13th NUMBER『僕らを止めないで』


 それまでしおらしくしていたみことさんが強い眼差しで僕を見つめた。四つん這いのまま、真剣な様子で、だけどとんでもないことを言い出したんだ。


「お前さ、童貞?」


「は、はい?」


 “はい”といっても肯定を示す声色ではなかった。僕の声はみっともなく上ずった。いや、だって……そうだけど。そうですだなんて、すぐに答え出ないでしょう、こんなとき。


 よく見れば彼の着物の胸元がやけに開いている。薄暗くてもたゆんと下向きに揺れているのがわかる。おかしいな、以前会ったときはこんな目立ってなかったと思うんだけど……


「まぁ仮にそうだとしても、大の男ならやり方くらいわかんだろ」


「え、え……何を……」



――――っ。



 問いかけさえも柔らかく塞がれて僕はいよいよ目をいっぱいに見開いた。しばらく触れ合っていた彼の唇が遠ざかる頃。


「こっちは初めてじゃないよな」


 彼がじんわりと微笑んだ。微笑んだまま僕の背中に手を回し、たわわな胸を押し付けてくる。


「なんで……命さん……」


「夏南汰の代わりにはなれねぇけどよ」



「やっ、やめて下さい!!」



 僕は思わず彼を突き飛ばした。ドン、と戸に背中を打った彼を見て慌てはしたものの、言うべきことは言っておかねばと思った。少し強い口調で。


「そんな慰めは要りません。そんなので僕の心は癒えない」


 ぎゅっと拳を握り締め、視界を涙の海で満たしながら叫んだ。



「何をしたって夏南汰はもう帰ってこないんだから……!!」



 肩で息を切らし、雫を落とし、うつむいたまま無念を噛み締める。そんな僕にやがて届いた。


「嫌な思いをさせてすまなかったな、春日。だけどこれは慰めじゃない。儀式なんだ」


「儀式、だって……?」



「逢引転生の強行手段さ。お前と夏南汰が来世でまた巡り逢う為の、な」



 来世で……巡り逢う。



 夏南汰と、今度こそ。



 魔の囁きが僕の身体の芯を揺さぶる。顔を上げると乱れた髪を指先で整えた命さんが哀しそうに微笑んでいた。それも震えながらだ。


「命さん、その手段って、まさか……」


「逢引転生で生まれ変わったらもれなく波乱万丈の人生だ。勇気が要るだろう。それでも夏南汰とまた出逢いたいなら」


「命さん!」


 皆まで聞かなくても僕にはもうわかってしまった。たまらず彼の肩を掴んで、至近距離から目で訴えるのだけど、彼の方も負けじと僕に縋り付いてくる。本当はきっと怖いくせに。


「このまま……するんだよ。夏南汰のことを想いながら。無力な巫女である俺が唯一お前らにしてやれることだ」


 僕は弱々しくかぶりを振るばかりだった。彼の言葉よりも何よりも自分との葛藤だった。



(駄目だ。駄目だ。だって……そんなの……そんなのって)



「やっぱりお前には無理か」



 どれくらいか経った頃に、命さんが冷めたような声でぽつりと呟き僕の身体から手を離した。


 そして僕の方ときたらどうだ。長らく葛藤したにも関わらず、気が付けば実に呆気なく。


 遠のく希望の光を追い求めるみたいに手を伸ばして。



「春日?」


 立ち去ろうとしていた彼の着物の裾を震える指先で摘んだ。沈んだ声をやっと絞り出して告げた。



「……できるよ。僕は、できてしまうと思う。だけど、貴方はそれでいいの?」


「…………」


「きつい言い方になってしまうけれど、お互いの身体の構造がそうなっている以上、僕は貴方を女扱いすることになる。貴方だって大切な人が居ると言っていたじゃないか。好きでもない男に抱かれるなんて、そんな辱めに耐えられるの?」



――ならば助けてくれ。



 みことさんの心を案ずる一方で、止められない悲鳴が内で響くようだった。実に我儘に。実にえげつなく。


 再び哀愁の微笑みとなった命さんがそっと僕の頰を撫でて言った。



「確かにお前のことは好きじゃねぇけど、夏南汰を愛するお前は好きだよ」



 ぼさぼさに乱れた僕の髪ごと彼がぎゅっと抱き締めてくれた。そこからの記憶はまた曖昧になっている。ただ気が付けば雑然としたあの部屋に移動していて




「春日、手加減はするな」


「ごめんなさい……ごめんなさい、命さん……っ、ごめん……」


 交わし合った哀しい言葉と


「馬鹿。俺の名前じゃ意味ねぇだろ。ちゃんと夏南汰って呼…………あっ」



 虚しい劣情のままに生贄いけにえの巫女を押し倒した後に見えた



「かな……た」



――ユキ――



――私を忘れないで――



「夏南汰……っ!」



 水中にどっぷり浸かったかのような視界の中で揺らいでいた。僕が与えるなにもかもを心から悦んでくれる、愛しい君の幻想だけを覚えてる。




 今考えると、きっと命さんは僕の汚らしい欲望に弄ばれる屈辱に耐えながら、一生懸命夏南汰になりきって、ユキ、ユキと、夏南汰の呼び方で僕に囁いていてくれていたんだと思う。


 出来てしまうだろうとは言ったものの、信じられない気持ちもあった。これが如何に悲しいことかわかっていながらちゃんと反応したんだ。なんて無様な身体……



「春日、お前は生きろ。残酷なことを言ってるのはわかってる。だが、これは守らなくちゃならない条件だ」


 僕に奪われた後、麗しくも痛々しい姿で巫女はこう言った。放心状態の僕を荒々しい手つきで撫でてくれた。




 決して綺麗とは言えない、むしろ生々しい儀式が終わった。翌朝僕が目を覚ます頃、隣に寝ていたはずの命さんはもうとっく身支度を終え、ちょうど部屋を出て行くところだった。


「命さん……」


 彼は振り向きざまに明るい笑顔を見せつけ、ちゃんと食えよとだけ言い残した。一人残された部屋。ほのかに漂う匂いの方へ視線を送ると、流し台のすぐ横に大きな握り飯と味噌汁が用意してあった。



 あんな辱めを受けてなおけがれきることもなく、こうして優しさを分けてくれる。それに引きかえ僕は。



「最低だ……最低だよ、僕は……ッ!!」



 汚れた心は純粋なものを受け入れられない。


 優しさを握り固めた朝食には手を付けられず、僕は覚せい剤に手を出した。こうなったら何処までもけがれてやろうと。




 夏南汰……


 夏南汰……



 うわ言のように君の名ばかりを繰り返した。最後まで呼んであげられなかった愛しい響き。僕の宝物。つのる実感と抑えられない願望だけが僕を支え動かしていく。


 命さんの忠告が聞こえていなかった訳じゃないんだ。そうじゃ、ないんだけど……それでも……



 僕はやっぱり君じゃなきゃ駄目だよ。やっぱり、君に逢いたいんだ。



 だから、一緒に行こう。




 儀式から翌々日。秋瀬邸の窓辺で夏南汰を見つけた。あのくすぐったそうな微笑みでこちらを見つめてる。


「僕を待っていてくれたんだね!」


 喜びが湧き上がり、栄養失調であるはずの痩せた身体を突き動かした。もう二度と離さないと決めた愛しい君へと僕は迷わず手を伸ばす。



「ほら、もう寂しくないよ。独りになんてしないよ。噛み付きもしないよ。うんと優しくしてあげる……ねぇ? 夏南汰ぁ。僕の可愛い夏南汰」



 はは、はははは……



 明け方の空のもと、乾いた笑い声を響かせながら歩いた。君の遺骨の入った壺を抱える僕の手には、幾つもの硝子の欠片が刺さっていた。



✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎✴︎



 君に逢う為 もう一度

 僕は君を抱いて歩き出す

 小さな小さな君の欠片を

 永遠の宝物として


 君に逢う為 もう一度

 僕は明け方の海を目指す

 あの日 青い花に託した想いを

 今度こそ自分の声で伝える為に


 君を連れてもう一度

 もう一度 やり直そう?


 春の晴天を映した君の瞳

 ふわり揺れていた勿忘草

 あの日の涙

 あの日の君

 僕にくれた愛の言葉は

 慰めなんかじゃなかったよね


 もう声も聴こえなくたって

 愛くるしい微笑みが僕には見えるよ



――行こう――



 そうだね

 一緒に行こう



 君に逢う為 もう一度

 君と僕が永遠となれる場所へ

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