(4)「唯一のエドワード・ラズリート。俺が、お前を殺すよ」

 ぐらり、と視界が揺れた。

 地面が揺れたのだと思った。実際には、揺れたのはイズキの体だった。

 力が入らない。膝をつきそうになるのを、意地で堪えた。

 魔術をかけられたわけでも、体力の問題でもない。精神的なものだ。

 衝撃を受けているのだ、と思う。

 イズキの問いに対して、意味の確認も否定もなかった。そのことが、イズキの推測が事実であることを突きつける。

 自らがかつて命を預けた、行き先を委ねた、全てを頼んだパートナーが、


 堕ちたという事実に、心が悲鳴を上げている。


「どうしてわたしだと思ったの?」

「……根拠なんてねーよ」

 テディに言葉を投げかけたのは、ほとんど直感だった。

 疑惑に、テディは誤魔化す様子もなかった。最初から隠す気もなかったのかも知れなかった。

「最初の吸血鬼だけは、だったのかもな。けどそのあとは、急に吸血鬼が暴走し始めて、被害者が増えたのは――」

 指先が冷たい。イズキはそこで初めて、自分の手が震えていることに気づいた。

 日本刀を握り込む。イズキの、唯一の魔器だ。

 閉鎖的な村で、普段と異なることなんてほとんどなかった。村に変化が訪れるきっかけなど何もない。

 イズキが村にいるということ以外は。

 アーシュリーにとって、イズキだけが非日常だったのだ。そしてその非日常が、村を侵した。

 イズキが村を訪れて、テディが追いかけて村に入った。そしてテディが、村人たちを吸血鬼にし、なおかつ暴走させた。

 自分の存在が、村を滅ぼしたのだ。

 イズキにとってその事実は、足下が崩れるほど恐ろしいものだった。けれど、直視しないわけにはいかない。

「キットの可能性もあったけどな」

 ずっと村に住んでいたキットが、村を滅ぼす。それこそ起こって欲しくない事態は、幸い否定された。

「どうして気づかなかったのか、自分でも馬鹿かと思うけどな。よくよく思い出してみりゃ、――は、テディの魔力だった」

 植物使いの吸血鬼に出くわす前、女性の吸血鬼を前に、イズキの警戒心は働かなかった。ドロシアを前に、止めをさすことを躊躇った。

 長年ハンターとして勤めてきたイズキが、正常な判断を下せなかった。あれは、彼女たちからテディの魔力を無意識に感じ取ったからだ。

 テディの、イズキが警戒する必要ない相手の気配を、感じ取ったからだ。

「成長しねーなあ、俺……」

 ぼやいて、イズキは力なく唇の端を上げた。

 思えば、テディを失った最後の一戦でも、イズキは判断を誤ったのだ。テディの友人を殺すことを、最後の最後で躊躇った。

 テディが絡むと、いつもそうだ。

 冷静でいるべき場面で、冷静さを失ってしまう。正しい判断を忘れてしまう。


 決して、間違ってはいけなかったのに。


 イズキは眼を伏せて、開けた。視界の揺れは、もう治まっていた。

「次は、間違わねえよ」

 魔器の切っ先を、テディに向ける。

「テディ。愛しいテディ。俺のテディ。可愛いテディ」


 祈るように、

 もしかしたら赦しを乞うように。


「唯一のエドワード・ラズリート。俺が、お前を殺すよ」


 青い刃を正眼に構えて、イズキは言った。

 同時に、地を蹴る。革靴が石畳を叩いた。

 薄い唇を、開く。

「この身は我にあらず」

 ちりっ、と髪が揺れる。イズキの魔力が、風を生んでいるのだ。

「この腕は我にあらず」

 獣めいて這うように、獲物に迫る狼のように。

「地の息吹とともに、空の稲光とともに」

 青い刃が、走る。

「応え、」

 テディは微笑んでいる。少女に向けて、イズキは最後の一歩を踏み出した。


「――いや増せアンプラート!」


 青い刃が、奔る。

 テディの体に魔器が届く寸前で、テディとイズキの間に人影が割り込んだ。イズキが眼を見開く。

 人影は、知った顔だった。

「ガス・カナール……」

 イズキの瞳が、けぶる。

 二人の間に割り込んだ、見覚えのある男の瞳は真っ赤に染まっていた。があっ、とあり得ない角度で口が開く。

 数日前に会ったときは確かに人間だったはずの、数日前に娘と妻を亡くしたばかりの哀れな男の命を、

 イズキは嘆息一つで、容赦なく刈り取った。

 すれ違いざま、正確に胸の中心を切り捨てる。ガスが口と眼を見開いたまま、前のめりに崩れ落ちる。

「――おやすみ、吸血鬼」

 ぴっ、と刀を振るって血を飛ばし、イズキは囁いた。

 ガスはもう聞いていないだろう。イズキの背後で、男の体が灰に変わっていく。

 その光景を、テディは邪気のない表情で見守っていた。

「あなたとこの男のひとは、友人ではなかったの?」

「……ちげーよ」

 けれど、知り合いだった。

 男が生きて、動いている姿を確かに知っていた。彼はただの人間だった。

 殺されるいわれなど、どこにもない。罪のない人間だった。

 イズキはテディに視線を戻した。テディの足下に、見覚えのない女が転がっている。

 彼女もガスと同じなのだろう、と思った。殺されるいわれも、死ぬいわれもない。

 ただ、イズキがアーシュリーにいただけで。

 イズキがアーシュリーに来なければ、死ぬことはなかっただろう。テディに殺された、イズキに巻き込まれた、ただの被害者だ。

「お前が判らねえよ、テディ」

 嘆くように、イズキは言った。

 一年前は、互いが何を考えているかなど手を取るように判ったのに。今ではもう、何も判らない。

 そのことが、何よりも悲しかった。

 全ての理性をおして、道理を無視して、テディが生きていることを喜ぶ自分も確かにいるのに。彼女とはもうわかり合えないのだ。

 そのことが、何よりも哀しかった。

「何の意味があって、こんな真似をしてるんだ」

 再度の問いに、テディは首を傾げた。無邪気に、何を簡単なことをと言うように。

「イズキ、」

 聞き分けのない子どもにそうするように、テディは優しく口にした。


「あなたを、愛しているからよ」


 折しも、太陽と入れ違いに欠けのない月が昇ろうとしていた。

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