥が熱くなる感覚に驚いた。直接関わりがある訳でもない自分にまで響いてくるこの切なさはなんなのだろうと。



――逢いたかったよ、SNOW。あのときは泣いたりしてすまなかった。誤解をさせてしまったな。私は君を拒絶した訳ではないのだ――


『え……』



――耐えられなかったんだ。私は君を置いて逝かなければならなかったから。そして君は私の為に生まれた存在だったから、私の亡き後もずっと私に縛られながら生きていかなければならないのかと思うと胸が苦しかった。出来るなら君は君の人生を生きてほしいと思った――



 そして波長はまた変化を遂げる。美女の背丈はいくらか小さくなった。あどけなく年齢不詳な横顔。ほんのり漂う気品は生まれ持ったものなのだろうか。中性的で少女にも少年にも見える。そして先程とはまた違う独特の口調で語り出す。それは繊細さと大胆さを合わせ持ったような不思議な印象だった。



――辛い思いばかりさせてすまんかったのう。だけど私は手放したくないよ。これからの魂の歩みの中で君と生み出していく奇跡の数々を。いつの世でも私は“雪の君”を追い求めてきたんじゃ――


『夏南汰……』



―― SNOW、私は君に存在していてほしい。独りで終わらせようなんて思わないでくれ――



『僕も……僕も探していたよ』


 機械であるSNOWに涙は無い。だけど……


『勿忘草の君』


 触れようと伸ばした指先も、セピア色に鎮まった瞳も、彼の震える心を示していた。



「…………っ」


「ワダツミ様!?」



 ワダツミが両膝を着いたのを見てクー・シーはすぐさま駆け寄った。両手は上に掲げたままだけどバリアはもう消えかかっている。


 でも幸いなことに落ちてきたのは雨みたいな冷たい雫だけ。氷柱は全て溶かされたようだ。まだ足元が氷漬けになったままの隊員たちもいるかも知れないが、これなら怪我をせずに済むだろう。


 まず先に、すっかり青ざめた顔をしているワダツミの状態をクー・シーは確認しようとしていた。


 しかしそのとき。



―― SNOW! 逃げて!!



 その叫びはナツメのものでも夏南汰のものでもなかった。本来の姿に戻った雪那がSNOWの方へ向かって駆け出している。


「しまった……!」


 クー・シーが事態に気付く頃にはもう遅かった。何人かの隊員たちも寸前のところまで駆け付けていたが、彼らが辿り着くよりも先に硝子ガラスが砕ける凄まじい音が響き渡った。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 嘘がつけない 心の涙

 取り戻したならもう蓋をしないで

 君の心を潤していく

 ほろり

 ほろりと

 私には見える


 嘘が嫌いな 心の涙

 君も素直になればいい

 何度でも受け止めよう

 はらり

 はらりと

 花弁のように



 私はずっとそばにいた

 愛の歌を歌っていたよ

 君ほど上手くはないけれど

 君を守りたまえと願いを込めた



 嘘は要らない 心の涙

 頑なな鎧を脱ぎ捨てて

 ありのままの君の声で

 私に響かせてほしい

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