10 隠れた気持ちとホットワイン

 未だベッドの上で絶対安静を言いつけたルウンの代わりに、トーマは地下の食料貯蔵部屋を見に来ていた。

 壁際の棚には、ジャムに砂糖漬けに塩漬けにピクルスと、保存が効くように加工されたものが瓶詰めにされて並べられ、燻製された肉や魚も置いてある。

 綺麗に整頓されていてもどこか雑多な雰囲気があるその部屋をぐるりと見渡して、何も異常がないのを確認しつつ、風邪に効きそうなものが置かれていないかもチェックしていく。


「やっぱり肉かな……。こういう時こそ、ガッツリの肉でパワーを――」


 ゴツっとつま先に何かが当たる感覚に、トーマは踏み出した足を一旦戻して視線を落とす。

 足元には、瓶が一本転がっていた。


「……やばい。割れてないかな」


 急いで瓶を掴みあげて、ぐるぐる回して無事を確認する。

 幸いヒビの一つも入っていないようで安心したトーマは、ちょうど自分の方を向いていたラベルを見てしばらく動きを止めた。


「これって……」


 ぶどうとワイングラスが描かれたラベルには、トーマも見覚えがあった。

 中身はほとんど減っていないが、確かに開けた痕跡があったので、トーマは瓶の口に鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。

 嗅ぎすぎるとクラっときてしまいそうな、発酵されたぶどうの香り。


「やっぱり、ぶどう酒か」


 なぜそれが無造作に床に置かれているのかはこの際置いておいて、トーマは瓶を見つめる瞳に力を宿す。


「これがあれば……」


 現状を打開してくれるかもしれない見つけものに、トーマはすぐさま踵を返して階段を上る。

 地下から上がってくると、ビックリするほど部屋が温かく感じたが、それに浸る暇もなくトーマは寝室へと急いだ。


「ルン、入るよ。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


 一声かけてから寝室を覗くと、ルウンがもぞもぞとベッドに身を起こすところだった。


「ああ、大丈夫だから。横になっていて」


 足早に近づいて再び横になるよう促すと、トーマは早速地下から持ってきた瓶をルウンに見せる。


「地下はね、特に異常なかったよ。それで、いいものを見つけたから持ってきたんだけど、これ使ってもいい?」


“これ”と示された瓶に、とりあえずルウンは頷き返す。

 ラベルが微妙に明後日の方向を向いていて中身が判別できないが、トーマに使われたら困るものなどこの家にはない。


「ありがとう。これで、凄くいいものを作ってくるよ」


 先ほど苦労して朝ご飯を食べたばかりなのに、と思ったら、自然とルウンの顔が嫌そうに歪んだ。それを見て、トーマは苦笑する。


「大丈夫。飲み物だから、食欲がなくてもいけると思うよ」


 今はお腹がいっぱいなので飲み物だって欲しくはなかったが、ひとまずルウンは頷いて見せる。

 それを確認して寝室を出ていこうとしたトーマは、直前で思い出したように振り返った。


「しばらくキッチンにいるけど、その前に何かしてほしいことはある?」


 考えるように少しの間を空けてから、ルウンは首を横に振った。


「何かあったら、遠慮なく呼んでね」


 今度はコクりと頷いたルウンを寝室に残して、トーマはキッチンへ向かう。

 調理台にぶどう酒の瓶を置いてから腕まくりすると、よしっ!と気合をいれがてら顔を上げる。

 調理台の上には作り付けの棚があって、茶葉やスパイス、調味料などが並んでいた。

 綺麗なその並びをなるべく崩さないように気をつけながら、トーマは指先で瓶をかき分ける。


「えっと……ブラックペッパーにローリエ、あとは……クローブか」


 パッと見では何が入っているのか分からないような瓶は静かに避けて、目当てのものを見つけ出しては次々と調理台に並べていく。


「シナモン……は、これかな。あと、ショウガに……そうだ!オレンジ」


 オレンジがスパイス類に紛れているわけもないので、トーマはキッチンをあちこち探し回る。


「地下にあったかな……」


 先ほど見に行ったばかりの地下の光景を思い起こしてみるが、加工品は数多く置いてあっても、フレッシュな果物を見た覚えはない。

 ルウンに聞きに行こうかと思ったところで、トーマの目にあるものが止まった。


「……オレンジがなかったらレモンでもいいって、あの人確か言っていたな」


 トーマは吸い寄せられるように近づいて、目に止まった瓶を掴み上げる。


「これでもいけるかな……」


 たっぷりのハチミツの中で揺れる薄切りのレモンを眺めながら、トーマはポツリと呟いた。

 頭の中には、かつて旅の途中で出会った、流れの料理人だと自称する若い男の姿が浮かぶ。

 その時不意に、後ろでカタンと微かな音がした。

 途端に過去から現在へと戻ってきたトーマが振り返ると、いたずらを見つけられた子供のように、ビクッと肩を揺らして縮こまるルウンの姿が目に映る。


「ルン……!」


 驚いて名前を呼んだ声が咎められているように聞こえたのか、ルウンの肩がまたビクッと揺れた。


「ご、めん、なさい……。気になった、から。ちょっとだけ……見たら、またすぐ戻ろうって。あの、だから……」


 ゴニョゴニョと尻すぼみに小さくなるルウンの声と、それに比例するように体を縮こめる姿に、トーマは驚いたとは言え大きな声を出してしまったことを悔やんだ。


「ちょっとビックリしただけだから。全然、怒ってないよ」

「ごめん、なさい……」


 もう一度、消え入りそうな声で謝るルウンに、トーマは今度こそ笑って首を横に振った。


「ルンは何も悪くないんだから、謝らなくていいんだよ。それより、起き上がっても平気なの?」


 コクっと頷いたルウンに近づいて行って手を伸ばすと、その額にそっと手の平を当てる。


「熱はまだあるみたいだけど、本当に平気?」


 おずおずと頷き返したルウンに、トーマは額に当てていた手を引いて笑って見せた。


「そっか。ずっと寝ているのもつまらないもんね。そこの椅子に座って待っていて。もうすぐ、いいものが出来上がるから。あっでも、具合が悪くなったらすぐに言ってね」


 キッチンの隣にある部屋の椅子を指差すと、途端にルウンの表情が華やぐ。

 嬉しそうに頷いてパタパタと駆けていく背中に、トーマは慌てて声をかけた。


「走っちゃダメだよ、ルン。まだ治ったわけじゃないんだか――っ!」


 危惧した通り、不意にふらりと傾いたルウンの体に、トーマは慌てて駆け出した。

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