鴉の心、斯く乱る 弐
黙っていれば声をかけるのを
一方で、彼女の父は、
さて、そんな紅緒の
「あぁ、そういえば俺も用事があったのだった」
ぽん、と手を打った
すでに部屋には他に人影はなく、形ばかりの見張り役の
「えっ、待っ」
「すぐに戻るから、待っておいで」
そう言い残して、
まさか、ここで
「氷雨殿は
気を取り直して尋ねたが、
「ああ、そうだ。氷雨殿の
「それに、
「…………」
「それにしても最近は
「…………」
「そういえば、
「……紅緒」
「
「紅緒」
「んん? 確かここに入れたはずなのですが」
「何か怒っているのか」
「なにゆえ、そう、お思いに」
「……少しだが、
少々、
「いや、抜かりました」
やけにあっけらかんとした口調と表情で言い放った彼女を、氷雨はゆっくりと
「確かに私は怒っております。ずっと何に怒っているのかわからぬままだったのですが、今よくよく考えれば自分に怒っているようです。
薄く笑いながら、淡々とそこまで話すと、一度言葉を切った。
今や色を失いつつある
「……まぁそのようなわけで、氷雨殿のおっしゃるように、自分に腹を立てておりました。いつもはこのようなことはありませぬが、今日は少し立て込んだせいか
後で謝りましょう、と
「そういえば、紅緒が怒っているところをあまり見たことが無いように思う。お前は思いを
静かな声音でそう問われ、紅緒は床に視線を落としたまま、取り
「氷雨殿の前ではどんな悪事も隠し立てできる気がしませぬ。ちょっと父に似ているせいか」
「…………」
正直、父親と重ねられるのは少し、
「申し訳ない、
しかし、何も変わることはなかったし、更に状況が悪くなることすらあった。そうやって
「それで思ったのです。それならば自らの思いのままに生きた方がよいと。そして、自分のことを受け入れてくれる場所だけを大切に拾って生きようと。しかし、全てを思うとおりに表に出して生きることが正しいとも思っておりませぬ。故に、怒りだけは押し隠すことが、私が人として生きるための
深く
「どうです、
すでに陽は完全に落ち、ちらちらと揺れる頼りなげな灯火が、目尻で微笑んだ翡翠色の瞳を
やがて、氷雨は
「
「は?」
予想外な言葉に、盛大に間の抜けた返事をしてから、
首を
「怒らないと決めているなら、何故、巳珂様には八つ当たりをする」
「え、それは、私が自らへの怒りを上手く片付けることが出来ぬ
「違う」
氷雨の常より少し強い声に、紅緒はわずかに目を
「氷雨殿、今、怒っていらっしゃるのです」
か、と最後の一音を発する前に氷雨が紅緒の袖を引き留めるように
「俺の問いは、
紅緒は様子のおかしい
「あ、ああ、それは恐らく、巳珂が私のことを愛してくれているからではないかと。おかしな話だと思われるでしょうが、そのように昔、約束したので。
情けない、と
「俺は怒ってはいない。……一応言っておくが、お前を蔑んでいないし、夜道で背後から殺そうとも、捕まえて
いつか聞いたようなことを言ってから言葉を切り、一瞬
「
巳珂様に、とぼそりと付け加えて、それきり黙ってしまった氷雨を前に、紅緒もまた
じじ、と
たっぷり十数えるあいだ固まっていた紅緒は、やっとのことで我に返ると恐る恐る口を開いた。
「氷雨殿、氷雨殿、私が先ほどお
「?」
「いや、ですから、私のことを
紅緒は言いさして、口を
「困った方ですね。どこでそのような口説き方を覚えてきたのですか」
細い指先がゆっくりと氷雨の乱れた前髪を
「氷雨殿に多くの友が出来ればと思うておりましたが、何やらそれが
うっすらと悪い笑みを
「ねぇえええ、もおぉお、良いかなぁあ? 俺様いるんですけどぉ?」
「あ、しろちゃん、お戻りで」と、にこにこしながら
「
「んんん!?」
お前なんで行かせたんだとか、普通の
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