(6)「わたしを失った絶望は、あなたを目覚めさせるには足りなかった?」

 寸前、テディが身を捻った。心臓を狙った一撃が逸れる。

 ――外した。

 判断した瞬間、イズキは動いた。日本刀を引き抜く。

いや増せアンプラート

 地を蹴る。

 テディは貫かれたまま、前のめりに俯いていた。けほ、と咳き込んだ口から、

 血が、


「――迷うな!」


 イズキは怒号した。他の誰でもない、自分に対する叱咤だった。

 最後の一歩に、躊躇いはなかった。

 僅かに身じろいだテディに構わず、心臓に魔器を埋め込む。するり、と恐ろしいほどあっさりと刃が通った。

 テディの体が力を失った。動きそこねたイズキが、小さな体を受け止める。

 ほとんどイズキを抱きしめるような形で、テディが倒れ込む。ぐったりと弛緩している。

 ――殺した。

 確信して、途端に奥歯がかちりと鳴った。無意識に吐息が漏れる。

「は、……」

 自分でも判るほど、指先が冷え切っている。がたがたと体が震える。

 頭が回らなかった。ただ、寒くて仕方なかった。

 感慨になどふける間もなく、テディの体は崩れるだろう。少しの灰も逃したくなくて、少女を抱きしめる。

 視界に入った違和感に、イズキは動きを止めた。

「……ぁ?」

 ――血、が。

 テディの体を貫いたのなら確実に血で汚れているはずの、テディの体を貫いたままの刃が、月の光を受けて青く輝いている。こびりついていてしかるべきであるはずの血糊が一切ついていない。

「どう、いう――」

「気づくのが遅いわよ、イズキ」

 うふふ、と笑い混じりの囁きがイズキの耳を擽った。

。これも、わたしがあなたに教えたことだったわね」

「テディ……?」

 体を離そうとしたイズキを、テディが強く抱きしめる。イズキの耳に、テディの吐息がかかる。

「動かないでね、イズキ・ローウェル」

 瞬間、体の自由を奪われてイズキは瞠目した。支配されたのだ、と悟る。

 出会ってから今の瞬間まで、テディに支配されたことなどただの一度もなかったのに。

「止め――」

 首に手を回されて、強引に引き寄せられた。

 イズキの指先から力が抜けて、ずるりと日本刀が落ちる。日本刀の刃の先が、僅かに濡れている。

 体勢が変わって、テディの体が見えた。

 ワンピースは胸元が大きく開いている。その胸元に、

 何も、なかった。

「……!?」

 違う、と即座に否定する。

 胸元の一部にぽっかりと穴があいている。溶け込むような黒い縁と、向こうの景色が見える。

「体を、水にしたのか……」

「その通りよ、可愛いイズキ。あなたはとても賢い」

 言葉と同時に、軽く唇が重なった。ただ親愛を示すような、親が子どもにするようなキスだ。

「……あなたがもう少しばかか、もしくは愚かだったら良かったのに」

「テディ?」

 問いかけたイズキの首筋を吐息が擽って、


 直後、イズキの意識を灼熱が襲った。


 噛まれたのだ、とすぐに気づく。テディの伸びた牙が、イズキの肌に、肉に潜り込む。

 じゅる、と耳元で血を啜る音が聞こえて、同時に音を立てて血の気が下がっていく。耳の奥がひどく煩い。

「……や、め――」

 制止の声を、自分が上げられたかどうかも判らなかった。

 気づけばイズキはその場に膝をついていた。世界が回っている。血の気が下がって、気持ち悪さに地面に手をいた。

「――は、は、……」

 だらり、と唇の端から唾液が滴った。酸の匂いが鼻をついて、胃液が上がっているのだと悟る。

「いやだわ、イズキ。わたしを見なさい」

 回る視界を、強引に持ち上げられた。

 イズキの顔を、テディが覗き込んでいる。その状況を理解するまでに随分とかかった。

 体勢を判断することができても、視界がはっきりしない。眼の前にいるのが見慣れた少女なのか、イズキには判らなかった。

 誰かが、イズキを覗き込んでいる。子どもの姿の吸血鬼が。

 知らず、名が口から零れ出る。

「……キット……?」

「もうっ!」

 途端に怒ったような声が聞こえて、イズキは眼の前にいるのがテディであることを思い出した。

 力なく相手を振り払って、尻餅をつく。見上げれば、テディが片方の眉を上げている。

「他の吸血鬼にちょっかいをかけられるだなんて、思いもしなかったわ。離れたのは失敗だったかしら」

 何を言われたのか、理解するのに時間がかかった。

 眼を閉じて、目眩に堪える。何度も瞬きを繰り返しながら、問いを口にする。

「どうして、そんなことを――」

「ずっと一緒にいるためよ、イズキ」

 まるで罪悪感など覚えていないように、テディは首を傾げた。

「だって人間は、とても儚い生き物なのだもの」

「お前、どうし、」

 ふわり、と軽やかな足取りでテディがイズキに近づいた。立ち上がれずに足だけで後退しようとするイズキの前にかがみ込んで、少しだけ残念そうに。

「ねえ、イズキ」

 食事のデザートが物足りなかったときの少女のように。


「わたしを失った絶望は、あなたを目覚めさせるには足りなかった?」

 

 瞬間、

 ごおっ、と鈍い音が耳を灼いた。イズキとテディの間を白い光が切り裂く。

「何よ、もう!」

 テディが飛び退く。スカートが翻る。

 覚えのある魔力に、イズキが無意識に強ばっていた力を抜いた。

「自分のものにちょっかいをかけられるのは嫌いでね」

 白い、白い、白い、――炎。

 夜を灼く無慈悲の白を背負って、小さな影が愛想なく鼻を鳴らした。

「僕の村を好き勝手しすぎでしょう」

「……キット、」

 何も考えないまま名を呼んだ、イズキに視線を移す。イズキの首筋の傷を認めて、キットは一度だけ瞬いた。

 ゆらり、と顔を歪める。それが笑みなのか、イズキには判別できなかった。

 軽やかな声が、転がる。


「……もう、あったまきた」

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