転がるようにして家の中に飛び込んだ二人は、共に、上から下までぐっしょりと濡れていた。


「ルン、すぐに着替えないと。あっ、でもまずはタオルで拭いて。いや、いっそ熱めのシャワーを浴びてきたほうがいいかな……」


 考え込んでいるトーマの脇をすり抜けて、ルウンはタオルを取りに行く。

 一枚をトーマに渡して、もう一枚は広げて無造作に頭に被せると、そのまま両手でわしわしと豪快に拭いていく。


「……ねえルン、もう少し丁寧に拭いたほうがいいんじゃないかな」


 ルウンがタオルを外すと、ぼさっと乱れた髪の先から雫が滴り落ちる。

 それをトーマに見咎められ、ルウンは仕方なくもう一度タオルを頭から被った。


「やっぱり、シャワーを浴びてきたほうがいいんじゃない?体、冷えたでしょ」

「トウマも、同じ」

「僕?僕はほら、慣れているから」


 ふるふると首を横に振ったルウンは、シャワーでも着替えでもなく、真っ先にキッチンへと向かう。


「ルン、せめて先に着替えたほうが」


 コクっと頷き返しはしたものの、ルウンはヤカンに水を入れて火にかける。

 よし、次は……と振り返ったところで、キッチンと隣の部屋との境目辺りに立っていたトーマが、呆れているような怒っているような、何とも言えない表情で自分を見ていることに気がついた。


「僕がルンと同じ女の子だったなら、無理にでも着替えさせることができたんだけどね。生憎と僕は男なんだ」


 トーマがその言葉に込めた真意は分からないけれど、とにかく早く着替えて欲しいという気持ちはルウンにも伝わった。


「火は僕が見ているから、大丈夫だよ」


 ちょっぴり怖いような笑顔に見送られて、ルウンは急いでキッチンを出て着替えに向かう。

 意識がそちらに向いた途端、背筋を這い上がるような寒気に体が震えた。

 いつもなら濡れてもすぐにシャワーか着替えをするところ、今回はお茶の準備を優先してしまった為、どうやら体が冷えてしまったよう。

 急いで寝室に向かったルウンは、手早く着替えを取り出すと、濡れた服を脱いで体を拭き、新しい物を身につけていく。

 熱めのシャワーを浴びて体を温めるのが一番いいことは自分でもよく分かっているが、そうしている間にトーマの体が冷え切ってしまうことが心配だった。

 それならば温かいお茶を用意して、二人一緒に体を中から温めた方がずっといい。

 そう思って優先したお茶の準備だったが、その間にすっかり自分の体が冷えてしまったのは予想外だった。

 着替えをしながら頭の中にキッチンの映像を思い浮かべ、作業台の上に作りつけられた棚に並ぶ瓶の記憶をなぞっていく。

 体が温まるものと言ったら、あそこには何があっただろう――。

 時間をかければどんなものでも作れるが、今はできるだけかける時間は短く済ませたかった。

 自分の体がこれだけ冷えているということは、当然トーマも同じであるはずだから。

 こみ上げたくしゃみをくしゅんと零してから、条件反射でぐすっと鼻を啜ったルウンは、濡れた服とタオルを手に寝室を出る。

 全部まとめて洗濯カゴに放り込んだら、雨のせいで回転率が落ちていることもあり、今にもカゴから溢れそうになってしまった。

 下着類は寝室に、それ以外のトーマに見られても構わないものは、紐を渡してまるでカーテンのように部屋中に干しているのだが、乾かないものは取り込めないので、新しい干場もない。

 困り顔でしばらく洗濯カゴを見下ろしていたルウンは、ひとまずその問題は先送りにすることにして、キッチンに向かった。

 ひょこっと顔を出すと、気がついたトーマがすかさず


「ルン、さっきくしゃみしてなかった?大丈夫?」


 なんと耳がいいことかと驚きながらも、ルウンはコクりと頷き返す。


「ここ、火のおかげで温かいよ」


 ちょいちょいと手招きされて近づけば、確かにとっても温かい。


「僕も着替えてくるね。すぐに戻ってくるけど、何かあったらすぐに呼んで。あと、お湯はもう少しかな」


 コクっと頷いて見送ると、トーマはキッチンを出て屋根裏への階段を上っていく。

 真っ直ぐにベッドに向かって、枕元に置いてあるバッグを引き寄せると、中から今身につけているものと何ら変わりない色とデザインの着替えを一式取り出す。

 軽くて丈夫で肌触りもいいことから、旅人になる前、まだ故郷にいた頃からのお気に入りの品だった。

 濡れたものを脱いで体をよく拭いたあとに、新しい服を身につける。

 それから、窓を開けて脱いだ服を雑巾のように絞ると、パンパンと広げて、ルウンから借りた紐で作った即席の物干しにかけた。

 乾くのに時間がかかるだろうことは、一階のルウンの洗濯物を見れば一目瞭然だが、これでも旅人。多少の湿り気ならば我慢もできる。


「着ているうちに乾くしね」


 着替えはひと組しか持ち歩いていないので、そうやって無理やりにでも回すしかない。

 でも、そういう不便なところも含めて旅人で、トーマという人間は、それすらも楽しんでいる節があった。


「さて、そろそろ行くか。万が一何かあっても、ルンは呼んでくれないし」


 何か困り事があったとき、どんな些細なことでも、ちょっと名前を呼んでくれればすぐにでも駆けつけるのに、ルウンは決してトーマを呼びはしない。

 長く一人でいたことが理由でもあるのだろうし、自分は所詮、長い雨宿りをさせてもらっているだけの旅人であることも理由だろうとは予測できる。

 それでも、呼んで欲しいと願ってしまうのは――


「僕の、エゴなんだろうな……」


 バッグを枕元に戻してから階段を下りていくと、とぽとぽと聞き慣れた音が聞こえてくる。

 それに、なんだかいい香りも漂ってきていた。

 ちょっぴり沈みかけていたトーマの心が、その聞き慣れた音といい香りで、途端に上昇し始める。

 その音は最近のトーマにとって、楽しい時間の始まりを告げる音であった。

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