第3話

 翌日。伊勢は呼び出され千葉の私室にて足を正していた。同時にその場には彼を虐げていた門弟が、嘲りながら千葉の横に座っている。


「勘兵衛。お主、言う事があるのではないか?」


 唸るような低い声が響く。だらしなく口角を上げていた門弟達も思わず肩を縮ませ畏怖していたが、目線だけは伊勢を離さず侮蔑し続けていた。黙っていても「ざまぁみろ」と、悪態を吐きそうである。

 反対に伊勢は言葉に窮していた。「制裁に堪え兼ねて殴った」と言うのは容易だが、それは自分の力を誇示しているようで憚られたのである。「未熟者に言葉は不要」とは彼の弁であり、実際誰よりも修練に励んでいた伊勢であったが、語らぬ以上それを知る者は不在であり、皆は彼をおしのなり損ないと揶揄していた。それに、いかなる理由があろうとも不意打ちは不意打ちである。伊勢の剣士としての誇りが、意地が、真実を伝える事に待ったをかけたのだった。

 伊勢が語らぬ事は門弟達の計算の内であった。それ故千葉は真偽はともかく門弟達の話を聞く以外になく、また、余計な事を喋ったとしても多勢の理を生かし無理を押し通そうという企みを練ったわけである。だが……


「なるほど。黙るか。ならば致し方ない。知っている者に聞くしかあるまいな」


 千葉が声を上げると同時に襖が開くと、そこに立ちたるは阪原である。いつもの仏頂面であったが、内に秘めたる怒りは隠しきれとおらず、「失礼いたします」と発した千葉への礼も乱暴となっていた。


「新左衛門。貴様、昨日に何があったか存じておるのだな」


「左様にござりまする」


 門弟達の顔が俄かに青ざめていく。状況と置かれた立場を察し、自分達がお白州に座らされたと、ようやく合点したのだった。


「では、申せ」


「はい。この者達はかねてより伊勢を嬲りものとし非道を働いておりました。道場内での扱きなればそれも修練となりましょうが、私が目にしたのは裏道での私刑。しかも多勢に無勢をいい事に、一方的に伊勢を滅多打ちとするその所業は目に余るもので、到底看過できるものではありませんでした。此度は伊勢の業前が上手でありお遊びで済みましたが、彼奴らの所業は断じて許せるものではなく、然るべく処罰を与えるが妥当であり、また、今まで黙しておりました私にも、同じく相応の処罰を欲する所存でござりまする」



 阪原は姿勢を正したままそう述べると、「作用か」と千葉は頷き、思案するように唸り各々を見回した。


「私は阪原を信じる事にする。貴様らは破門だ。即刻出て失せよ」



「お待ちください!」


 異な事に声を荒らげたのは伊勢であった。千葉も門弟達も、阪原でさえ、驚きの表情を浮かべていた。


「確かに阪原の言は事実でございます。しかしながら、全ての元凶は某の愚鈍と無識が招いた小事なれば、誰彼が罰せられるなど道理の外であり、また、恥を承知で申しますれば、某は不意打ちを用いた卑劣もの故、処罰が下るのであれば、それは某を置いて他にないと存じます!」


 慣れぬ言葉を使い伊勢が訴えたのは苛虐していた者の無辜と己が不徳であった。この時伊勢は全ての責を背負い腹を切る覚悟を決めた。しかしそれが自己犠牲による陶酔である事を彼は知らない。名誉も大義もない切腹など単なる自己満足に過ぎないのである。


「腹を切りまする」


 意を決したようにそう言う伊勢には贖罪ではなく、不安と、一種の愉悦があるばかりの紛い物の覚悟であった。若く、また武士でもない人間にとって、切腹とはそういう類のものなのある。



「戯け」


 それを知る千葉は伊勢の言を一蹴した。


「軽々しく腹を切るなどと吐くな。未熟者に腹を切らせたとあらば千葉の名折れ。そこもとは私に恥をかかせる気か」


「め、滅相もございませぬ!」


「よろしい。では、各々もう退がれ。処分は追々と考える」




 一人一人が千葉の私室を後にした。門弟達は千葉に怯え身を強張らせてはいたが、最後まで伊勢に向ける目は変わらなかった。いや、むしろ更に……






「大丈夫か?」



 阪原が井戸で顔を洗う伊勢の肩を叩いた。伊勢の頰には薄らと、落ち切らぬ線が引かれている。


「……あぁ。かたじけない」


 慣れぬ言葉はまだ続いていた。それを聞いた阪原はつい吹き出してしまったがすぐに元の仏頂面へと戻ったが、心なしか、親愛の情が宿っているように思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る