「えっと、鍋、鍋は……っと、あった」


ルウンからのオーダーであるスープを作るため、トーマはまず見つけ出した大きめの鍋に水と野菜をどっさり入れて火にかける。


「あの女将さんのスープ、味は確かなんだけど作り方が豪快なんだよな」


以前お世話になった宿屋の女将から教えて貰ったスープは、まずはたっぷりの野菜を豪快に水と一緒に火にかけることから始まる。

そうやって取った野菜の出汁から、様々なスープに派生させていくのが女将のやり方だった。

子供なら余裕で入れるくらいの大きな寸胴鍋に、手当たり次第に野菜をぶち込んでいく様は、未だもって忘れられない。そのあと、沸くまでの長い長い時間、鍋の番をさせられたことも。


「おっ、きたきた」


けれど今回は、それほど大きな鍋でもないので、ぼんやりと昔を思い出している間にふつふつと沸き始める。


「あっつ!あつっ!」


鍋の中から苦労してタマネギとジャガイモを取り出すと、できるだけ小さめに切っていく。

教えてくれた女将はこれまた豪快に、適当にぶつ切りにした野菜を具としていたが、今回はルウンの食欲のなさも考慮して小さめに。


「先に切っておけばよかった……あっつ!」


手際があまりよくないことについては、女将からも手厳しく指摘されたことだが、こればかりはどうしようもない。

切った野菜を片手鍋に入れ、そこにスープを注いでミルクも加える。ひと煮立ちさせて塩と胡椒で味を整えたら、器に盛って完成。


「うん。まあ……いいと思う。女将にはどやされそうだけど」


手際と見た目を置いておけば、味はそこそこ。二人分の器とスプーンをお盆に載せて、トーマはそうっと寝室に向かう。


「お待たせ」


声をかけながら寝室に入ると、ぼうっと天井を見上げていたルウンの視線が動いた。


「……いい匂い、した」


それだけでなんだか嬉しくなって、思わずトーマの頬が緩む。


「起きられる?」


返事の代わりに、ルウンはゆっくりと体を起こした。


「大丈夫?ふらふらしない?」


コクっと小さく頷いたルウンは、トーマが手にしているお盆を興味深げに見つめる。


「あんまり期待しないでね」


トーマは、苦笑しながらそっとルウンの膝にお盆を載せた。


「熱いから気をつけて。あと……美味しくなかったら、無理して食べなくていいからね」


味見はしたので、そこそこのものであることは間違いないのだが、どこか期待に満ちたルウンの瞳を前に自信がなくなっていく。

お盆から自分の分の器とスプーンを取って丸椅子に腰を下ろしたトーマは、ゆっくりとスープをかき混ぜているルウンの様子を窺う。

掬い取ったスープにふーっと息を吹きかけて口に運ぶ。その一連の動作を、ドキドキしながら見守った。


「……どう?食べられそうかな」


飲み込んだところを見計らって問いかけると、ルウンはコクっと頷いた。それから、視線をトーマに合わせ、はにかむように笑ってみせる。


「凄く、美味しい」


その瞬間トーマの心臓が、大きく音を立てて脈打った。


「あっ、えっと……よかった。うん、……凄く、よかった」


視線を逸らし、ドキまぎしながら返事するトーマに、ルウンは不思議そうに首を傾げる。

自分でも自覚のあるおかしな態度を誤魔化すように、トーマはぐるぐるとスープをかき回してから、勢いよく器を空にした。

あまりの勢いに、見ていたルウンが驚きに目を見開く。

スープが喉を通っていく瞬間、あまりの熱さにトーマも目を見開いたが、今更どうしようもないので気合で飲み下す。

野菜と水を鍋にブチ込むだけだから、どんなバカでも作れると女将が豪語した通り、出汁にはちゃんと野菜の旨みが出ているし、ミルクの自然な甘みも相まってとても優しいお味に仕上がっている。

けれどトーマは、ルウンの笑顔に平常心が保てなくなり、味を堪能する余裕もなかった。

口内のヒリヒリするような痛みを必死に隠して、ひとまずトーマは、驚いたように自分を見つめているルウンに笑いかける。


「トウマ……顔、赤い?」

「えっ、そう?急いでスープ飲んだからかな」


言い方が妙に白々しくなってしまったが、ルウンは特に気に留めた様子もなく、むしろ納得したように頷いた。

スプーンで掬う量はほんの少しだが、そのほんの少しをルウンは何度も口に運ぶ。

二人の間に流れる穏やかな無言の時間が、次第にトーマに平常心を取り戻させる。


「無理しなくていいからね。食べられる分だけ食べてくれたらいいよ」


ゆっくりと頷いたルウンは、また少しスープを掬って口に運ぶ。食欲はなくとも、スープならば食べやすかった。

ゆっくり、ゆっくり食事を進めるルウンを、トーマは黙って見守る。

本当は、美味しい?と問いかけて、答える時のあの笑顔をもう一度見たかったのだが、そこはグッと堪える。

トーマがそんな風に自分の心を必死で押さえ込んでいる間に、ルウンの器はほとんど空になりつつあった。


「おかわり、あるよ」


気がついて声をかけたトーマに、ルウンは首を横に振って器をお盆に戻す。そしてすぐさま、期待に満ちた眼差しをトーマに向けた。


「分かっているよ。ほら、まずは横になって」


苦笑しながら促すと、ルウンは素直に従った。

その間にトーマは、お盆に自分の器も載せて一旦棚に置く。本当は先に片付けてしまいたいところだったが、期待に満ちた眼差しのルウンは、それを許してくれそうにない。


「えっと、昨日の続きからでいいんだよね」


ルウンはコクっと頷いて、「今日は、寝ない」と意気込んだ。その姿が微笑ましくて、トーマはついクスッと笑みを零す。

この時トーマには密かに考えていたことがあったのだが、楽しみにしているルウンを前に、今はまだ伏せておくことにした。


「じゃあ、昨日の続きからだね」


ルウンが嬉しそうにコクっと頷いたところで、トーマは改まったように口を開く――。

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