第13話 異星の言語学 その3

「以前ある脳神経学者が、デロデロの脳をスキャンして分析したところ、視覚を処理する部位と、言語を処理する部位が同じだということが分かったんです。らばるさん、これがどういう意味か分かりますか?」


「うーん・・・デロデロは、見たものを言葉にするのが上手いとか? あっ、あんな小学生みたいな奴等なのに、実は凄い上手い小説を書くとか?」


俺が小学生の頃、クラスに全然勉強が出来ないで、テストでも30点ぐらいをしょっちゅうとってた奴がいたが、そいつは漫画を書くのが上手かった。案外、このゼリー人間達にも隠れた才能があるのかもしれない。


「うーん、惜しいですね。言語化が上手い下手のレベルではなく、あの種族が見ている世界は、言語そのものなんですよ」


言語そのもの? 地球にも、我々の思考はその文化圏の言語に左右されているという「サピア・ウォーフの仮説」というのがあるが、そんな感じの話か?


「僕達ホムスが物を見た場合、物体に反射した光を網膜の捍体細胞と錐体細胞が受け取り、それを明暗や色彩という信号に変換し、視神経を通して脳に伝えます。脳はそれを映像として処理します。僕達はそれを見ているわけです」


ふむふむ。まあ、そうだよな。ここは薄暗い階段の踊り場で、一人の男と、一人の女の姿をした人間と、一人の男の姿をした人間がいる。そして女の姿をした人間と男は、地球人の男子高校生のようなビリジアンのブレザーを着ていて、男の姿をした人間は、地球人の女子高生のような空色襟のセーラー服を着ている。あっ、ファバラを出発する前に着替えたからな。俺にはそれが映像として見えている。


「僕達にとって、視覚と言語は別物です。『机の上に乗ったリンゴ』を見たからといって、『机の上に乗ったリンゴ』という文字列や音声が見えるわけではありません。第三者に情報を伝達する時、あるいは深く思索するときに始めて、映像を言語に置き換えるんです。

一方、デロデロには、ホムスの捍体細胞と錐体細胞に相当する器官はありません。光は半透明な身体を通り抜け、直接脳が受け取るんです。そして、光を受容する部位は、言語の処理も同時に司っています。

デロデロの脳の活動をモニターしてみた結果、彼等は他のあらゆる処理に先にんじて、光を言語に変換しているということが分かったんです。他人のクオリアを検証できない以上、それをどう感じているのかまで分かりませんが、彼等が『机の上に乗ったリンゴ』を見たとき認識するのは、『机の上に乗ったリンゴ』という文字列なんです」


「今この場所では、薄暗い十二段の階段に挟まれた踊り場の上で、ファバラの民族衣装を着た三人のホムスが会話をしているけど、デロデロ達はこれを『薄暗い十二段の階段に挟まれた踊り場の上で、ファバラの民族衣装を着た三人のホムスが会話をしている』という文章として認識しているんだよ。もちろん、『ファバラの民族衣装』なんてのは知識前提の概念だから、もっと細かな色や形状を表す文に分解されるんだろうけど」


視覚全体が文字びっしりというのを想像してみたが、『耳なし芳一』みたいで気味が悪い。もちろん、デロデロには言語が「見えている」わけではないのだろうし、仮に見えていたとしても、それを不気味とみなす感性は備えていないのだろうけど。


「で、それが、ウィリー教授の逮捕と何の関係が?」


女の姿をした人間が、男の姿をした人間に質問する。


「デロデロ語で、『ちゃんとお風呂に入っている』は、"ki tomo bora teka. " で、そこに間投詞の『ねぇ』が付いて疑問形になると、"oo ki tomo bora teka? "になります。一方、『姉ちゃんと風呂に入っている』は、"ookito mo bora teka." です。この二つはウチらホムスには全く別の事柄に思えるかもしれませんが、世界が言語そのものであるデロデロにとっては凄く似通っているんですよ。『タイヤキを食べられる』"samozakite modo kanka"と『タイヤを切って食べられる』"samo za kite modo kanka"も同様です。我々ホムスには言い掛かりにしか思えないようなことでも、この種族の認知形態においては、そこまで不合理なことではないんです」


うーん、納得出来るような出来ないような。


「警察に、『ちゃんと風呂に入ること』と『姉ちゃんと風呂に入ること』が全く異なる事象であることを、知ってもらいましょう。そうすれば、息子は晴れて釈放されたるでしょう」


「でも、どうやってやるんだ? クオリアを他人に説明するなんて、いくら科学技術が発達した文明でも不可能だろ?」


「B2Bを使います。ブレイン・トゥ・ブレイン。ホムスの脳とデロデロの脳を繋ぐんですよ」


「B2Bなんか持って来てないよ。今さらファバラまで戻るっていうの?」


「いいえ。ウィリー教授の部屋に、デロデロ製のB2Bがありました。全体に魔法陣が描かれたオカルティックな物ですが、使えなくはないでしょう」


俺達はB2Bを求めて、ウィリー教授が居た部屋までとんぼ返りした。


「ああ、〈ソウル・コネクター〉ね。何に使うのかは分からないが、あれがあれば息子は助かるんだね」


息子の人生がかかっていることもあり、教授は快く譲ってくれた。造りとしては、電極の付いた銀のヘルメット二つを、銅線で繋げただけの粗末なもので、あやしげな新興宗教団体が使ってそうという印象。さっきオーフェンが「魔法陣」が描いてあると言ってたが、描いてあったのは算数の「魔方陣」だった。


「まずは、そこら辺にいるデロデロを誘って、僕と脳を繋ぎます。デロデロは好奇心旺盛なので、面白いものがあればすぐに広まるでしょう。〈ソウル・コネクター〉が流行りだしたら、特高警察の人達にも薦めましょう」


「流石に、ウチらがいきなり警察に乗り込んで、『これを頭につけてください』って言うわけにはいかないからね」


そこにやってきたのは、タナーカだった。〈黄泉渡りの飛石〉で落ちて骸骨になった(ことにされた)紫のやつな。


「ねぇ、タナーカ君。このお兄さんと、頭、繋いでみない?」


「頭?」


ティマが、だっちゅーの(古っ)みたいなポーズでタナーカに迫る。男子用ブレザーなので丸みを帯びた双丘は見えないが、さすがAGオートガイネフィリア、無垢な男の子を誘う妖女的色気ムンムン。


「やってみるー」


チョロイ。即堕ち2コマだ。ティマの手解きを受けながら、ヘルメットを嵌める紫色ゼリ人間ー。もう片方を俺が被る。


「じゃっ、スイッチを入れますよ」


「おおー」


始めて「視覚」というものを体験し、驚嘆するタナーカ。まさにリアル「マリーの部屋」だ。


「すっげえ。すっげえ。世界が、世界がああぁぁ ウルトラスーパーミラクルハイパーゴールデンフェニックスボンバーァァァ!!」


彼は狂ったようにその場でくるくる回転し、腰を抜かしてしまった。全く新しいクオリアの体験という状況なのだから、無理も無いだろう。


そんなタナーカをよそに、オーフェンは電子ペーパーを取りだし、何かを入力し始めた。なるほど。この紙はデータの記録が可能で、それを呼び出しているのか。


「これが、『ちゃんと風呂に入る』」


バーンと視界に突きつけたのは、二つの図。頭にタオルを乗せながら普通に浴槽に入っている女の人の絵と、札束を浮かべた浴槽に上下逆さに浸かって『犬神家』している絵。つーか、こんなのどこから拾って来たんだ? 指で前者に矢印を付ける。


「そして、これが、『姉ちゃんと風呂に入る』


案の定エロ同人だった。


「ぜ・・・ぜんぜんちがうー!!おっ、俺・・・ おっ、俺・・・すげーことを知ってしまった!! 『ちゃんとお風呂に入ること』と『姉ちゃんと風呂に入ること』は、全く違うことなんだー!! だいはっけんだー!! だいはっけんだー!! みんなー!!」


宇宙の真理を悟ったタナーカは、絶叫しながら仲間を呼びにいった。


「わー」


「すげー、違うー」


「お姉ちゃん達天才ー」


「やっべーこれ。わけわかんねー」


「お風呂にちゃんと入るのは、悪いことじゃないんだー」


こうして、『きちんと入浴をする』ことと『姉と一緒に入浴をする』ことは全く別の概念であるということが、この星に広まった。結局、ホムスの科学技術を使うことにはならなかったが、認識方法の差異というより根本的なものを利用して、俺達は異星人の文化に変革をもたらしたのだ。


「すげぇなこれ。お前もつけてみろよ」


「うへー。何だ?何だ? これがオメーらホムスの言う『見える』ってことなのか?」


「はい、そうです。そして、これが今話題の画像です。どうです? 違うでしょ」


特高警察の留置場にて、我々のクオリアを御披露目するオーフェン。ちなみに内装はまんま教職員室。


「こんなものを『見せられ』ちゃ仕方ねぇ。あいつは釈放だ」


こうして俺達はウィリー教授との約束を無事果たしたのだった。


ちなみに〈テルヴォール系連邦〉が現実世界での性行為を禁止しているのは、ホムスを始めとした政治の場で主要な位置を占める種族のみなので、デロデロは対象外だ。〈サンサン教会〉の行為が連邦法に触れることはない。

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