4th NUMBER『救われるべき魂だから』


 足元を氷漬けにされてしまったらもう飛来してくるものを避けるだけで精一杯だった。辺り一面は絶え間ない吹雪で白く霞んでいる。戦いに欠かせない五感がことごとく妨害されている苛立ちにクー・シーは強く歯を食いしばる。


 はっきりとは見えなくても、すぐ近くで雪那とミモザが危機に瀕している。それがわかっているから尚更だ。


 こんなときなのに……と思いつつも、クー・シーの中で一つの記憶が蘇っていた。



――ナツメさんの為です――



――だけど彼女は喜んでくれなかった――



 三度目の春日雪之丞と自分が造り出したSNOW。二枚の写真を見つめながら哀しげに、ドクターが語ったこと。自責の念に満ちたその声が鮮明に蘇っていた。



「SNOWを見たとき、ナツメさんは黙って涙を流しました。喜びとは違うとすぐにわかって私は凍り付いた。彼女の愛するユキくんと同じ姿、同じ知能、同じ記憶、全て忠実に再現したのに何故と。当時の私は本気でわからなくて途方に暮れるばかりでした」


 だけど今ならわかると彼は続けた。テーブルの上で握った拳は涙に濡れ、絶えず震えていた。


「最愛の者を失ったという心の傷は他人が簡単に癒せるものじゃない。私の考えが一方的かつ甘すぎたんです。彼女は心優しい人だ。涙は大抵誰かの為だった。そう考えれば理解できるんですよ……SNOWの為に・・・・・・・泣いたんだと」


  SNOWの為? とクー・シーが問いかけるとドクターは力なく項垂れたきり顔を上げることは無かった。


 ただその声だけは……



――“自分の為だけに造られた存在”を目の前に突きつけられることが、彼女にとってどれほど残酷なことか……!――



 意識が現在へと戻ってきた今でも、繰り返し響いてはクー・シーの胸を揺さぶるのだ。



 ナツメを悲しませてしまったドクターは、それ以来SNOWの姿を彼女に見せないようにした。ただSNOWにはもう意思がある。例え人工であっても立派な人格を確立していた。だから自分の助手としてそっと側に置くことを選んだ。


 ナツメが最期のときを迎えるまでに間に合わせたかった。なんとしてても最愛の者との再会を叶えてあげたかった。そんな思い。独り善がりで切実なドクターの愛に他ならなかった。あまりにも真っ直ぐすぎて。彼女しか見えなくて。ましてやSNOWが生まれ変わりの自分自身を憎むなんて想像も出来なかったそうだ。



 吹雪を貫くように光の筋が何本か溢れ、視界が少しずつ晴れていく。倒れている二つの人影がうっすらと見えてきて……


「雪那くん! ミモザ!!」


 どうか二人が無事であってほしい。いや、必ず助ける。そしてこの孤独な魂にこれ以上罪を犯させてはならないと、クー・シーは光に向かって目一杯手を伸ばした。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 自分の身体から光が溢れてくるという現象を雪那ぼくは今、初めて体験している。灼熱から優しい熱へと変わりゆく。吹雪は変じて恵みの雨となり僕らへ惜しみなく降り注ぐ。


 今まで全身全霊で歌ってもさすがにこうはならなかった。きっとこれは僕の中にナツメが居るからこそ。片割れ同士が噛み合ったが故に発揮できる巨大な霊力に違いない。


 ミモザさんの背中で固まっていた手をやっと動かすことが出来た。ぬるりと滑る感触。氷が溶け始めているんだとわかった。虚ろな表情をした彼女には少しばかり血色が戻ってきている。もう少し、あと少し、もっとこの力を解き放てば……と、僕は身体の芯に力を込めた。


 だけど再び氷の育つ音がして全身に緊張が走った。


 ミモザさんの肩越しにその姿が見えた。まるでダメージを受けていないかのようなSNOWが恐ろしく冷酷な目で僕を見下ろしていた。



「SNOW、お願いだ。ミモザさんにはこれ以上なにもしないでくれ」


『貴様、何を勘違いしている。よく見ろ』



「え……?」



 反応は随分遅れたけど、氷は僕の頭上で育っていることに気が付いた。煌めきながら宙に浮いているそれは、多分鋭利なナイフのような形だ。



『両手で持てばちょうど貴様の手におさまる』



――――!!



 全て言われる前に僕は察した。やはりと思う言葉が後についてくる。



『その人を救う方法だよ。それを手に取って、喉を突くんだ』


「駄目だ雪那くん!!」



 クー・シーさんの早口な叫び声がSNOWの語尾を遮っていた。しかしSNOWはまるで何も聞こえていないかのように淡々と続けた。



『心配しなくてもそれでナツメがどうにかなるってことは無いよ。ナツメは魂のみの存在。貴様の幽体が滅びれば自然とその中から離れることになる』


「それが目的? でも例え僕が死んだって、僕はもう誓ってる。ナツメとの魂の結び付きをこの先もずっと続けていくって。君は怒るだろうけど、ナツメもそれを望んでいるって今はわかるんだ。だから……っ!」



『それはどうだろうね?』



 嘲笑混じりのその声は僕に向けられているようでそうでもないような、なんだか不思議なものだった。



『忘れたのかい? 現在が何者であろうと貴様にはシャーマンの能力が受け継がれているんだよ。その上で貴様は二度、現世を捨てた。一度はナツメに救われたけど、三度目の自死に踏み切ったらどうなるだろうね。例え強大なお力が側にあってもただじゃ済まないと想像つかないかい?』


(確かに……僕の魂に流れるシャーマンの力は、このアストラルに転生した後も生き続けている)


 こんな状況だからこそ、SNOWの言葉を脳内で冷静に噛み砕く。つまり磐座家の掟がここでも当てはまる可能性がある、だから僕を自死に追い込もうとしている、そういうことなんだろう。


(ナツメがもし生きていたら、やっぱり僕を止めたんだろうな。それこそ我が身を犠牲にしてでも……だけど、今なら)



 心は冷静なつもりだったのにどういう訳か。僕は自然と頭上の氷に両手を伸ばしていた。ひやりと冷たい感触をしっかり包み込んだなら、それを喉のすぐ手前まで持っていく。


「イヴェール、さ……っ、やめて……!」


 ミモザさんが僕の片腕を掴んだ。微弱でありながらも必死な力。エメラルドの瞳が揺れて懇願を示す。


 いけないことなのはわかってる。だけど僕はきっと霊力を放った反動もあって、何処か朦朧もうろうとした意識だった。光はすっかり薄れ、再び冷感に支配されていく。自分の意志を見失いかけていた。



――――待て。



 少しだけ、我に返った。辺りは隊員たちの指示が飛び交い、僕らが意識を失わないよう誰かが呼びかけてくれている。そんな静寂とは程遠い状況の中へ、その声は矢のようにすっと突き通ってきた。


 軽い足音。僕の頭の方向に、きっとあの方・・・がいらっしゃる。



『やはりあなた様には何かお考えがあるのですね』


「やはりと言うなら其方もじゃ。其方の真の目的は」


『ご無礼を承知で申し上げますが、それ以上仰るならワダツミ様と言えども容赦は致しませんよ』



 二人はきっと倒れている僕らの身体越しに向き合っているんだろう。不穏な言葉のやりとりに僕の中でじわじわと焦燥が広がっていった。


 仰向けのまま顎を傾けると赤い鼻緒のぽっくりが見えた。そのあまりの小ささに瞬きを忘れる。氷を握ったままの手がおのずと震える。



「ワダツミ様、何を……なさる、おつもりですか……?」


「案ずるな、雪那よ。それからSNOW、なんと言われても譲る気は無い。私も覚悟の上でここに立っているんじゃからのう」



 コツ、と一歩前に進んだワダツミ様が思わぬ事を仰った。



「其方の目的はこの私じゃな?」



「え……?」


『…………』



 僕は思わず目を見張った。SNOWがやけに大人しいのは、やはりそういうことなのだろうか。しかし何故。その疑問もワダツミ様の言葉で解き明かされていく。



「其方の言葉に矛盾があるのじゃよ。私は目の前の者の寿命を感じ取れる。それはロボットであっても同じだったようじゃ。いつ機能停止してもおかしくないその身体で、本当にナツメを迎えに来たと言うのか? 自身の終わりが近いことくらいもっと前にわかっていたはずじゃろう。何故わざわざ今日という日を選んだ」


(SNOWが機能停止するって?)


 当然ながら僕が見てもわからないことだった。ワダツミ様の声には僅かに焦燥が感じられた。引っ張られるように戸惑いが胸を占めていく。



「確かにかつての其方は雪那を不幸に追い込むことばかりを考えていたやも知れぬ。しかし今の目的は違うようじゃな。雪那のことも出来れば手にかけたくないと思っておる。海辺の教会のボヤ騒ぎもそう、怪我人が出ないように考えておったのではないか? 事を大きくすることで雪那と私の距離が一層縮まる。そうして私を誘き出す作戦だったのじゃな。ある交渉をする為に」



 雪の破片がちらりとこちらへ流れ込んだ。さっきの吹雪とはまるで違う優しさで僕の頬へ落ち着く。


 正直、ワダツミ様の仰る意味は理解できても頭はなかなか追い付かない。だって僕はずっとずっと、自分だけが犯人の標的だと思ってたから。



「そして魂の故郷を持たぬ其方はこのままだと孤独に朽ち果ててゆく運命じゃ」


『ええ、わかっていますよ。それでもいいんです。僕は、ただ一つの願いを叶えられさえすれば……』


「其方もまた救われるべきじゃと私は考えておる。信じがたいことではあるが、その機械の身体の中にあるのは紛れもなく魂。見過ごす訳にはいかぬ。正直もっと早く其方の真の意図に気付いていればと悔やんでおるよ」



 ワダツミ様の口調は徐々に早くなった。親衛隊長殿! と呼びかける。それだけで空気が更に緊迫した。


「SNOWの生みの親は、まさかここに来てはおらんのじゃろう?」


「はい、さすがに危険が及ぶかも知れない場所に連れてくる訳にはいかなかったので……」


 答えるクー・シーさんの声には戸惑いが感じられた。



 ワダツミ様は更に訊いた。機械に詳しい者はいないかと。身体を蝕む程に巨大化した魔力を鎮めることは出来ないのかと。


 遠くから一つだけ声が返ってきた。一度暴走した魔力を抑える方法は無いとのことだった。



 ワダツミ様の声はついに途絶えた。だけど不思議なことに僕にはしっかりと伝わってきた。自分が必要とされているような感覚が。


 冷たい感触が片方の首筋をかすめ、カツンと硬い音が鳴り響いた。僕の手から氷の塊が滑り落ちていた。それは僕の恐れが吹き飛んだ瞬間でもあった。


 ミモザさんをそっと床に横たえた僕は、そのまま上体を起き上がらせ声を張り上げていた。



「ワダツミ様、おっしゃって下さい! 僕に出来ることならなんでもします!」


「雪那……」



「僕なら大丈夫です!!」



 内容も聞いてないのに大丈夫だなんて、とてつもない無茶をしているのかも知れない。でも僕にしか出来ないことなら力になりたい。その一心だ。


 ワダツミ様は僕の方を見なかった。前を向いたまま少し重い口調でおっしゃった。



「一つだけある。SNOWの魂を救う方法が。しかし……」


『ワダツミ様、お気遣いありがとうございます。雪那、貴様にも一応礼だけは言っておくよ。でもそういう訳にはいきません』



 低く、乾いた声がワダツミ様の言葉を遮った。風の気配、氷の匂い、吹雪の訪れを予感した。



『お言葉ですがワダツミ様は勘違いしておられます。僕は二度も自分を殺め、磐座冬樹も手にかけようとした冷酷な人間の記憶を持った魂ですよ。目的の為なら手段を選ばない。もちろん今もです』


「それが其方の本質じゃと本当に思うのか。其方は自分で自分に呪いをかけておるのじゃぞ。今からでも遅くはない」



 突如、建物全体がズン、と大きく振動した。SNOWが手をかざしている方向、それを目で追ってやっと気が付いた。


 天井から幾つもの鋭利な氷柱が生えている。背筋がぞっとするくらいびっしりと。舞台も客席も、きっと全部だ。



『さあ、ワダツミ様。僕のただ一つの願い“ツインレイの解消”を叶えて下さい。さもなければ天井の氷柱を一斉に切り落とします。ここに居る誰もが道連れです』



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 愛しすぎたから きっと

 失いすぎたから きっと

 君は自分の為に生きられなくなったんだね


 自分の純粋な願いを見失った

 君の為

 君の為

 いつだってそう願い続けたから


 その想いに蓋をしないで

 もっと我儘になって見せてよ

 だけどきっと他の誰かには

 僕もそう見えているんだろう



 愛しすぎたんだ 怖いほど

 失いうのはもう怖いから

 だから孤独を選ぶと君は言う

 その背中を見つめる泣き顔に気付いて



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る