相変わらずの雨の中、トーマはルウンと共に朝食作りに勤しんだあと、使い終わった食器を洗って片付け、ルウンの寝室以外の一階部分を掃除して、地下の食料貯蔵用の部屋の確認まで行っていた。

 その間に、トーマが気になったことを色々と質問し、ルウンがそれにポツリポツリと答える。


「なるほど。あれだけ涼しいと、夏場でも食べ物が腐りにくくていいね。でも生ものはやっぱり置いておけないから、保存が効くように加工するわけか。買い物はいつもどこまで行くの?」

「ここまで、行商人さん、来てくれる……」

「へえー、行商さんはよくここに家があるって分かるね」

「……近くの村の人、ここにも家あるって、伝えてくれる」


 その近くの村とは、トーマがこの洋館に辿り着くにあたって通ってきた村であろうと予測できたが、その村の人達は森の奥に一人きりで暮らす銀色の少女についてどう思っているのかが気になった。

 いつか聞きに行こうと、トーマは密かに目論む。


「そうなんだ。僕もね、たまに行商さんにお世話になっているよ。旅の途中で出会った時なんかに」


 自分の店は持たずに、あっちこっちと歩き回って商売をする行商人達は、町まで行く足のない村人達や、トーマのような旅人に重宝されている。

 それに、決まったルートで回る人が多いので、前もって欲しい物を頼んでおけば、次に来るときに仕入れてきてくれるのだ。


「行商さんは、気のいい人が多いよね」


 コクっと頷き返したルウンは、しばらくしてから思い出したようにトーマを振り返る。

 ん?と首を傾げるその顔を、ルウンは大層不満げに見つめた。

 トーマからあれこれと質問を受けるたびに頭の隅に追いやられて忘れていたが、ふとした拍子に思い出す、どうしようもない不満。


「ルンは、了承してくれたんじゃなかった?」


 そう言って笑みを浮かべるトーマには、ルウンの中にくすぶっている不満などお見通しだった。

 なにせ、予想通りだから。


「いいんだよこれで。僕は、ルンが普段どんなことをしているのか知りたかったんだから。ルンはちゃんと僕のお願いを叶えてくれている。これってつまり、充分お詫びだよ」


 屁理屈だなんてことは自分が一番よく分かっているから、ルウンがどうにも納得いかなそうな顔をしているのも頷ける。

 でも、トーマにはこれで充分なのだから仕方がない。


「中の用事は一通り終わったって言ったよね。どうする?雨が止むまで待ってから外に行く?」


 トーマの視線が窓の方に動いて、話題も変わってしまったので、ルウンも諦めて視線を移す。

 止むのを待つのは、一種の賭けだ。

 それにこの時期の雨は、止んだとしてもまたすぐに降り出す。

 窓をジッと見据えながら、ルウンは屋根を叩く雨音に耳を澄ます。

 行くならば今だ、という気がした。


「ん?もしかして行くの?」


 振り返ってコクりと頷いたルウンは、再び窓の向こう、降り続ける雨を見据える。

 びしょ濡れ必須の雨の中、この家に傘はなく、あるのはレインコートが一人分。

 トーマはどうやってもついてくるのだろうし、きっと渡してもレインコートは着てくれないとくれば、ルウンとしても自分だけ着る訳にはいかなかった。


「……走る」


 決意を込めて呟くと、ルウンはキッチンから空のカゴを一つ持ってくる。

 確認するように見上げれば、トーマは笑顔で頷いた。


「もちろん、一緒に行くよ。旅人は濡れるのに慣れているんだ」


 なんでか楽しそうに笑っているトーマを後ろに従えて、ルウンは扉を開ける。

 窓が水滴だらけだったため家の中からは判別しづらかったが、屋根を叩く音を聞いた限り、今現在降っている雨はそれほど勢いが強くはない。

 ルウンの予想通り、外は柔らかい霧雨だった。


「なるほど。ルンには、ちゃんと分かっていたわけか。流石だね」


 勢いは弱くとも雨は雨。それに、空は相変わらずどんよりと重たく曇っていて、いつ天候が変わってもおかしくはない。

 ルウンがカゴの持ち手をギュッと握って隣を見ると、意図を察したトーマが頷き返す。


「急ごう。濡れるのには慣れているけど、できるだけ濡れないに越したことはないからね」


 ルウンはコクりと頷いて、前方を数秒見据えてから、雨の中に駆け出していく。

 トーマもすかさず、そのあとに続いた。

 服を着たままシャワーを浴びているような気持ち悪さの中、ルウンまず畑に足を向ける。

 水やりは当然必要ないので、することといえば頃合の野菜を収穫するだけ。

 雨季に向け、水を大量に含んでも根っこが腐りにくい種類を植えていたのでどれもまだピンピンしているけれど、太陽が滅多に顔を出さない分育ちは悪い。

 ルウンの邪魔にならないよう、この時のトーマは畑の外から見ているだけ。

 この雨の中、自分のせいでルウンの作業を滞らせてはいけないという分別は、好奇心の塊であるトーマでも持ち合わせていた。

 雨でぬかるんだ土や濡れた葉っぱですっかり服を汚して戻って来たルウンにトーマが何か言葉をかけるより先に、少女の足は次なる目的地へと向かう。

 こちらは屋根が付いているので、ルウンに誘われるままトーマも中へ。

 二人で入ればちょっと狭いくらいの小屋の中で、突然やって来た見知らぬ男に、鶏達が落ち着かなげに騒ぎ立てる。

 そんな中、トーマは卵の回収を買って出て、その間にルウンは掃除を済ませて餌をまいた。


「これで終わり?」


 小屋を出ながらコクっと頷いたルウンに、トーマは「じゃあ急いで戻ろう」と促す。

 先程から、空が不機嫌そうにゴロゴロ鳴っている。


「ルンは、戻ったらすぐに着替えたほうがいいね。そのままだと、風邪を引くよ」


 気遣わしげなトーマの言葉に、ルウンが視線を下ろしてみると、絞れば水が滴りそうな程に、スカートがぐっしょりと濡れていた。


「急ごう。多分そろそろ、強くなる」


 トーマの言葉通り、霧雨はいつしかその勢いを強め、もう霧とは呼べない程になってきていた。


「靴底が濡れて滑りやすいから、転ばないように気をつけて」


 既に転びそうになって慌てて体制を立て直したところであるルウンは、カゴの持ち手をギュッと握り直して走り出す。

 その後ろを、トーマも必死になって走った。

 そんな二人をあざ笑うかのように、意地の悪い雨はその勢いを強める。

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