(3)「あなたを、愛しているからよ」

 体の右下から斜めに切り上げるように、イズキは刀を振り抜いた。

 ざっくりと体が裂けて、血が噴き出す。男の体を、イズキの指が示す。

貫き通せサブルーム

 止めのように、男の胸の真ん中に大穴が開いた。

 男の体が崩れ落ちる。前のめりに倒れる男の体から逃れるように、イズキは立ち上がった。

 じわじわと、と表現するには早い速度で、血が広がっていく。赤い水たまりを見下ろす。

 ややもせずに、赤色の浸蝕は止まるだろう。そうして、男の体は灰に変わるのだ。

 端から灰に変わり始める男の姿に眼を向けることなく、イズキは走り出した。

 扉を開けるのももどかしく廊下に飛び出して、階段の一番上から次の階に飛び降りる。古びた床が軋んだ音を立てる。

 二階には幾つかの事務室がある。そのうちの一室を、イズキはたたき壊す勢いで押し開けた。

「……!」

 部屋の中は、ひどい有様だった。

 壁も、床も、真っ赤に染まっている。一人の女が転がって、その近くに二つの灰の山がある。

 女に近寄って、脈を確かめた。鼓動は、ない。

「くそったれ」

 悪態をついて、二つの灰に視線を向けた。考えるまでもなく、ここで二人の吸血鬼が死んだのだ。

 何が起こったのかは、薄らと想像がついた。発生することは稀で、イズキも学院で習ったことしか覚えがないけれど。

「共食い……」

 自分で口にしながら、その響きにぞっとした。

 極端に飢えた状態で暴走した際に人間ではなく吸血鬼しかいなかった場合、吸血鬼は同族である吸血鬼を捕食することがある。そもそも暴走する吸血鬼はほとんどが下位種であることから、返り討ちで終わることが多いが――。

 彼らは女性を食らったあとに、互いを食い合ったのだ。

「……ンだよ、それ」

 吐き捨てて、イズキは笑った。浮かべるべき表情が判らず、途方に暮れたような笑みだった。

「――ンだよ、それ!」

 叫んで、床を蹴る。イズキの視界が、怒りに明滅した。


 人間には権利があり、吸血鬼にも権利がある。ハンターは繰り返し、同じことを教え込まれる。


 吸血鬼は敵ではない。ただ、たまたま人間が捕食対象であった魔物でしかない。

 人間は大人しく食われているわけにはいかない。けれど滅ぼそうとすれば、互いに多大な被害が出る。

 だから人間と吸血鬼は、《盟約》を結んだ。生き延びるための知恵だった。

 人間のために。吸血鬼のために。

 《盟約》のもとに、人間と吸血鬼は平等である。人間は敵ではなく、吸血鬼も敵ではない。

 人間には権利があり、吸血鬼にも権利がある。

 互いは尊重されなければならない。互いの領分を侵してはならない。

 《盟約》がある限り、《盟約》を守る限り。人間と吸血鬼は隣人であり、友である――。


 ハンターであれば誰でも暗唱できる、絶対の教えだった。だからこそ吸血鬼はハンターのパートナーになり、ハンターはパートナーに己の命を託す。

 人間にとって、吸血鬼は脅威だ。だから敵性吸血鬼に容赦はしないし、命を奪うことに躊躇いもない。

 けれど同時に、手を取りこの世界をともに生きるもの同士でもあるのだ。隣人であり、友なのだ。

 先ほどの男は、明らかに自分が吸血鬼になったことに混乱していた。血を求める本能を拒絶していた。

 この部屋の二人とて、似たようなものだろう。そうでなければ、互いが消滅するような共食いが発生するわけがない。

 恐らくは、――恐らくは、今までの吸血鬼たちも。ドロシア・カナールが、突然娘を食い殺したように。

 突然、吸血鬼になった。突然、暴走した。

 どちらか、あるいは両方。もっと言えば、『なった』ではなく――。

「――そんなん、ねーだろ」

 吐き捨てて、イズキは部屋を出た。廊下を渡って階段を降りる。

 小さな玄関ホールが広がっている。扉のすぐ近くに転がる人影に、イズキは近づいた。

 杖が転がっている。投げ出された手足は細く皺だらけで、枯れた枝のようだ。

 老いた男の名前を、イズキは知っている。

「ザカライア・ティンバーレイク村長」

 イズキは彼を呼んだ。まともに呼んだのは村に入って以来だった。

 呼ばれた男は、反応しない。

 既に命を失って、事切れている。首筋から肩にかけて、肉ごと血を奪われている。

 見開かれた老人の眼を、イズキはそっと下ろした。

 アーシュリーにとって、イズキはよそ者だった。田舎の村人たちは、イズキのような部外者を歓迎はしなかった。

 ザカライアのことも、他の偏屈な村人たちのことも、イズキはあまり好きにはなれなかった。――それでも。

「ここは、良い村だと思うぜ」

 キットに優しいこの村を、イズキは好ましく思っていたのだ。


「なあ、なんでこんなことしたんだ」


 人間には、権利がある。尊厳がある。

 同じように、吸血鬼にも。

 どちらであっても、――こんな終わり方が、あって良いはずがなかった。

 吸血鬼に食われて、死んで良いはずがなかった。望まぬ暴走の果て、共食いなどで死んで良いはずがなかった。


 イズキは庁舎の扉に手をかけた。引き開ける。

 上げた視線の先に、青がいる。ずっとイズキを導いた色。

 青い星、青い蝶が。


「――テディ」


 細やかな広場の、真ん中で。村人たちの血と、死体と、灰に囲まれて。

 テディは、ひどく軽やかに笑った。


「あなたを、愛しているからよ」

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