13 残されたサンドイッチ

 朝食を作りながら、ふとルウンは考える。あれは一体、なんだったのかと――。

 トーマに旅の再開を告げられ、悲しみに泣き疲れてそのまま眠ってしまったルウンは、夜になってから一度目を覚ました。そのあと再び寝室に戻ったルウンの耳に、しばらくして微かな物音が聞こえたのだ。

 すでに微睡みの中にあったルウンは、睡魔に負けて確かめに行くことはしなかったが、その音は忍ばせるような足音に似ていた。


「足音……泥棒?」


 盗られて困るようなものといえば、地下に貯めている食料くらい。もちろんそれは起きて最初に見に行って、異常がないことを確認している。

 そうなるとあとは、可能性としては一つだけ。

 ルウンはチラリと屋根裏へ続く階段に視線を送ったが、すぐに逸らしてそれ以上考えるのをやめた。


「……寝ぼけてた。だから、気のせい」


 そう、気のせい――そういうことにして、ルウンは作りかけの朝食に意識を戻す。

 トーマに贈りたくて、伝えたくて、ずっと探しているものは、今もまだ見つかっていない。

 きっととても簡単なことのはずなのに、それが分からないことがモヤモヤする。

 それでも、当たり前に朝はやってきて、当然のようにお腹は空く。

 厚めに切って軽くトーストしたパンに、レタスとハムとトマトとチーズを挟んで作ったオープンサンド。スープはコンソメ。バターで炒めた薄切りタマネギを入れて、粉末のチーズをたっぷり振ったら完成。

 出来上がった朝食をテーブルに運ぶと、視界の端に白い物が映った。

 テーブルの端の方、寝室に近い方の位置に置いてあるそれは、一枚の紙。

 寝室からキッチンに向かう時は、屋根裏ばかり気にしていて気づかなかったが、よく見ればそこには何かが書いてある。

 見覚えのあるトーマの文字のようだが、そのミミズがのたくったような文字は、ルウンにはさっぱり読めない。

 両手に持っていた朝食の皿を一旦置いて、今一度手に取ってじっくりと眺める。

 それでもやっぱり読めないものは読めないのだが、途端にルウンの中に言い知れぬ不安がこみ上げた。

 手にした紙から階段へ、その上にある屋根裏を見据えるように視線を移し、ルウンは階段を駆け上がる。

 久しぶりの屋根裏はもうすっかりトーマの匂いが染み付いていて、鼻から息を吸い込めば日向の匂いがした。

 しかしそこに、トーマの姿はない。

 綺麗に整えられたベッドに近づいてシーツに触れれば、ひんやりとした冷たさが手の平に伝わってくる。

 ぐるりと部屋を見渡したルウンは、再び階段を駆け下りた。

 テーブルの上には朝食が並んでいる、けれどトーマはいない。キッチンも、地下も、寝室も、家中を見て回ったけれど、トーマの姿も彼の荷物もどこにもない。

 ハッとして窓の向こうに視線を移し、すぐさま外に飛び出した。

 ついこの間まで空を覆っていた灰色の雲が、白い雲に押しのけられるようにして流れていく。

 雨は遠のいた。もう間もなく、太陽が最も輝く季節がやって来る。

 別れの時は確かに迫っていたけれど、それはこんなにも唐突にやって来るはずではなかった。

 畑も鶏小屋も、変わりなくそこにある。けれど、トーマの姿だけがどこにもない。

 来た道を駆け戻っていたルウンの耳に、ふと懐かしい鳴き声が届いた。

 視線を向ければ、木々が鬱蒼と生い茂る森が見える。

 トーマがやってきたのはその森の向こうで、森を抜ければ村があり、更に進めば町がある。町まで出れば、中心地たる街まで連れて行ってくれる乗り物も多くある事くらいは、知識としてルウンも知っていた。

 知ってはいるが、実際に行ったことはない。

 買い物はいつも村までやって来る行商人からしていて、その向こうの町、更に向こうの中心地たる街は、ルウンにとっては未知の場所だった。

 どこに行ったかも分からないトーマを探して、見知らぬ景色の中をあてもなく歩き続ける自分の姿を想像して、ルウンは諦めに似たため息を一つ零す。

 きっと行ったら最後、自分は帰り道を見失う。

 世界を知らなすぎるちっぽけな少女が踏み込むには、中心地たる街は大きすぎる。

 そこを目指して多くの人が集まり、多くの物も集まり、活気づいたその場所に、慣れない者は飲み込まれる。

 トボトボと来た道を戻るルウンの上で、鳥達がおやつを強請るように鳴いていた。

 けれど今のルウンには、それに応える余裕はない。


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