魔法使いにとっての密やかな安らぎ、穏やかな日々にも、やがて終わりの足音が近づいてくる。

なぜってそれはね、二人の生きる時間が違うからなんだ。

普通の人と違って、体内に不思議な力を宿して生まれてくる魔法使い達は、その力のおかげで長命だった。人にしてみれば、永遠にも思えるような長い長い時間を生きていたんだ。

もちろん彼も例に漏れず、特に強い力を持っていたが為に、他の魔法使い達と比べてもより長命だった。

少女が大人の女性になっても、魔法使いは出会った頃とほとんど見た目が変わらない。どんなに強い力を持っていても、時間だけはどうすることもできないんだ。

それでも少女は、すっかり大人の女性に成長しても、変わらず森に通い続けた。だから魔法使いも、変わらず鳥になって彼女を出口まで導いたんだ。

この穏やかな日々が、できるだけ長く続くことを願いながら。

けれど、どんなに魔法使いが願おうと、時間は刻一刻と過ぎて行く。魔法使いの時間は嫌になるほどゆっくりと、しかし彼女の時間は驚く程に速く。

それでも彼女は変わらずに森へと足を運び、やって来た鳥に出口へと導かれ、“ありがとう。またね”と去って行くんだ。

魔法使いは、この日々を失いたくなかった。

でも、彼女がただの人であることを変えられないように、彼が魔法使いでなくなることもできない。

彼女の優しさに触れるうち、一人ぼっちの寂しさを知ってしまった魔法使いは、その優しさに触れられなくなるのが怖くなっていったんだ。

一人ぼっちに戻るのが、どうしようもなく怖かった。

やがて彼女も妙齢の女性になって、一人で森までやってくることができなくなったんだ。

それを知った魔法使いは、変わらず鳥に姿を変えて、今度は自分が彼女の元を訪れた。

人目につかない夜更け、月光を背にして、鳥になった魔法使いは彼女の元へと飛ぶ。

もう一緒に歩くことができなくなると、彼女はよく喋るようになった。一緒にいる時間を、他愛ないお喋りで埋めたんだ。

魔法使いは変わらず、返事をすることも相槌を打つこともなかったけど、それでも彼女の話をしっかりと聞いていた。

これまでと形は変わってしまったけど、変わらない穏やかな日々は、魔法使いの安らぎだったんだ。

そんなある日、森の奥の自分の家で、魔法使いは妙な胸騒ぎを覚えた。それは、心臓が嫌な音を立てるような悪い予感。

魔法使いの予感はよく当たるから、彼の中に言い知れぬ不安が芽生えた。

でも、人目の多い昼間に出歩くことはできない。だから魔法使いは、悪い予感を抱えながら、ひたすらに夜を待ったんだ。

そしてようやく、待ちわびた夜更け。

鳥に姿を変えるのももどかしく、そのまま空に舞い上がった魔法使いは、月光を背にして彼女の元に飛んだ。

けれどその日、彼女の部屋の窓は開いていなかった。

いつも魔法使いを迎え入れるように開かれている窓が、今日はぴったりと閉じられていたんだ。

膨れ上がる不安の中、魔法使いは魔法でそっと窓を開けた。静まり返った部屋の中に、人の気配は全くしない。

すっかり夜の闇に沈んだ家のどこにも、彼女の姿はなかったんだ――。



「……トウマ?」


明らかに途中でピタッと話すのをやめたトーマに、ルウンは疑問符をいっぱいに浮かべた視線を向ける。

その視線の先でトーマは、ほんの少し意地悪な笑みを浮かべていた。


「今日はね、ここまでだよ」


ルウンの目が、驚きで見開かれる。

ここでようやくトーマは、お話を始める前に密かに胸に秘めておいたことを告げた。


「続きは明日また、ご飯の後でね」


途端にルウンの表情が変わる。

トーマが密かに考えていた作戦は、ルウンにとって大変好ましくなかったことがその表情から窺えた。

それでも、ここは譲れない。全ては、一日でも早くルウンに元気になってもらうため。

不機嫌そうに膨れるルウンに苦笑しつつ、トーマはお盆を手に立ち上がった。


「それじゃあ、僕はこれを片付けてくるよ。あっ、何か欲しいものはある?」


むっつりと膨れたまま、それでも首を横に振ったルウンは、不機嫌そうな表情のままにトーマを見やる。


「……戻って、くる?」


頷かないわけには、いかなかった。


「片付け終わったらすぐにね」


見送る視線を背中に感じながら、トーマは寝室をあとにする。相変わらず、心臓が強く早いリズムで脈打っていた。

作る手際は悪くとも、片付けとなればまた違うトーマは、手早く後片付けを終えて寝室に戻る。

ルウンが眠っているようだったらそのまま入らずにおこうと、出入口から顔を出して覗いて見ると、ジッと見つめる青みがかった銀色の瞳と目が合った。

目が合ってしまったからには無視するわけにもいかず、トーマは僅かに苦笑して寝室へと足を踏み入れる。

その瞬間、ルウンの表情が嬉しそうに緩んだ。

そんなに嬉しそうな顔をされてしまったら、抑えられなくなってしまう。

これくらいならいいかな、と遠慮がちに伸ばした手で、トーマはルウンの頭をそっと撫でた。


「おやすみ、ルン」


熱で潤み、いつもの何倍も輝いて見える瞳が、やはりとても綺麗だと思った。神秘的なその色が、星屑を散りばめたような輝きが、トーマの心を惹きつける。

トーマの胸の内も、そこで密かに繰り広げられている葛藤も、知る由もないルウンは、撫でられる感触に浸るように目を閉じた。

温かい手の平が、何度も何度も、優しく頭を撫でていく。心地よくて、安心して、次第に眠たくなってくる。

それを見計らったかのように、また優しい声音で“おやすみ”と声が聞こえた。

眠るルウンの頭を撫で続けながら、トーマは小さく息を吐く。

白銀の髪の上を、自分の手の平が滑っていた。何度も、何度も、触れすぎないように、細心の注意を払って優しく。

その手が、いつの間にか頬に伸びていた。

触れそうになって驚いて、慌てて手を引っ込める。そしてまた、ため息を一つついた。

悩ましげな、ため息を――――。

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