12th NUMBER『脆い扉だ、開けないで』


 地を足を着け、大の男として立派に生きていけるって、ちょっと強がりなくらいの振る舞いを見せていた君だけど……


 僕にとっての君はいつだって御伽おとぎの国の住人だったよ。もちろん誰もが憧れる主役さ。


 ゆるりと溶け合う春の色合いの中で僕を恋に目覚めさせた。花の香りを纏った小さな君は“親指姫”。


 限りある時間を僕に知らしめた。涼しげな鈴の音色を残して去っていった君は“シンデレラ”。


 そしてある日突然、海の泡となって消えた。残酷な儚ささえも耽美にしてしまった君は……“人魚姫”。




「えーっと……雪那くん? これってナツメさんの前世である秋瀬夏南汰くんの人物像、の、話でいいんだよね?」


「はい、そういう人です」



「なんというか……詩的だね。いや、いいんだよ。多分僕が芸術慣れしてないだけっていうか、うーん……だけどもうちょっと具体的に話してくれると助かるかな~」



 僕の話し方はすんなり伝わらないことが多い。事実を伝えているだけのつもりでも何かの歌詞だと受け取られてしまうくらいだ。ある程度予想はしていたけれど、こういう状況ではまるで役に立たないセンスだと実感しているよ。クー・シーさんにはつくづく申し訳ない気分になってくる。


「君は事実よりか真実を語っているようだね」


「真実……?」


「そう、君の中に在る真実。君がどれだけナツメさんと夏南汰くんを大切に想っていたかよく伝わってくるよ。それをもう少し噛み砕いていこう」


「はい」


「大丈夫。慣れないことには時間がかかるのが普通だ。ゆっくりでいいんだよ」


 若草色の大きな手でポンポンと軽く僕の肩を叩く。仕事とはいえ、この人の気の長さには圧倒させられるものがあった。




 こんな話になったのも調査の一環。脅迫状の犯人は“春日雪之丞”と名指しした。それはつまり現在の雪那自身が買った恨みではないと考えられるからだ。生まれ変わる前を知る人物……その中から怪しい者を炙り出す為に、過去の回想が必須となる。


「聞いた感じだと雪之丞くんも優しくていい子に思えるんだけどね」


 正直、夏南汰を亡くしたくだりまで話したのに、こう言ってくれるのには驚いた。


 だけどどうだろうね、クー・シーさん。残念ながら僕はまだまだ隠し持っているよ。それこそ……



「いくら優しいクー・シーさんでも、この先を聞いたら僕を見放したくなるかも知れません」



 ガーネット色の瞳をちょっとだけ見開いたクー・シーさん。ごく、と喉を鳴らすその仕草、覚悟を決めようとしているんだろうね。


 だけどすぐに頼もしい微笑みに戻ってみせる。そして僕に言う。



「とことん付き合うさ。過去の罪と向き合って未来の指針を立てる。ここはそういう世界なんだからね」



 固く閉ざしてきた僕の過去の扉を叩いてくれる。


 溢れ出したのは光ではなく……奈落の底を思わせるくらいの闇だった。





 夏南汰が死んでしまってからの僕・春日雪之丞の記憶はかなりぼんやりしている。それもそのはず。


「雪之丞! 居るなら開けなさい。肺炎だってまだ完治していないだろう。雪之丞!」


「ユキちゃん、開けて! じゃないと戸を蹴り破るわよ! ん……んっ? 駄目だわ、内側を補強しているのね。もう! ユキちゃんったら!!」


 地元から僕の下宿先まで追ってきた父と姉が、何度も何度も戸を叩く音がした。それでも僕は立ち上がる気力すら無かった。誰にも会いたくなかった。


 出しっぱなしの書物にも机にも埃が被っていた。敷いたままの布団。実家から持ち出した大量の睡眠薬と覚せい剤。酒の瓶は一体何本開けただろう。


 肺炎で憔悴した身体がどうなろうと知ったことはなく。僕は自分の持つありとあらゆる感覚を鈍らせることで現実から逃げていた。



 そんな廃人同然の日々の中にも、ところどころ鮮烈な光景が残っている。


 その一つが……



――おい、春日。



 いつもと違う声、ゆえの効果だったのか。ぶっきらぼうな口調で生きてるかと問いかける、声そのものは女性のものだった。


「安心しろ。俺しかいねぇよ」


「磐座……みこと……さん?」


 僕は凄く久しぶりに驚いた気がする。夏南汰の航海に同乗した人々の安否を詳細まで知らなかったからだ。



「ご無事だったんですね」



 戸を開けて初めて夕暮れ時だとわかった。逆光で陰になった命さんの顔、よく見えなかったけど、小さく息を飲む音が聞こえた。


 僕は一体どんな顔をしていたんだろう。


 食事もまともにとっていない。薬と酒に溺れる毎日。きっと相当痩せこけて幽霊みたいになっていただろう。でもそれだけではないとすぐにわかったよ。命さんを招き入れ、そっと戸を閉ざしたそのときに。



「春日……お前が自分を責めることはねぇ。だって当たり前だ」


「命さん」



「何故お前が生きて帰ってきたんだと、そう思うのは当たり前だよ……!」



 悲痛に震え切った声で叫ぶや否や、彼女……もとい、彼は玄関先で土下座をした。僕に打ち明けた。


 夏南汰は俺を庇って死んだのだと。


「絶対に守るって決めたのに……自分が守られる側になった。俺は情けねぇよ」


「…………」


「あいつも……夏南汰もひでぇよ。俺のこと兄貴みたいだって言ってたくせにいざとなったら女扱いかよ。俺が男だったら……強い男だったら……クソッ!」


「命さん、顔を上げて」


 床に伏せたままの彼の肩にそっと触れた。僕も情けなかった。こうして無事に帰ってきた彼のいのちを素直に喜べない自分は、もうとうにけがれきっているんだとわかった。



 そしてけがれきった人間はいとも容易く転落するのだとすぐに知ることになった。



「なぁ、春日。唐突な話ですまねぇが……」



 そう、差し伸べられたそれが善意だとしても



「逢引転生の話、覚えてるか?」



 受け取る者によって罪となるんだ。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 あらゆる感覚を麻痺させたこの身体でも

 感じ取れたよ ひしひしと

 罪悪感に咽び泣く声

 魂を揺さぶる悲鳴がひしひしと


 なのに僕は残酷だった

 いいや むしろ冷酷だった


 受け止めてあげることさえ出来なかった

 きっとこの世の何もかもが恨めしかったからだ


 君の居ないこんな世は

 四季の彩りも煌めきも

 朗らかな音色も歌声も

 香りも味も痛みもなにもかも

 なにもかも

 存在しない

 君の居ないこんな世は


 慰めようとしたって無駄だ

 まやかしの言葉など簡単に見抜かれてしまう


 だけど運命は残酷だった

 いいや むしろ残虐だった


 あの人と僕との波長が重なり出した

 失った者同士 不協和音を奏でながら


 運命の歯車を狂わせていった



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