最終話 end & start ~エピローグという名のプロローグ

 10年後――。


 その年月に、周囲の社会は目まぐるしく変化したが、その女性は少女の頃と変わらぬまま、目覚まし時計を止めては、眠りに落ち続けていた。


「こら‼ 華、あんた、今日から学校でしょ‼ いい加減起きないと、遅刻よ⁉

 いつまで、学生気分でいるの⁉

 早く、起きなさい‼ 」

 やがて、部屋に襲来してきた母親によってその安眠は撃退される。


「も~、あと5分~。学校までは走れば、10分だから~」

 母親は、包まる掛布団をはぎ取るとピチピチと間抜けな音を挙げながら華の頬をぶつ。

「いだ~い、おか~さん暴力はんた~い」

 だが、眼は醒めた様だ。彼女は立ち上がると大きく背を伸ばした。


「朝ごはん、用意してるから。さっさと降りて食べなさい」


「は~い」

 気の入っていない返事を返すと、華は小学生の頃から使用している勉強机に置いてあった用紙を取り上げる。


「ふふ、昨夜遅くまで掛かったけど、ちゃんと言う事を考えたんだもんね‼ 」



「それじゃ、いってきま~す」

 母親は、そんな危なっかしい成人した我が娘を見送る。

「全く、子どもの頃は大人しい真面目な子だったのに……なんで、あんなお調子者になったんだろうねぇ……でも……」

 そうして、頬に手を当てて難しい事を考える様な表情を浮かべた。


「あの子が、まさかねぇ……」




「おはよう‼ 」

 華は、凄まじい勢いで走りながら追い抜く生徒達に次々と軽快な挨拶を送る。

 が、それを受けた生徒達は皆けったいな表情で彼女を見るだけ。返事など無いし、華の方も言うだけでもう次の瞬間には離れた場所に駆け回っている。


「なんだ、あれ? 」生徒達は困惑する一方だ。



 桜の花びらが風に舞うその日は、4月2日。

 今日は、この来道市立山の守中学校、入学式だ。


 新たに生活の主を中学校に変え、希望に胸を膨らませる生徒。


 しかし、時代の流れか。

 リフォームされた体育館は、10年前よりとても綺麗になっていたが、元々小さかったのを更に縮小させた造りに変更されていた。

 そこに集められる新入生と在校生達。

 全員を舞台袖で眺めながら、寂しい数になったものだと華は溜息を吐いた。


「……という流れで……

 天塚先生? 聞いていますか? 」

 進行役の女性教頭が、式の進行説明を中断して華に火の出そうな睨みを浴びせる。


「ええ‼ 無論ですとも‼ 」

 華は、自信満々意気揚々と、ない胸を叩く。


「頼もしい限りです。

 では新任紹介の一番手は天塚先生にお願いしますよ? 」


 華はもう一度鼻を高くして、ない胸を叩く。

「いいですとも‼ 」


 教頭はぴくぴくと眼鏡の奥の眼輪筋を動かすと「それはそれは」と吐き捨て離れていく。


「あ、天塚先生、本当に大丈夫なんですか? 」

 同期の安藤が心配そうにそう耳元で囁くが。

「大丈夫大丈夫。昨晩12時まで考えた台詞のカンペが……カンペ……が……」

 華の顔がどんどんと蒼くなり、身体をまさぐる両手がどういう動きをしているのかも定かではない程に加速していく。


「……やばい、鞄の中だ……」


「ど、どうするんですか⁉ もう、入学式終わっちゃいますよ‼ 」

 そんなこんなしている内に。

「では、これにて第○○年度、来道市立山の守中学校――入学式を終わります。

 続きまして、この場をお借りして本年度より新たに当校に加わる教職同をご紹介に預からせて頂きます。

 新任の先生方は、舞台上へどうぞ」

 教頭の先程とは打って変わった山林の湖の様に透き通った処刑宣告が下る。


 ――な、なに動揺してんの‼ 華、こんな逆境今までのコンペに比べたら屁でもないでしょ‼ そもそも、昨晩一度は考えた事を言うだけじゃない。え~っと……出だしは確か……たしか……ん……。


「大丈夫ですか⁉ 天塚先生、腕と足が一緒に出てますよ⁉ 」

 振り向くと、引き攣った笑顔で華は応える「らいじょーぶらいじょーぶ」どう見積もっても大丈夫じゃないな。と安藤は眉を顰めて苦笑いを返す。


 舞台に並べられた椅子に順に座っていくと。

「それでは、まずは天塚華先生、宜しくお願いします」と、有無を言わさずに教頭が叩き込みをかけた。


 ぎくしゃくぎくしゃく。とまるで音が出そうな歩き方で華は壇上のマイクの前に立った。


 ――うわぁ……。そうか、あの時、先輩達にはこう見えてたのか。

 そこは思ったよりも、ずっと彼らの表情が良く見えるし、距離もそんなに遠くは無い。


「み、皆さん‼ お、おはようございます‼

 あ? は、はじめまして‼ 」

 いきなり、しくじった。ずん――と、場に重い空気が圧し掛かる。

 その顔を見て、生徒達は「朝の変な女の人だ」と指をさし始める者も現れ始める。


 ――このままじゃ、絶対いけない。

 華は大きく息を吸う。それを見ていた者が全員何事かと動きを瞠る程に。大きく。大袈裟に。


「私は天塚華といいます……。

 私も皆さんと同じ、この中学校で3年間を過ごしました。

 そこで、私は……色々な出逢いを……得ました。

 そして、時に笑い、時に哀しみ、時に苦しみ。

 別れもありました。とてもとても良くしてくれた人と……。

 それを悔やみ、やるせない日々も」


 体育館の様子が徐々に変わる。私語をしていた生徒も。怒髪天をついていた教頭も、おろおろと心有らずだった安藤も。気付けばその言葉にただ、耳を傾けている。

「でも、その全てが。

 それからの私の全てを確かに導いてくれたのです。

 努力し、困難を達成する素晴らしさも。

 しかし、時にそれを覆す不条理も。

 その全部が……本物なのだと……。

 皆と、出逢えた今日この日も、きっと私にとってはその日からの一本の線で――それが、今日の皆との線に交わって。

 空の星の様な輝く一点に変わるのだと信じています」


 ――だから。

 だから――この言葉を彼等に伝えようと彼女は決めていた。

 そして、恐らくそれは。ずっと――ずっと前から決まっていたのだろう。


 全員が続く言葉を待つ。それを受けて――彼女は彼等一人一人の顔を見て、言った。



「私と一緒に……オリンピックを目指しませんか……! 」



 世界はそこからまるで逆回転を起こしたかの様に、あの日あの時の様に一陣の春風を起こし、その場に居た幾人かの顔を順に撫でていく。




 天嶺に咲き誇りし一輪の花。

 時を経て朽ち枯れようとも、また新たなる息吹芽吹く若き胤を残し。

 これにより永遠へと続かん。





 風は、やがてある家の窓に終着する。

 窓際の机に置かれていたその厚い日記帳の頁がパラパラと音をたて、最後の頁へ辿り着く。

 少し、日に焼けた古い新聞の切り抜き。そこにはこう記されていた。


 スポーツクライミング女子史上初の金メダリストは日本の若き新星。


 凪海一花。

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天嶺に咲く花~Challenge on a wall~ ジョセフ武園 @joseph-takezono

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