ⅩⅩⅩ   母の面影

 灯りもつけずに薄暗い部屋の中、ベッドに寄り掛かるように座り込む少年の姿があった。

 深く俯いたエディは身じろぎ一つしなかった。ベッドの上に新しい服が畳んで置かれていることも分かっていたが、何をする気も起きない。あの瞬間から、彼の中の時はまだ止まったままだった。一滴の涙も出てこない。脳裏では、何度も何度もあの光景が繰り返される。彼の心は深い闇に飲み込まれ、抗う気力すら失ってしまったようだった。

 しばらくして、扉が開く小さな音、続いて誰かがそっと部屋に入ってくる気配がした。それでもエディは全く反応しない。部屋に入ってきた人物はそんな少年をじっと見つめ、苦しげに呟いた。

「……エディ。」

 その瞬間、エディはバッと顔を上げて声の主を見つめた。彼の目は驚愕に見開かれ、何か言おうと動く口からは声が出てこない。

 部屋に入ってきたのは、ほっそりした女性だった。上品な淡い色合いの、シンプルだが上質そうなドレスを身に纏っている。艶のある栗色の髪をうなじでひっつめ、優しそうな微笑みを浮かべた顔。その顔に、エディの視線は釘付けになる。虚ろな動きで立ち上がると、よろめくようにしながらその人物へと近寄る。やっとのことで喉から声を絞り出した。

「母さん……!?」

 彼女はちょっと寂しそうに微笑む。その髪の色も、澄んだ青い瞳も、目鼻立ちも口元も雰囲気も何もかもが、マーヤに瓜二つだったのだ。

 エディは混乱した面持ちで、その女性を凝視する。彼女が差し伸べる手に、そっと震える手を伸ばした。白く小さい、傷一つない綺麗な手に、確かに指先が触れた。柔らかく、あたたかい――幽霊ではないらしい。

 そんな少年の様子を、彼女はじっと見つめていた。やがて口を開き、母そっくりの声がエディの耳に入ってくる。

「エディ、ごめんなさい。私はマーヤではないのよ。」

 エディは愕然として女性を見つめる。こんなにそっくりなのに……。女性は彼に優しく微笑みかけ、かがんでその顔を覗き込んだ。

「久しぶりね、エディ。以前会った時の事なんて憶えていないでしょうけれど……まだ赤ちゃんだったものね。ねえエディ、もっとよくお顔を見せて頂戴。まあ、大きくなって。お父様によく似ているわ。」

「母さんや僕の名前も、父さんの事も知っているの? あなたは誰?」

 思わず叫んだエディに、彼女は静かな笑顔で答えた。

「私の名はサヤ=ダンヴェリアル。あなたのお母様の、実の妹よ。」

 全ての思考を停止させた状態からやっと動き出したばかりの少年の頭は、言われた言葉を理解するのに少し時間が掛かった。

「サヤ……?」

「そう、サーヤよ。あなたの叔母。」

 サーヤと名乗った女性は目じりにしわをよせて微笑んだ。マーヤと同じ笑顔。彼女は悲しそうに呟いた。

「あなたと姉様ねえさまには、とてもつらい思いをさせてしまったわね。」

「叔母上……。」

 彼女を見つめるエディの目から、知らないうちに涙が一つこぼれた。

「姉様のこと……苦しかったでしょう、エディ。私も苦しいわ。まだ信じられない、受け入れられていないの。でも事実は受け止めなきゃいけない。だから、ね、一緒に受け入れましょう。エディ、あなた達を助けられなかった私を許してくれる?」

 サーヤの頬にも雫が伝う。涙は止められず、エディはしゃくり上げながら頷いた。母と同じぬくもりで抱き締めたサーヤの腕の中で、彼は幼い子供のように大声を上げて泣いた。

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