短編:“群衆”の一人

θ. 影を殺す女

「マル暴の奴等と被疑者の供述が合わないだと!?」

 神奈川県警察本部では、取り調べの時点で既に混乱を極めていた。何しろ、ホストクラブの店長とその差金と思われる君津会の組員の供述が全く噛み合わないのである。片方は取引相手の裏切に因って引き渡しに失敗したと言い、もう片方はホストクラブの店長が別のシマの女に横流しをするという裏切の為に暴力を振るったと言う。事実関係を確認しようにも、抑々『取引相手』も『女』も、それどころか唯一双方が共通して言う『商品ブツ』となった人物も県警が埠頭に駆けつけた時には既に無く、彼等が取引をしようとしていた事実を示す証拠自体が無い状況だ。

「どうなってやがる・・・」

 よもや狂言とも思えない。黙っていれば只の内輪の喧嘩で処理が出来るのに、わざわざ罪を自ら重くするような供述をするとは、彼等自身も相当混乱している様だ。

「・・・くす」

 突如背筋を氷らす様な冷たいわらいがすぐ背後で聞え、所轄する刑事のやくざ者とそう変らぬ強面が血の気を引かせ、ひっ!?と悲鳴じみた声を上げた。声を出されるまで真後ろに立たれていた事に全く気づかず、挙句情けない声で応戦してしまった事を少し恥じる。

 振り返ると、相手が自分より遙かに腕力的に劣っていそうな人物であった為、臆病さを露呈させた神経はますます刺激された。

 ブラックスーツに身を包んだ人物は、少年とも女性ともとれる中性的な容姿の持主であったが、ネックレスやピアスの趣向から女性である事が窺える。

 女相手に自分は怯んだのか。

「・・・誰だ、てめェは」

「口を慎め季名瀬きなせ

 上司から威圧的な声で窘められ、季名瀬と呼ばれた刑事は仕方無しに押し黙る。むしろ、これ以上墓穴を掘らずに済むので彼のプライドを守る事にはなるのだが。

「警視庁第4方面本部の十河とがわ りん警視。君津会の動きには其方さんも色々注視していて、捕まえる機会を狙っていたんだと」

 季名瀬に厳しく当った割には、上司もかなりぞんざいに女性を扱う。それもそうだろう。この上司は根っからの叩き上げ刑事で、キャリアを激しく敵視している。加えて、警視庁と神奈川県警は犬猿の仲という半ば定例化した噂もある。手柄を横取されるかも知れない。

「安心してくださいませ。私達が手を焼いていた山梨組の下部組織組員を逮捕した功績は貴方がたのものですわ」

 見透かされた物言いに、季名瀬もその上司も表情を紅くする。精神的には既に彼等はこの女警視に負けていた。己の手柄に固執する事こそが今後の捜査を打ち切らせる事も知らず。

 十河警視は落ちてくるさらさらの髪を耳に掛けると、用意されたパイプ椅子に腰掛け

「東京にはドッペルゲンガーがいるんですわ」

 と意味深に言った。これには季名瀬もその上司も間抜な声を出すしか無かった。

「は?」

「或る時は取引相手に成り済まし、或る時は別のシマの女に、そして叉或る時は人質となる。他者を装って情報を撹乱する愉快犯的な業者が都内で横行していますの」

 十河警視は足を組んで、スーツの内ポケットから一枚の写真を取り出す。同時に鋏も取り出して、大きく背を反らし、写真を透かす様にして見上げる。

「・・・・・・そんなんいたら、すぐに捕まりそうなモンだがな?有能刑事デカの多い警視庁ならよ」

 季名瀬は言葉とは裏腹に、馬鹿にした喋り方で警察庁出身者キャリアの多い警視庁の若き幹部の女性に問うた。女性は静かに微笑み返すが、それを受けた季名瀬と隣に居た上司はびくりと背筋を震わせる。

「日本がスパイ天国というのは本当ですわ。見つけたって捕まえられっこない。紛れも無く、共に行動する市民が妨害に掛る。他者に重ねて、他者に依存して、安心を求める『甘え』の社会では」

 十河警視はゆっくりと、だが躊躇い無く、自分の分身とも謂える面影の写真に鋏を入れた。

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