第5話 異星の言語学 その1


「で、ティマ・・・だったけ? あんたは一体何なんだ? 何で俺を助けた?」


「ウチの惑星ファバラがある〈テルヴォール系連邦〉は、〈汎宇宙連邦〉とある事柄で対立しているんだ。場所は地球から見た『宇宙の地平線』の外。光が地球に届かない領域だよ。らばるを助けたのは、トンチンカンな理由で同胞を逮捕する人達が許せなかったから」


宇宙船の中では、さっきの輪っか型機械は外している。うっかり変なことを想像してしまうと、大惨事になりかねないからだ。とくに、「変なこと考えてはいけない」と考えている時はまずい。シロクマ効果というやつだ。


「そうだよな。いくら何でも馬鹿馬鹿しいよな。脳内で計算される女の子の人権を守れだなんて」


「そうそう。仮想空間上のAIが心を持つってのは、意識は特定の計算のパターンだっていう『計算主義』の考え方なのにね。数学の世界じゃ、人間が計算したから結果が生まれるわけじゃない。1+1は、人間が計算しなくても2だし、円周率は元から大体3.14だった」


えっ・・・ また何か話がおかしな方向に行ってないか?


「ウチらの星系では、『計算』っていうのは、この宇宙にすでに存在している結果を『知る』ことに過ぎないってのが常識なんだ。円周率やネイピア数とおんなじで、拷問されるイシキちゃんの計算パターンも、最初っからこの宇宙に存在していたんだよ。エロゲーをやったらばるの脳は、その情報パターンを『生み出した』んじゃなくって、ただその情報パターンを『知った』か、『繋がった』だけ」


こいつら、こんなことばっかり考えてんのか。


「でも、それなら、宇宙に存在しないパターンのエロゲーを作ったらどうなるんだ?」


「それは不可能だよ。だって、計算可能なありとあらゆる情報パターンは、すべて実在しているもん。ウチらはこれを〈宇宙究極集合説〉って読んでる。地球だと、『数学的宇宙仮説』なんて呼ばれ方してたっけ。ウチやらばるの意識は、その無数の計算パターンの一つを経験しているだけなんだよ」


この〈宇宙究極集合説〉は、〈テルヴォール系連邦〉でもまだ証明されるには至ってないらしい。しかし、彼女はその一つの根拠として、ある思考実験を話してくれた。意識のある人工知能を時間的、空間的にバラバラにして計算するというものだったが、説明すると長くなるので割合する。


ちなみに、〈宇宙究極合集説〉では、〈壱の目揃えファンブル・メイカー〉で移動できるような量子的並行宇宙、すなわち今俺達が「現実」と呼んでいる世界の物理法則の確率内で存在する宇宙とは異なり、それがコンピューター・シミュレーションで再現可能なものであれば、文字通りありとあらゆる世界が存在するそうだ。聖書の記述通りの宇宙やサンタクロースが実在する宇宙、『指輪物語』の世界や『ハリー・ポッター』の魔法界、今地球で放送しているアニメと全く同じ宇宙から、何も無い六角形の宇宙に至るまで。量子力学のエヴェレット解釈が正しい世界も、その〈究極集合宇宙〉の一つに過ぎない。


「ああーっ!! この船、推進力全然足りないじゃん。これじゃファバラまで行けない。ごめん、らばる。ちょっと、寄り道するね」


ティマがそう言って着陸したのは、森林に覆われた原始的な星だった。奇妙にねじくれた樹木に、苔のむした地面。時たま見かける民家は藁葺き屋根の原始的なもので、古代にタイムスリップでもしたかのよう。


「ここは、一体何て星なんだ?」


「レモンジャーネ。アプー達が住んでいる、のどかな田舎の星だよ」


「えっ? アプーって?」


「ウチらホムスとは別の知的生物」


ティマによれば、少なくとも彼女の知る限り、この宇宙(並行宇宙は含めない)には約300種類の知的生命体がいるらしい。うち、ホムスとコンタクトができるのは60種類ほど。残りは、脳の構造上意識があるとされているものの、思考パターンがホムスとはひどくかけ離れており、意志疎通は不可能とのことだ。


「アプーって、安全なのか?」


「うん、この上なく人畜無害な存在だよ。黄色くって、ふわふわしてて、とっても可愛いよ。でも、一つ困ったことがあるんだ」


「何だ? 地球人・・・じゃくてホムスをひどく怖がるとか?」


「違うよ。困ったことっていうのは、言語の問題」


ティマが言うには、今までの俺とティマの会話は、彼女に埋め込まれた〈宇宙翻訳機トランスレイター〉により翻訳されたものだったらしい。地球の言語は宇宙の様々な言語をそのまま流用しており、日本語はヒュングルカ語という辺境の星の言語が基で、セントレアの人間にもファバラの人間にも通じないそうだ。


俺の言葉は、ティマの脳に入るとファバラの言葉に翻訳される。一方、彼女がファバラ語を発しようとすると、脳内で機械が処理し、ヒュングルカ語すなわち日本語に変換して発音される。一方、そのヒュングルカ語を受けとった第三者も、それぞれ〈宇宙翻訳機トランスレイター〉を内蔵していれば、脳内でそれぞれ理解可能な言語に変換できる。だから、俺は何も装着していなくとも、みんなと意志疎通ができた。


「アプー達は、故郷の星を離れるのを非常に嫌がるんだ。だから、宇宙でもここにしか住んでいなくって、〈宇宙翻訳機トランスレイター〉のデータベースに彼らの言葉が載ってないの。以前来たときは、アプー語の通訳がいたんだけど、困ったなぁ。」


「他に行けそうな星はないのか?」


「〈汎宇宙連邦〉の領域下にない有人惑星で、レモンジャーネに一番近いのはトメートデスヨ。それでも約12万光年も離れてる。ここら辺の星はみんな奴らの支配下だからね。そもそも〈宣誓ドライブ〉じゃ、タイムパラドックスが酷くなるような遠距離は航行不可能で、せいぜい数光年が限度だってこと忘れてた。てへへ」


わざとらしく後頭を掻く紫髪の美少女。普通にかわいい。


「でも、アプーはみんな優しいから、身ぶり手振りで伝えればなんとかなると思うよ。新しい宇宙船の代金になりそうなものなら、ウチ、一杯持ってるし」


森の中を歩いていくと、向こうからもふもふとした巨体が歩いてきた。三人。身長は俺達の約三倍ほどあり、横幅も大きい。黄色の毛がふさふさで、『ひらけ!ポンキッキ』のムックとヒヨコを足して二で割ったような感じだ。ちなみに野性的な見た目とは裏腹に、衣服を着る文化はあるらしく、みんな巨大な青いブリーフを履いている。目はホントただの黒い点が二つで、頬のあたりの系が薄桃がかっている。一応耳と鼻と口らしき器官もある。


「ヤアヤア、ミナサーン。シツレシシマース。コレ、ウッテル、シラナーイ?」


なぜか母星語を片言にして(俺は片言のニュアンスを反映した翻訳を聞いている)、喋るティマ。身ぶりで丸を作ったり、四角を作ったりしているが、とても「宇宙船が欲しい」という意味が伝わるとは思えない。ここは、言語学専攻の俺の腕の見せどころだ。


「なぁ、ティマ? 何か書くもん持ってないか?」


「えっ? これならあるけど」


ティマは折り畳んだ白い紙を、制服のポケットから取り出した。指でなぞると字や絵をかくことができ、息を吹きかけると消える電子ペーパーらしい。俺は、黒い線をぐちゃぐちゃに描き、アプー達に見せた。


「モグョ・モナ?」


とアプーは言った。


次に宇宙船の絵を精一杯努力して描き、それを指さす。今度は俺が、


「モグョ・モナ?」


アプーの返答は、


「パルジャ」


よし、アプー語で「宇宙船」は「パルジャ」だ。


これは金田一京助という人がアイヌ語を研究する際に使った手法だ。最初の黒いぐちゃぐちゃは、相手に「何これ?」と言わせることが目的なのだ。現地語で「何これ?」という言葉が分かれば、あとは絵や周囲の物を指さして、物の名前を聞いていけばよい。


次に、俺とティマが物を交換する真似をしながら、「モグョ・モナ?」と言う。


「モナ・テルテカ」


「モナ」はおそらく「これ」と言う意味だろうから、「テルテカ」が「買う」あるいは「交換する」の意味だろう。


「パルジャ・テルテカ。テルテカ・パルジャ」


すると、三人のアプーのうちの一人が、元来た道の方に向きを変え、巨大なトウモロコシのような腕をゆっくりと伸ばした。首だけで俺達の方を一度振り返ると、ゆっくりと歩き始めた。案内してくれるという意味なのだろうか。


俺とティマは、三人のアプーと一緒に、森を進んでいった。


道中、俺は周囲のものを片っ端から指さして、アプー語での名前を尋ねた。特に必要があるわけでもなかったが、言語学専攻としては、異星人の言語を学ぶ貴重な機会を逃すわけにはいかない。


まずは木。


「モグョ・モナ?」


「タンマ」


次は、家。


「モグョ・モナ」


「マーマ」


空を飛ぶ鳥のような生物。


「マシヤ」


次に俺自身。


「タンマ」


ティマ。


「タンマ」


おい、これどういうことだ? なぜ木と人間が同じ単語なんだ? 同音異義語なのか、それともホムスには聞き分けられない音素の違いがあるのか。


次に身体の部位。


俺の目


「ティルタ」


俺の耳


「ティルタ」


俺の鼻


「キンモリ」


俺の口


「ティルタ」


俺の腕


「ティルタ」


俺の足


「ティルタ」


アプーの目


「ティルタ」


アプーの耳


「ティルタ」


アプーの鼻


「ティルタ」


アプーの口


「ティルタ」


アプーの腕


「ティルタ」


アプーの脚


「キンモリ」


何じゃこれ。身体の部位は全て「ティルタ」。目と耳の区別はもちろん、目や耳と腕の区別さえもない。なのにホムスの鼻だけ「キンモリ」。しかもアプーの身体については鼻は「ティルタ」で脚が「キンモリ」。


日本人は「水」と「湯」を区別するが、アメリカ人は「water」で統一してるようなものなのだろうか? 異星人の思考回路。恐るべし。


俺が一通り身体の部位を指さし終えると、アプーのうちの一人が、徐にブリーフを降ろし始めた。おい、ちょっと何してるんだ? ホムスの文化じゃそれはタブーだぜ。


「モグョ・モナ」


アプーが指さした先には、立派な黒いもじゃもじゃがあった。地球人と同じような、陰毛。


しかし、「モグョ・モナ」って?


なぜそれの名前が知りたいんだ。地球語で「インモウ」とでも答えれば良いのだろうか。


・・・って、まさか。「モグョ・モナ」って「陰毛」の意味なのか!? 俺は最初に「陰毛」の絵を描いたと思われて、アプーはそれを見てアプー語で「陰毛」と言っていたのか!? 俺は周囲の物や自分の身体の部位を指さして、「陰毛」と言いまくっていたってのか!?


相手が地球人なら相当恥ずかしい思いをしていたとこだが、アプー達には陰毛や陰部はタブーではないらしく、ブリーフを履いているのもどうやら別の理由があるらしい。(その後案内されたスペースシップ・ショップに陰部丸出しのアプーがいたことによる判断)


アプー達は、俺の言った「陰毛」が、「何これ?」という意味であるというのは理解していたようで、宇宙船は無事入手することができた。非言語的コミュニケーションの偉大さを改めて思い知った事件だった。


「じゃっ、とりあえず、ウチらの星に行ってみよっか」


ティマはアプーの店主から買った新機体のメンテナンスをしながら、元気に言った。

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