Calling You #1



「私はすぐ気づいたよ。べつに言うことでもないと思ったから、ケリーにも報告してないけど」


 由来を悟った興奮をすぐにでも伝えたくて、退勤後すぐにJ-16へ向かった。威勢よく扉を開けたら、レミーとロッカが談笑していた。

入店するなり「J-16って」と息巻く俺に、ふたりはきょとんとする。


「小原さん、声デカい」

「えっ、今まで気付かなかったの?」

「もう感づいているものとばかり」

 女子ふたりは口々に言い「ねえ?」と顔を見合わせ、わざとらしく首をかしげる。はしゃいでいる俺がバカみたいだ……と思いかけていたところ、ジョージさんが割って入る。


「お嬢さん方、私のお客様をいじめないでください」

 マスターの威厳を放つ彼を前にしては、こまっしゃくれ娘も閉口するほかない。ジョージさんがふふん、というかんじで口角を持ち上げる。知っちゃいたがカッコイイ。

 席はじゅうぶん空いていたが、ロッカの隣に座っていたレミーがすっと横の席に移動し、俺に真ん中に来るよう無言で促す。

 それとほぼ同時に、まだ何も注文していないのにジョージさんからソルティドッグが差し出される。まるで常連のようだ。


「座席番号なのはともかく、どうして他でもないこの番号に?」

 深い理由は知らないらしいレミーがたずねる。たしかに気になる、と俺も頷く。ジョージさんは腕を組み、苦い表情でうなった。

「もう時効じゃない?」

 白い腕で頬杖をつき、ジョージさんを見上げるロッカはやたらと大人びている。


「ロッカちゃんが言うなら、そうかもしれないな」

 ジョージさんは観念したように腕をほどき、カウンターの縁に手を置く。それらしい物語がはじまる予感があった。


「私は生まれも育ちもこの町で、おかげで生粋の映画小僧になってしまいましてね。戦後に乱立した映画館が衰えを見せず、映画を観に来る人々で賑わってて。私が小学生の頃には『テレビが一般家庭に普及したことで、映画館の客が減った』などと雑誌で業界人が嘆いていたけれど、華汀はそんなことを微塵も感じさせませんでした」


 低く、柔らかい声でお話が紡がれていく。

「しかし、観客の減少がビデオやレンタル屋のせいにされはじめてから風向きが怪しくなってきた。一概にそれらのせいにはできないし、時代の流れ、というやつでしょうね」

 真剣に耳を傾ける俺とレミーの横で、ロッカは目をふせていた。耳を澄ませているようにも、寝入りばなに何度も聞いた話に身を任せるようにも見えた。


「老舗の封切館や二番館はどんどん潰れていって。そんな中でも、キネマ華汀は町のシンボルとして営まれ続けた。必然的に映画ファンのたまり場になって……それも名画座であるせいか、クセのある奴ばかりが集まって。ちょっとした同好会みたいなものだったよ。上映が終わったら顔見知り連中がロビーに集まって、興奮して批評家ぶった感想を言い合っていると、馨さんが出てきて『今日はもう閉館よ、帰りなさい』って言うんだけど」


 ジョージさんはグラスにウィスキーを注いで口をつけた。「ごめんなさい」と苦笑する。彼が酒を飲むのをはじめて見た。

「いつの間にか彼女も私たちの議論に加わっているんだ。男衆に混じって紅一点、快活に意見する。すてきだった。馨さんは母親ほどの年齢だったけれど、彼女には憧れたよ。みんなそうだった。こういう時だけが、いつまでも続けばいいと思ったものだよ」

 “こういう時”が、いつの時代の華汀にも在るのだろうか。


「歳を重ねるにつれて、映画館で顔を合わせる連中も減っていった。左舷駅の近くにはシネコンができた。それでも私は通い続けて、もう私も四十路手前だったかな。キネマ華汀の存続が危ういという噂が流れ出した。ロッカちゃんがこんなちっちゃい時だ」

 ジョージさんが親指と人差し指の間に、数センチの空間を示す。「もうちょっと大きかったわ」とロッカ。


「キネマ華汀が無くなるなんて、悲しいに決まってる。けれど私も、分別のある大人になってしまったんだ。ひとりで頑張り続ける馨さんの姿を見ながら、もう無理だ、って思った。その『もう無理だ』の気配がより一層色濃く、間近に迫ってきた頃だよ」

 グラスの中身をぐいっと飲み干し、いつもの笑顔を浮かべてジョージさんが言い放つ。


「盗んだんだ、座席のナンバープレート。J-16」

俺とレミーの「ええっ?」という声が重なる。

「存続が危ぶまれる中、私にできることは映画を観に行くことだけで、別れを惜しむように通ったんだ。そんなある日、二本立てを観終えて、劇場をぼんやり眺めて、ああ、ここに本当に来られなくなるのか……と感傷に浸っていたら、目の端に怪しい人物がうつった。よく見たら、ねじ回しでナンバープレートを座席から剥がしてるんだよ」

ジョージさんはドライバーをつかうジェスチャーをする。


「彼は商店街の組合のおじさんだった。直接の面識は無かったけれど、劇場で見かけたことのある顔だった。向こうにとっても私はそういう奴だったようで、彼のほうから話しかけてきた。曰く、中丸ホールディングスが強硬手段に出るという噂を耳にしたそうだ。居ても立ってもいられなくなり、この映画館が在ったという痕跡を手中に残したくなったらしい。『女学生が卒業式で先輩の第二ボタンをねだるのと一緒だ』とか言ってた。むちゃくちゃだよなあ」


「それで、共犯者に?」

 たずねると、ジョージさんは「そんなところです」と肩をすくめた。

「私も彼も、いろんな言い訳を正当化したんだ。彼が差し出してきたねじ回しを手にとって、プレートの両脇に留められたねじを外して、J-16をポケットに忍ばせた。べつにこの番号に思い入れはないんだ、たまたまその日にそこに座っていただけで」

 彼はまたウィスキーを一口やり、息をつく。


「それから間もなく、おじさんの予言は的中した。土地は正式に中丸のものになった。奇しくも、ナンバープレートを盗んだ日が、華汀キネマ最後の入館になったんだ」

「はあ……」だの「ほお……」だの、言葉にならない感想を口にする俺たちに、ジョージさんはやはりにこにこしている。


「窃盗だし器物損壊だよ。大人のすることじゃない」

「どっちみち取り壊される運命にあったし、おばあちゃんだって聞いたら許してくれるわ」

 ロッカの口ぶりは、まるでジョージさんの姉のようだった。

「あなたがそう言うなら」

 ジョージさんも、まるで弟のように見えた。




「えー、改めて共有しますが、昨日、社長が視察にいらっしゃいました」

 朝礼にて、支配人が幾分か畏まった調子で言った。

 俺は前日、非番だったのだが、バイト時代に視察に来た社長を何度か見かけたことがある。お付きの役人を従えて、富と権威を豊満な肉体に蓄えたおじさんがのしのし歩いていた。


「全体的に問題はない、よくやってくれている、とお褒めの言葉を頂きました」

 それとない安堵が社員一同にもたらされる。

「しかし、マリンモールはすでに真新しい商業施設とは言えなくなり、話題性も薄れた今、漫然としていては近隣の競合他社に出し抜かれかねない、とも仰いました。映画館としての差別化を図れないかと。そこで」


 静まり返った事務所に「いやまあ、まさかこうくるとは思わなかったんだけど」と、調子を一転、支配人はいつもの呑気な声を出す。

「我々に、中丸シネマズ華汀独自の企画を発案してほしいそうです。現場の空気を熟知している人間にしか、思いつかないことがあるだろうと。詳細のメールが本社から届いているので、皆さんにも転送します。各自確認するように」


 朝礼を終え、各々の業務に戻りつつ、誰からともなく「企画かあ」という呟きが聞こえる。

「なに、華汀限定! カステラ味のポップコーン! とかそういうこと?」

「それはないっしょ」

「えー、じゃあ、麻婆豆腐味のポップコーンにしよ。中華街近いし」

「ご当地ポップコーンで客増えるか?」

「チャイナドレス着用で来館の人、観賞料金千円」


 くだらない案が飛び交う中、みんなと同じような何気なさで、俺は思いつきを口にした。

「フィルム映写機、使えるんじゃないですか」

 少しの間、沈黙があった。「ああ」「たしかに」という声がみんなから漏れ、微妙に風向きが変わる。


「アレ、宝の持ち腐れってかんじで、勿体ないよね」

「イイじゃん。よみがえる名画座時代! みたいな」

 賛同の空気に乗せられるまま、さらに調子づいてしまう。

「そう、それですよ。二本立てプログラムを組んで上映したらいい。毎日というわけにはいかなくても、通常興行の合間を縫って定期的に」

「ソレ、いいと思う。冗談とかじゃなくてほんとうに」

 シンプルな言葉でありつつ、その場のノリ的な盛り上がりを諫めるトーンでレミーが言う。


 支配人ものほほんとした口調ではあったが、力強く頷いた。

「うん、冗談抜きにいいアイディアだ。ケリー君、もうちょっと具体的かつ現実的に考えて企画書出して。月末までに。夏休みの宿題だよ」


 マジでか。

 思いつきで言ってしまっただけなのだ。けれど、みんなもう「小原がやるっしょ」と思っていることだろうし、考えざるを得ない。スカスカの企画書を出してボツ、責任を逃れるという手もある。しかし、内心で高揚しているのもまた事実であり……。


 事務作業をこなしつつ、フィルムを借りることになったら何を上映しよう、という妄想を早くも展開していた。

「お疲れ様。なんかごめんね、軽いノリで持ち上げちゃって」

 先輩のひとりが声をかけてきた。

「ああ、いえ。まだ決まったわけじゃないし、考える分には楽しいので」

「そう? じゃあ任せるよ。それにしても」先輩は俺の耳に口を寄せ、ひそひそ声で言った。


「支配人もふわふわしすぎっていうか、能天気っていうか、もうちょっとビシッとしてほしいよね。社長命令を部下に投げっぱなしかっつうの」

 適当に笑って受け流すも、先輩はさらに続ける。

「支配人、とっくに五十も過ぎてるだろうにまだ支配人なの、やっぱりぼんやりしてるからだと思うんだよね。本社でそれなりの役職についてるはずの歳じゃない? まあ、彼の人生だからいいけど」

 言われてみれば、たしかに。


 年功序列で考えれば、本社でエラい立場にいてもいいはずだ。先輩の物言いはキツいが、たしかに支配人はマイペースなたぬきおじさんの風体である。

 そういえば以前、ワインまみれ事件の際、彼はロッカの存在を知っている口ぶりだったが……。




 いつになっても、夏の終わりが名残惜しいのは何故だろう。

 マリンモールのサマーバーゲンは苛烈を極め、花火大会の日は浴衣姿で映画館に来る人も多く見かけた。

 煙草屋のカウンターに置かれた、陶器製のブタの蚊取り線香入れ。ビニールバッグを自転車の前カゴに乗せ、髪の毛が生乾きのまま自転車で通りすがる小学生の群れ。日差しと蝉の鳴き声の中、そういう風景が行き過ぎるのを見送った。


 ある昼休み、コンビニへ向かう道すがら。

 いつものように屋根裏の窓を見上げると、ロッカも窓からこちらを見おろしていた。俺を待ち構えていたらしく、目が合った瞬間、彼女が声を張る。

「ねえ、かき氷食べに行かない?」

「かき氷?」突然の提案に素っ頓狂な声で聞き返し、映画館出入口の時計を振り返り「あと45分」と叫んだ。今しがた上映が終わり、正面口からぞろぞろ出てきたお客さんたちが俺たちをチラ見していく。制服を着ていなくてよかった。


 ロッカは返事を聞くや否や、1分経つか経たないかのうちに降りてくる。

 ラベンダー色のワンピースにレースのカーディガンを羽織り、薄化粧をしていた。先日窓辺で見かけた寝起き姿とは違う、よそゆきの装いである。

「これから外出?」

「うん、お買い物に。でも、啓吏くんがそろそろお昼休みかなと思って、見てたの」

「ああ、そうなんだ」

 ニヤニヤしてしまうのをおさえ、素っ気なさすぎずハイテンションすぎないトーンを意識する。我ながらまだまだである。

「あっ、お昼ごはん、かき氷になっちゃうよね?」

「そんなにお腹空いてないから大丈夫。朝がっつり食べたし」

 嘘だ。バナナしか食べてない。


 商店街のはしっこに居を構えるたい焼き屋の軒先に、かき氷の機械が出ていた。夏場に焼きたてのたい焼きを頬張る人は、なかなかいないのだろう。

 特設かき氷コーナーのシロップ一覧表を眺めていると、大将と呼ぶのが似合う、日焼けしたつるっパゲのおっちゃんが店内から出てきた。景気づけなのかクセなのか、ぱちんと手を叩いて「ラッシャイ」と言う。


 さんざん迷った挙句「カルピスひとつ」と注文したのに続き、あろうことかロッカは「全部乗せください」とドバイの石油王も膝から崩れ落ちる、ゴージャスなオーダーをやってのけた。

「反則だろ! ずるい!」

 例に漏れず小五男児のごとく叫ぶ。ロッカと大将がメニューの一番下に油性ペンで書かれた「シロップはいくつでもかけられます」の文言を指した。

「いや、カルピスでお願いします」


 慣れた手つきで氷を削り出し、シロップをかける機微に見入る。「お待ちどう」とペンギンのイラストが入ったカップを手渡されて、年季の入った木製ベンチに座った。

 かき氷なんていつぶりだろう。また懐かしい気持ちになりながら、スプーンストローで口に運ぶ。暑さの中だと一際さわやかで、ありがたい。

 真っ白なカルピス味とは対照的に、ロッカのやつはカラフルだった。


「これはどう見てもイチゴでしょ、メロン、レモン、オレンジ、ブルーハワイ、ブドウ、これは……桃? あと抹茶」

「カルピスは?」

「ここが白いわ、たぶん……うん、これだわ。もう味がよくわからなくなってきちゃった」

 楽しげにしている彼女を見ていたら、今更ながら不思議な感慨を抱き、ひとりで笑ってしまう。


「なに?」

「いや、ワインぶっかけてきた奴と並んでかき氷食べてんの、ヘンだなと思って」

「喫茶店に行ったし、海辺を歩いたし、映画も観に行ったわ」

 今日だって、このままデートに行きたいぐらいだ。


「買い物はどこに?」

「左舷の駅ビル」

「えっ、駅ビルなんて行くの?」

「そんなにびっくりする? 行くわよ、お気に入りのお洋服のブランドもあるし、いいにおいの石鹸屋さんもあるし」

「この辺りのレトロでアナログな世界だけで生きてるイメージが強くて」

 ショックを受けた。好きな子に対して、押しつけがましい妄想を抱いている自分に。べつに、そうあってほしい、という願望ではない……はずだ。


「じゃあ、今度はレトロでアナログじゃないデートをする?」

「レトロでアナログじゃないデートって何?」

「あなたが訊くの? そうねえ」

 半ば溶けてきたかき氷を混ぜ、レトロでアナログじゃないデートを思い浮かべるため、ロッカは宙に目をやる。


「水族館はどう? シーサイドタワーの展望台にのぼるとか。あのあたりはハワイで人気のパンケーキ屋さんもあるわ、女の子たちで長蛇の列らしいけど」

 なんかそういう、みんながやってるデートはロッカに似合わないな……などというのも押しつけがましい。でろでろのかき氷をストローで吸いつつ、言葉も一緒に飲み込んだ、のだが。


「私にそういうデート、似合わないなって思ったでしょ」

 漫画みたいに大袈裟にむせる。ロッカは顎を持ち上げて目を細め、こしゃくな表情をつくった。

「大丈夫よ。私、啓吏くんとだったら、どこで何をしてもきっと楽しいもの」

 屈託なく、歯が浮きそうな台詞を口にする。決してあざとさを狙ったわけではなく、さらりと言ってしまえるのだからとんでもない。


 俺たちの前を横切っていく大学生の集団があった。5、6人でわちゃわちゃ言いながら通り過ぎていくのを見送ろうとしたところで、そのうちの何人かがおれを見て「あっ」と言った。そして全員が振り返り「ケリーさん!」と叫ぶ。

 ロッカに視線だけで「ちょっとごめん」と示す。


「えー! お久しぶりです! 全然変わんないっすね!」

「おう。悪かったな、変わり映えのしないつまらん男で」

「そこまで言ってないですう」

 以前勤めていた、首都圏の劇場のバイトの子達だ。茶番もそこそこに話を聞けば、日帰り観光がてら左舷に来て、折角だからサプライズ的に華汀の劇場に訪れて俺とレミーを驚かせたかったらしい。非番だったらどうするつもりだったんだ。かわいいな。


 ひとりひとりと軽い挨拶がわりの会話を交わすうち、この町に流れるものとはまた別の懐かしさにあてられてしまった。まだ半年も経っていないというのに、前の職場から断絶されたような気分になっていた。それなのに、向こうから会いに来てくれたんだから嬉しくなってしまうだろう。


「ケリーさん、ウチに戻って来て下さいよ」

 ひとりがそう口にすると、みんなが同調しはじめる。無理を言っているのは分かっているが、お世辞ではない……という雰囲気だった。

「俺だって、できることなら戻りたいよ」

 身体のどこにもつかえず、そんな言葉が出てきた。返礼と本音が半々、建前が少々。


「ねえ」不意にロッカが遠慮がちに声をかけてくる。

「私、もう行くね。あなたもそろそろ時間でしょう?」

たしかに、そろそろだ。

「ああ、また今度……」

 言い終えぬうちに、ロッカは颯爽と立ち去って行った。その姿に、言い知れず後ろ髪を引かれるものがあったが、みんなに押し流されるまま職場へ戻った。




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時には映画のように 小町紗良 @srxxxgrgr

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