(5)「いついかなるときも何があっても、俺の意志は俺だけのものだ」

 残照が、――侵されていく。一足飛びに闇が深みを増していく。

 暗がりに、イズキが口を開く。

光あれシャンデーラ

 唱えれば、イズキの眼に周囲が浮かび上がる。周囲が照らされているのではなく、イズキの瞳が暗がりを見通しているのだ。

 風が吹いて、足下に広がっていたガス・カナールの灰が流れていく。灰を見送るイズキの胸に、苦い思いが広がった。

 イズキのために、何の罪もない村人が巻き添えになるとは。

「……俺は、地獄に落ちるだろうな」

「何を言っているの、イズキ。それは人間の行くところよ」

 つい、と。

 テディが指揮をするように手を振った。少女の手前で水が集まって、渦を巻く。


「あなたはわたしと一緒に生きるのよ、愛しいイズキ」


 一年前と変わらぬ様子で言ったテディに、イズキはそっと嘆息した。



 パートナーとして動いていたころ、テディは敵に対する容赦のなさで知られていた。

 幸いの星を加護に頂く、青の女神の末裔。ラズリートの末娘。

 気高き貴族種は誰よりも吸血鬼らしい吸血鬼だった。《盟約》に厚く、罪に厳しい。

 テディが同族を狩るとき、そこには一切の仮借がなかった。

「いつからだ?」

 問いかけながら、じりっ、と靴の踵で石畳を擦った。

「罪のない、命を――、奪うようなやつじゃなかったぜ」


 いや増せアンプラート


 口の中で唱えて、地を蹴る。足下で石畳が砕けた。

 地を走るように走る。耳元で風が鳴る。

「俺の、テディは!」

 日本刀を振るった。

 袈裟懸けに一閃した刃は、テディを守る水にあっさりと防がれた。硬質化した水と刃の間で、鈍い音が響く。

 テディが少しだけ、困ったように言った。

「あなたの考えは、勘違いだったとは思わないの」

!」

 ほとんど喉を切るように、イズキは言った。

「俺のテディは、俺が知る誰よりも優しいやつだったんだ!」

 見知らぬ少女一人のために、迷いなく動けるような。

 知己の罪を、自らが引き受けるような。

 テディは優しい少女で、その優しさと高潔さから少しばかり気難しいところもあった。それでもイズキは、そんなテディが好きだった。

 彼女の優しさを、イズキはそのまま受け継いだ。

 イズキに優しさを教えたのはテディだからだ。母のように、姉のように、イズキを導いたのはテディだからだ。

「だからテディ、お前は――」

 テディの操る水が、イズキを押し返そうとうねる。

 イズキは、退かなかった。膝に力をこめる。


「俺が、」


 ひたりと、イズキは刃に指を当てた。

 イズキが魔術を使うとき、思い浮かべるのは常にいかずちだ。白く、白く、鮮烈な力。

 闇を切り裂くように、力を解き放つ。

 いかずちの形から練り上げて、脳裏でイメージを作り上げる。腹の奥に力が凝る。

 白が色を変える。不確定な力の端を、イズキはつかみ取る。

「――

 同時、青い刃から氷が伸びた。

 日本刀を受け止めるテディの水をかいくぐるように、氷がテディに向かう。氷が接触する寸前で、テディは飛び退いた。

「素敵だわ、イズキ」

 追いすがる氷に向けて、テディは軽く手を振った。大した魔力をこめた様子もないのに、あっさりと氷が砕け散る。

 テディに効かないのは道理か、とイズキは歯がみした。形作った氷は、半分は日本刀に内包されたテディの魔力によっている。

を使いこなしてくれているのね。嬉しいわ」

 腹がくちくなった猫のように、テディが満足げに眼を細める。少女の姿をにらみ据えながら、イズキはそっと柄を握り直した。

 青い、日本刀。

 この一年、イズキを守り続けた力だ。ほとんど実戦には出ていなかったけれど、いざというときイズキの魔器は必ず力になってくれた。

 数日前の夜、キットに食われかけたときにも。

「守って、くれてただろ――」

 テディが自らの命と引き替えに作り上げた魔器だと、そう聞いていた。テディの魔力を内包する刃を、疑ったことなど一度もなかった。

「そんなの、当たり前じゃない」

 思いがけず優しく囁かれて、イズキは瞬いた。僅かにぶれていた焦点が定まって、テディと眼が合う。

 見た目そのままの子どものように、無邪気にテディは言った。

、イズキ」

「……、」

 聞き慣れた台詞だった。

 言われ慣れていたし、言い慣れた台詞だった。イズキはテディのもので、テディはイズキのものだった。

 違和感などないはずの言葉に、なぜこれほど心がざわめくのだろう。

「だからあなたは、わたしと行くのよ」

 当たり前のことを当たり前のように口にするテディに、イズキは少しだけ笑った。

「あぁ、そうだな――」

 イズキの答えを聞いて、テディがぱっと顔を明るくする。

 少女は白いワンピースを着て、レースの裾は赤く汚れていた。テディの服を染めたのだろう見知らぬ女が、テディの足下に転がっている。

「テディ、愛しいテディ、俺のテディ」

 イズキは日本刀を逆手に持って、地に突き刺した。

 古びた石畳は不安になるほどあっさりと砕けた。僅かに覗いた土を刃が穿つ。

「お前は俺のもので、俺はお前のものだ。昔から変わらねえよ」

「そうね、イズキ」

 微笑んで、テディが近づく。イズキに手を差し出す。

 白くて、細くて、小さな手。

 何度も手を繋いだ。ときに手を引き、ときに手を引かれた。

「お前が俺に、教えたんだぜ」

 イズキは少女の手を、――取らなかった。

 ぐっと、鞘を握る手に力を込める。逆の手を刃に添える。

 イズキはためらいなく、己の手を刃に滑らせた。

「お前とは、行かない」

 溢れた血が、刃を滑っていく。地面に染みこんでいく。

「水よ、」

 テディの力の展開よりも、イズキの方が早かった。魔力を含んだ血による増幅を受けて、魔術がほんの一瞬、テディのくびきから逃れる。

 その、僅かな隙を縫うように――、


貫き通せサブルーム!」


 石畳の隙間から幾筋も飛び出した氷の刃が、テディを貫いた。

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