第8話 異星の言語学 その2

〈カレンビア学園〉は、あまり豪勢ではなく、地球の一般的な小中学校に近いタイプの校舎だった。正門を抜けると、桜並木に挟まれた三十段ほどの階段があり、その先に白い外壁の三階建ての新校舎が立っていた。屋上よりも屋根が高くなっている部分には、ハイテク文明に似つかわしくない文字盤の時計。正面玄関横には百葉箱まである。(地球は宇宙のありとあらゆる星の文化のパロディの寄せ集めであるため、同じようなものがあるのは当然のこと)


「ウチらの家は旧校舎だから、こっちだよ」


ティマ達に連れられ、中庭を通って黄土色の建物へと向かう。新校舎と旧校舎は、二階の連絡通路で結ばれていて、中庭では、地球の兎に似た動物が飼われていた。二人によればこれは二年生の共同のペットだとのことだ。飼育小屋の隣には、魔法少女らしき銅像が、こちらを見下すような目をして立っている。


下駄箱で上靴に履き替え、校舎内に入ると、内装まで学校そっくりだった。空色の塗り床の長い廊下の片方に、教室が並んでおり、扉の上部には「3の6」「3の5」・・・と降順に年組のプレート。反対側の窓からは中庭が見渡せる。突き当たりには図書室、その右手には共用のトイレがある。図書室にどんな本が収められているのかは大体予想が付く。


「ここが、ウチらの家だよ」


「どうぞ、お入り下さい」


三年二組の扉をくぐり、二人の家にお邪魔する。内装も教室そっくりで、床は正方形の木板が敷き詰められ、前方に黒板、後方に鞄入れや掃除用ロッカーがある。もちろん、全てが学校風というわけにはいかず、冷蔵庫や食器棚、制服やコスプレ衣装がかかったハンガーラックやが置かれているし、学童机は五組しかない。掲示物がみな美少女・美男子キャラクターのポスターであることも違いの一つか。しかし、一番気になるのは、ゲーム機やフィギュアの山。フィギュアは、美少女・美男子系のものだけでなく、宇宙船の模型もある。


「こんなこと言って悪いんだが、何か食べるものはないかな? セントレア人に捕まってから、何も食べてないんだ」


「じゃっ、ゲームしながらお菓子パーティでもやろっか」


ティマがゲーム機を引っ張り出して、オーフェンが冷蔵庫からお菓子を持ってくる。先ほど話に出ていたVRゲーム『ゲーマー×テイマー』だ。VRとは言っても、完全に夢の世界に没入して身体が動かなくなるようなものではなく、周囲の視界にテクスチャを張り付けるタイプであり、お菓子を食べながらプレイできるそうだ。しかし、このお菓子の名前、〈おっぱいマドレーヌ〉〈おちんぽスティック(サラダ味)〉〈ザーメンのかかったドッグフード風スナック〉っておい。特に最後のやつは食べたら負けという感じが酷い。


「カルチャーショックなのは分かるけど、これ大手お菓子サークル〈タンメン堂〉の大人気商品なんだよ。らばるも食べなよ。大丈夫。本物の精液なんか使ってないから。ネタだよ、ネタ。」


二人が普通に食べているので、俺も食べることにした。チョコのシリアルに固めた練乳をまぶしたもので、味は悪くなかった。主観時間で半日ほど何も食べていなかった空腹のせいかもしれないが。


『ゲーマー×テイマー』というゲームの面白さは微妙としか言い様がなかったが、高度なVRゲームという体験は本当に素晴らしかった。


「せっかくだから、あんたらの星の言葉を、教えて欲しいんだが、構わないか? 」


「この〈翻訳ゴーグル〉をつければ、看板とかの文字もちゃんと見えるようになるよ。それとも、らばるも脳に何か埋め込む? 三日ほどかかるけど」


「いや、そういう意味じゃない。俺は大学で言語学を専攻してるんだよ。だから、宇宙の色んな言葉とか、もっと知りたいなって思って」


ティマが電子ペーパーと専用のペンを持ってきて、文字の一覧を書き始めた。デザインは単純で、全ての文字が一、二画ほど。


「これは、表音文字ってことで良いのか?」


「うん。全部で25文字あって、母音が5字と子音が18字、半母音が2文字だよ」


文字をそのまま書き写しても、読者には覚えにくいだろうから、地球の英語のアルファベットを使った転写法を用いる。


母音

a i u e o の五つ。uは日本語の「ウ」ではなく、口をすぼめる英語のuだ。


子音

P B T D k g ch j F V s z sh H m n ng L


半母音

w y


chは「チャ」行、shは「シャ」行の音だ。日本語同様「ジャ」と「ヂャ」は発音上区別しないため、jで統一した。nは場所によって「ナ」行の子音になったり、Kingのngの音になったりする。それからfやvだが、下唇は噛まずに、上唇と下唇の隙間から息を出す。英語のfやvではなく、日本語の「ファ」行の音と、それを濁らせたものと思って欲しい。


中でも、特に留意すべき音は大文字で表記することにした。


まずはH。これは英語のHや日本語な「ハ」行のような声門音ではなく、軟口蓋摩擦音、すなわちドイツ語で「バッハ」と言うときの「ハ」だ。喉の奥を息で擦って発音する。


次にLだが、これは英語のlに近いが、舌先を歯茎の裏に近づけるだけで、声帯を震わせない。代わりに息を出して舌先と歯茎のあたりを摩擦する。要は濁らないlの音である。「カレンビア」の「レ」や「ブリカ・シマーラ」の「リ」や「ラ」がこの音を含む。ちなみに、ファバラ語でも日本語の「ラ」行に聞こえる音は一つしかなく、英語のlとrのような区別はない。


TやDの発音も日本語や英語とは異なる。歯茎裏ではなく、硬口蓋(口内の上部裏側)に舌を反らせて発音するのだ。「ティマ」の「ティ」がこの音を含む。


とりわけユニークなのが破裂音のPとBで、日本語や英語のように上唇と下唇で閉鎖を作るのではなく、舌先と上唇で閉鎖を作るのだ。この音は「カレンビア」の「ビ」や「ブリカ・シマーラ」の「ブ」に含まれる。舌の短い日本人にはかなり発音しづらい。


「Tima De noa kaLemBia, Tima De noa kaLemBia, Tima Denoa ka LemBia・・・」


やはりBの発音が難しく、顎が疲れる。


「次は、簡単な文ね」


ティマは、紙にファバラ語の文字を書くと、ペンでなぞりながら、口で日本語もといヒュングルカ語の翻訳を発する。


Ben Tima kaLemBia Le. ma oofen kaLembia Le.


「私はティマ=カレンビアです。彼はオーフェン・カレンビアです。」


続いてオーフェンも。


Ben ofen kaLembia Le. ma Tima kaLemBia Le.


ティマの解説によれば、Ben が「私」で、me が「彼または彼女」、Leが英語のbe動詞のようなものらしい。語順は「主語 - 動詞(述語) - 補語または目的語」ではなく「主語 - 補語または目的語 - 動詞」。 「彼」と「彼女」の区別がないのは、現実世界で性別を持たない文化なのだから必然といったところか。しっかし、何度も出てくるBの発音がうっとおしい。


「次はこの文」


Mak TeLeBe Lam.


Mak noiBa Loz.


「上が『これはペンです』。下が『これは紙です』」


「恐らく、『ペン』が TeLeBe で『紙』が noiBa なんだろうけど、最後が Le じゃないのは何故だ? 人かモノかの区別? いや、それだと『紙』と『ペン』で違う理由にはならないよな。


「これは男性名詞と女性名詞の違いだよ。Le は主語が男性名詞だとLamに、女性名詞だとLozに変化するんだよ。今回みたいに主語が『これ』『それ』『あれ』の場合には、補語で決まるんだけどね」


「この星では、現実の人間の名前や現実の人間を指し示す単語は中性名詞になるんですが、モノや動物、架空のキャラクターは男性名詞や女性名詞に区別されるんです。それで、どんな名詞かによって動詞や目的語が変化します。いわゆる屈折語ってやつです」


なるほど、フランス語やドイツ語のように名詞に性別があるのか。しかし、人が無性でモノが有性とは、地球の諸言語とは対象的だ。


「じゃあ、次は動詞の文だよ」


Ben Toame Boane.


naBeka Toamena Boanam.


mozLa Toamet Boanoz.


PoPLa Toamena Boanoz.


「一番上が『私はお菓子を食べる』、二番目が『鳥はお菓子を食べる』、三番目が『馬はお菓子を食べる』、一番下が『犬はお菓子を食べる』だよ。動物の名前は、多分だけど、ファバラのそれに一番近い、地球の動物に訳されてると思う。Toameが『お菓子』で、Boaneが『食べる』。」


なるほど。Ben(「私」)は中性名詞だから動詞も名詞も原形のまま。naBeka(「鳥」)は男性名詞だから、動詞の語尾が -am 、目的語の語尾が -na と活用する。MozLa (「馬」)は女性名詞だから動詞の語尾が -oz 目的語の語尾が - et 。しかし、一番下は何だ? 動詞が -oz で終わってるから女性名詞かと思いきや、目的語は -na で終わってる。


「これも、女性名詞・・・でいいのかな?」


「ああ。これは〈男の娘名詞〉だよ。こんなに可愛い名詞が女の子なわけないじゃん。らばる、まだまだだね」


何じゃそれ。


続いてこんな文章。


voHa Toamena Boanam.


「これは『猫がお菓子を食べる』だよ。らばる。今まで覚えた単語と組み合わせて、何か文を作ってみて」


俺はティマからペンを受け取り、文章を書く。Boane の語尾が -am に変化してるから、voHa(「猫」)は男性名詞だ。目的語のnaBeka(「鳥」)を -na に変化させて・・・


voHa naBekana Boanam.


「どうだ? 『猫が鳥を食べる』」



「らばる、残念。naBeka は〈責め名詞〉だから目的語にはなれないし、voHa は〈受け名詞〉だから主語にはなれないんだよ。こういう時は倒置法を使うか、〈リバ名詞〉の kofo や jovko を使わないと」


こんな理不尽な文法の言語始めてみたぞ。いや「英語の三単現のs」とかフランス語やドイツ語の名詞の性別、日本語の書き順なんかも何の為にあるんだと言われればその通りだが、ここまで複雑な文法で会話が成り立つのか不思議だ。つーか、せめて「猫」が〈責め名詞〉で「鳥」が〈受け名詞〉にしてくれないか。


「だって、強そうな方が案外『受け』って方が萌えるじゃん。そもそも『猫』なんだから『受け』なのは当然だし。ちなみに、他の〈受け名詞〉には、『牛』を表す noBasa とか『国家』を表す kooza とか『宇宙船』を表す voHeL とか案外強そうなものが多いんだよ」


「いや違いますよ。voHeL は〈責め名詞〉に決まってます!!」


「違うって。voHeLはどう考えたって『受け』だって。オーフェンは voHeL のこと何も分かってない!!」


なんか、すごい剣幕と言い争いが始まったんだが。つーか、何で語学の話してたのに、カップリング論争に発展してんだよ。


「ちなみに女性名詞も色々あって、『馬』を表す mozLa は〈金髪ツインテールお嬢様名詞〉だから男性名詞の目的語にはなれない。『星』を表す kojTa は〈男勝りな幼なじみ名詞〉だから、原則動詞は主語が男性名詞の時の活用をするけど、目的語が『私』の時だけは女性名詞の活用をする。それから 『椅子』を表す BoHmoLTe は〈世界の宿命を背負いし隻眼の聖なる少女名詞〉で・・・」


とりあえず、俺はこの言語を習得するのは諦めた。

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